鈴信博堂の似顔絵日記

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2009年 04月 01日

2009年2月、公式ブログ『林真理子のあれもこれも日記』を開始。


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この題字は三菱鉛筆ボールペン「ジェットストリーム」で直筆したものです。

林真理子、1954年4月1日生まれ。(今日が誕生日)
ブログを書く人たちが増えている。営業を目的にしたものや日記風、あるいは掲示板的感覚とその表現はさまざまだが、世界中でも日本のようなブログの広がり方は珍しいらしい。個々の日常をオープンにしていくというのは外国ではあまり例が見られない。日本人の特殊性とでも言うべきか、マメな民族である個性からか、面と向かわなければ何でも言える国民性からかは分らないが、ブログやメールと言った類は好まれるようだ。一昔前は文通が流行った。ペンフレンドなる友人を持つのが学生のステイタスだった時代もある。今や嘆かわしいかな手紙を書く人は激減している。たまにはお気に入りのペンを執って、心をこめて文字をつづる作業も新鮮で趣がある。是非お試しあれ。
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by suzunobu-nigaoe | 2009-04-01 23:59 | 1950-1954(55~59才)
2008年 10月 26日

かつて人生相談での迷回答、「ソープへ行け!!」【北方謙三】

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北方謙三、1947年10月26日生まれ。(今日が誕生日)佐賀県唐津市出身。中央大学法学部法律学科卒業。実家は曾祖父の代から、唐津市で菓子屋を経営。父親は外国航路の船長。学生運動華やかりし時代であり、北方も全共闘運動に没入。在学中の1970年、純文学作品『明るい街へ』を同人誌に発表。同作が雑誌「新潮」(1970年3月号)に掲載され、学生作家としてデビューを果たす。1973年同大学卒業。PR誌の企画スタッフをしながら執筆を続ける。この頃は純文学の短編をひたすら書いていたが、「10年書いて、文芸誌掲載わずか四編」という状況。“文学”から“小説”へ。“短編”から“長編エンターテインメント”への転換を決意する事になる。

1981年、『弔鐘はるかなり』(『第二誕生日』改題)が出版。新人としては異例の、“書き下ろし長編”による処女出版であり。北方にとっては二度目のデビューである。翌年よりヒット作を次々と生み出し、“ハードボイルド小説の旗手”として一躍人気作家に。1983年には『逃れの街』が、主演水谷豊、監督工藤栄一で映画化。以降『友よ、静かに瞑れ』(1985年)、『黒いドレスの女』(1987年)などが次々と映画化され、作家としての地位を築き上げる。1989年、初の歴史小説として南北朝時代を舞台とした『武王の門』を発表。続く南北朝ものである『破軍の星』では、第4回柴田錬三郎賞を受賞し、歴史・時代小説へとジャンルを広げる。1996年、全13巻6500枚書き下ろしという大長編、北方版『三国志』の刊行が開始され、以降歴史小説は、中国史へとその裾野を拡大。1999年には『水滸伝』が小説すばるで連載開始。前作を超える全19巻9500枚の超大作は、「日本の大衆小説の最高峰」(北上次郎)と称される。同作は2006年、第9回司馬遼太郎賞を受賞。2000年より、直木三十五賞の選考委員を務める。

いつの時代も突出している人はいるもので、周りの誰もが追いつけないものだから変わり者扱いされてしまう。私が10代頃創刊されたホットドックで北方氏が若者向けに人生相談をしていた時なども、いつもは真面目に回答しているのだがあまりにもインパクトの強い言葉を引用するせいか、時としてその一部分だけを捉えられ誤解されてしまうことが少なくなかった。むしろ小説家になろうなどと言う人は、そのくらいの発想と思い切りの良さがなければ売れることもないのだろう。世の中には本音と建前とが混在する。歯に衣着せぬかのように本音ばかりでまくしたてても毛嫌いされてしまうだろうし、真綿でくるんだかのような建前発言ばかりでも信頼されない。一般人として生きていくためには両者のバランスのとれた使い分けが必要だろう。ただ、今の世の中、あまりにも建前ばかりが横行して実態が見えないことがある。これから先の日本、何を信じていいのやら…(ーー;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-10-26 23:59 | 1945-1949(60~64才)
2008年 10月 24日

中国では「恋愛の毛沢東」と呼ばれている。【渡辺淳一】

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渡辺淳一、1933年10月24日生まれ。(今日が誕生日)北海道上砂川町出身。1958年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。同大学の和田寿郎教授による和田心臓移植事件を題材にした『小説・心臓移植』(1969年3月。後に『白い宴』と改題、角川文庫)を発表し、大学を去る。1970年、37歳の時に総理大臣寺内正毅をモデルとした『光と影』で第63回直木賞を受賞し、その後現在に至るまで、話題作『失楽園』などの作品が映像化された。初期には医療現場を舞台とした恋

