鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 12月 11日

ゴールドディスク「千の風になって」以来のミリオン認定。【綾小路きみまろ】

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綾小路きみまろ、1950年12月9日生まれ。
快挙である。このCDやDVDが売れない時代に100万枚突破と言う、セールス記録は多くの人々から支持されている証だ。売れないことに理由付けはいくらでもできる。不景気だから、インターネット時代だから。それでも良いものは売れるのだ。我々もつい、言い訳探しから自身の肯定をしてしまうことがよくある。否定するのは辛いし、他人から否定されるのはもっといたたまれない。いつも楽な方に走っていると、習慣からか体が困難に立ち向かえなくなってしまう。抵抗し続けることも大切なようだ(^_^;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-12-11 23:59 | 1950-1954(55~59才)
2008年 12月 05日

テレビ出演のきっかけは『タモリ倶楽部』への代役から。【山田五郎】

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山田五郎、1958年12月5日生まれ。(今日が誕生日)
山田氏は実に博学だ。講談社の様々な雑誌の編集長を歴任してきた経緯もベースとなっているだろうが、元来好奇心がメチャメチャ強い人なんではないだろうか?私もよく新しいモノがでると、我慢することなく財布の中身が許す限りあらゆるものを購入していた時期があった。今では経済的状況もあいまって、欲しいと思っても衝動は抑えられるようになったが、それでも新製品情報などは未だに気になる。買うことで満足してしまって、大して使わなかったものも数多い。自分のものにするという欲求、それを満たすだけでも不満解消になっていたのかもしれない。今ではこの似顔絵ブログがその代役になっている。我慢することもそれなりに大切だ。物事を粗末に扱ってはいけない(ーー;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-12-05 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2008年 12月 03日

南沙織は妻、俳優の篠山輝信は次男。【篠山紀信】

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篠山紀信、1940年12月3日生まれ。(今日が誕生日)
魅力を引き出すことの上手な人がいる。篠山紀信が正にその人だ。潜在的な可能性、魅力をいかにして見抜けるかが写真家としての能力だが、たぶん着眼点が違うのだろう。多くの人と同じ角度からではない、違った目線を持ってることが今の時代には求められる。また己をもそういった目で見つめることができないと生き残っていけない時代に入ってしまった。写真家の目で自分自身を激写してみようではないか。厳しき現実を乗り切りましょう!
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by suzunobu-nigaoe | 2008-12-03 23:59 | 1940-1944(65~69才)
2008年 12月 02日

昨年マネージャーである夫をパーキンソン病で亡くす。【イルカ】

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イルカ(本名:神部としえ)、1950年12月3日生まれ。
親子で政治家は多いが、最近親子で歌手といった人達が目に付くようになってきた。