愛物、近年は医療に限定しない作品を発表し続けている。主題は、伝記(『花埋み』『女優』『遠き落日』など)、医療(『白い宴』『麻酔』など)、性的描写の濃い男女関係(『化身』『失楽園』『愛の流刑地』など)の三つに大別される。概ね初期においては医療を場面とした社会派的な作品が、その後は中年の男女の性愛を描いた作品が多い。大家の一人として文壇に地位を築いており、ベストセラーも複数ある人気作家であるが、作品そのものの評価は大きく割れる。福田和也は『作家の値うち』において、「亡国的作家」「紋切り型のポルノグラフィー」と斬り捨てている。

「鈍感力」なるエッセイ集を昨年執筆しているが、今の世の中多少鈍い方が救われることが多い。渡辺氏は今日で75歳だが、単純に若さを年齢だけで推し量ることは難しい。なぜなら若さの象徴は可能性であり、元気な肉体を有することを指すべき括りで、必ずしも実年齢とイコールではないからだ。自身が興味があるから官能小説風の表現も巧みなんだろうし、、経験だって相応にあるに違いない。良く言えば感受性が豊かだとも言える。想像力で書ける作家もいないわけではないが、一般的にモデルケースはその人の近くに存在したりする。表面的な年齢に縛られずに、やりたいことはドンドンチャレンジすべきだ。更にあれしたい、これしたいという思いがその人を年齢以上に活気付かせる。鈍感と共に貪欲でありたいものだ(^_^.)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-10-24 23:59 | 1930-1934(75~79才)
2008年 06月 20日

中森明菜、観月ありさ、平野レミの大ファン。【三谷幸喜】

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三谷幸喜、1961年7月8日生まれ。東京都世田谷区出身。血液型A型。 妻は女優の小林聡美。少年時代は、とんねるずの木梨憲武と同じサッカークラブに所属していた。私立世田谷学園高等学校卒業後、日本大学藝術学部演劇学科在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」結成。なお、演劇科の3年後輩の太田光は、当時は演劇志望だったため、「三谷さんは学生の頃から、スゴイ人気者だった。日藝のヒーローだった。一方、自分は教授とケンカしたりして、演劇を諦めた。だから今でも、三谷さんにコンプレックスがある。」と、2006年に自らの番組でカミングアウトしている。1994年頃、劇団の活動に行き詰まりを感じたため、倉敷市芸文館での『東京サンシャインボーイズの罠』を最後に30年間の充電期間に入る。

1997年には初の映画監督作品として『ラヂオの時間』を発表。多くの映画賞を受賞、絶賛を浴びる。2001年には自身の体験に基づいた「建築コメディ」とも言うべき監督第2弾『みんなのいえ』を発表。両作品共イギリスやドイツなどでも上映会が催され、多くの喝采を浴びた。一方『古畑任三郎』以降も『王様のレストラン』『総理と呼ばないで』『今夜、宇宙の片隅で』『合い言葉は勇気』『竜馬におまかせ!』など次々作品を発表、そして2004年に長年の夢であったNHK大河ドラマ『新選組!』の脚本を担当。三谷の意向も入れられたというそのキャスティングは賛否両論を呼んだものの、大きな話題となった。2008年、「コンフィダント・絆」で読売文学賞、第7回朝日舞台芸術賞・秋元松代賞(『恐れを知らぬ川上音二郎一座』の作・演出も含む)受賞。3月、平成19年度芸術選奨の演劇部門で文部科学大臣賞を受賞した。また、2008年6月には、第4弾監督作品『ザ・マジックアワー』が公開された。

出す作品の殆どがヒットする才能豊かな人だ。最近テレビへの露出が多く、現作品への思い入れの深さを感じる。彼の手法はひと言で言うなら斬新さ。他人が未だやっていない事に固執する。これは大切なことだ。新しいことは賛否分かれるから、普通の人はあまりやりたがらない。いや、むしろその発想すら欠落している。周りに変わってると言われる人がいたとすれば、意外と大きな可能性を秘めている人かもしれない。まともでないことはこれからのトレンドかも?
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by suzunobu-nigaoe | 2008-06-20 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2008年 06月 14日

文学者の自殺って多いよね。【川端康成】

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川端康成、1899年6月14日生まれ。(今日が誕生日)1972年4月16日逝去。大阪府北区出身。父は栄吉(医師)、母はゲン。姉芳子。東京帝国大学文学部国文学科卒業。菊池寛に認められて文壇入り。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表として活躍。『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』など日本の美を表現した作品を発表し、1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した。1972年、ガス自殺した。著作権失効年は2022年。

幼くして両親祖父母、身近な近親者を亡くす。小学校の同級生に笹川良一がいる。中学卒業と共に上京し、浅草蔵前の従兄の家に居候し、予備校に通い始め、第一高等学校の一部乙、英文科に入った。後年『伊豆の踊子』で書かれる旅芸人とのやりとりは、翌年の秋に伊豆へ旅行したときのものである。その後10年間、伊豆湯ヶ島湯本館へ通うようになった。27歳で結婚、翌年豊多摩郡杉並町馬橋(高円寺)に移転。同人雑誌『手帖』を創刊し、のちに『近代生活』『文学』『文学界』の同人となった。その後、菊池寛賞を受賞。ノーベル文学賞受賞と日本文学の代表的存在となった。

グーグルのトップページを覗いていたら川端氏のロゴになっていたので描いてみる気になった。でも、川端氏は幸せだったんだろうか?絶賛される彼の業績とは裏腹に晩年の生き方に疑問を感じる。自殺の是非だけを言ってるのではない。大きな賞を受賞したために引き起こる重圧。人間期待に応えようとする姿勢は大切だ。しかし、その重圧に潰されて本来の望む環境とは異なった生き方をしてしまっていたなら悲惨だ。お金を得ること、有名になること、凡人の夢ではあるがそれほど良いものなんだろうか?天寿を全うする時に「生まれてきて良かった。」と、思えるような生き方ができたら理想的だが難しいんだろうな…。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-06-14 23:59 | -1919(91才~)
2008年 05月 01日

本人曰く、肩書きは「作詞家」。【秋元康】

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秋元康(やすし)、1956年5月2日生まれ。中央大学附属高等学校業後は中央大学文学部へ進学したが大学にはほとんど通っておらず単に籍を置いていただけであった。やがて、放送作家一本で生きていくことを決意、大学は中退している。後に、高校生・大学生としては異例なほどの収入があったと当時のことを回想している。その後、放送作家に物足りなさを感じていたところ、筒美京平が作曲した稲垣潤一が歌唱する楽曲に作詞する機会を得て、初めて作詞に挑戦した「ドラマティック・レイン」が正式採用となり、シングル発売。これを機に、作詞家としても活動を開始するようになる。

放送作家として「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」を手がけ、とんねるずやおニャン子ク
ラブの仕掛人としても知られる。また、作詞家としてとんねるず、おニャン子クラブなど数多くのアーティストの楽曲の作詞を手がけるほか、作家、映画監督など多くの分野でも活躍している。2005年4月、京都造形芸術大学芸術学部教授に就任。2007年4月1日より同大学副学長に就任した。作詞家としての作品の総売上は、4,000万枚を超える。作詞家としてのデビュー作品は、フジテレビ系列で放送された『とんでも戦士ムテキング』のエンディングテーマである。作詞家としてはとんねるずなどに提供している、メッセージソングやパロディソングばかりでなく、美空ひばりの『川の流れのように』など、シリアスな曲も多数書いている。また、猿岩石の楽曲、アニメソングの作詞を担当する際に「高井麻巳子は良妻」をもじった高井 良斉(たかい りょうさい)のペンネームを用いている。

才能に満ち溢れる人物だ。美空ひばりの作詞からも伺えるが情景を巧みに描くその偉才には脱帽する。ちなみに河の流れのようにの「河」とはニューヨークのハドソン河のことらしい。いろんな肩書きを持ちながら自らを表する時は「作詞家」のみなんてカッコ良過ぎる。中身の無い奴に限っていろいろと訳の分からん肩書きを付けたがる。会社にしても同じだ。分かりやすさは大切だ。難しく言うことでなんだか高尚なものに思わせる手口は姑息で幼稚だ。いかに簡単に、理解しやすく伝えるか、何事においてもいえる事だと思う。驕らず謙虚になることが近道かなと最近痛感する。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-05-01 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2008年 04月 09日

R-25でのエッセイも人気です。【石田衣良】

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石田衣良(いら)、1960年3月28日生まれ。本名は石平庄一。東京都江戸川区出身。1983年、成蹊大学経済学部卒。広告制作会社にてコピーライターとして勤務した後、1997年「池袋ウエストゲートパーク」で第36回オール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。『4TEEN フォーティーン』で第129回(2003年上半期)直木賞を受賞。『眠れぬ真珠』で第13回島清恋愛文学賞受賞。テレビ番組などのコメンテーターとしても活動している。また、作品はテレビドラマ、漫画などにメディアミックス展開されることが多い。また、2006年には映画「LOVE MY LIFE」に出演した。

ペンネームの由来は本名「石平(いしだいら)」を分割したもの。日頃の言動に対しては、朴訥、力まない、冷めた、気取った、と様々な評価があり、好みが分かれる。書くテーマは幅広いが、中でも女性の書き方については定評があるという意見もあり、恋愛小説家としての発言も多い。「日本は中国と韓国と仲良くするべきです」という持論を持っており、各メディアにおいてたびたび発言している。

私と同年代の彼の作品はまだ読んだことはないが、最近様々なメディアで見受けることが多く描いてみたいと思った。私の身近にも彼のファンがおり、結構広い範囲で親しまれてるんだなぁと実感できる。そう言えば最近小説らしいものは殆ど読んでいない。余裕が無いのかもしれない。すぐ何かに役に立つような本・雑誌は目を通すが、読書と言った類のものにはとんと興味が無い。だからと言う訳でもないが、架空のテレビドラマも見ない。お笑いなんかは好きなくせに、仮定の話は嫌いなんだと思う。中学~高校生にかけては結構本を読んだ。太宰治も一通り読破したし、風とともに去りぬのような長編も触れてみた。そのお陰か、こうして文章を書くことは全く抵抗無い。いずれまた読みたくなるときも来るだろうから焦らずにその時まで読書欲の乾くのを待つことにしよう。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-04-09 23:59 | 1960-1964(45~49才)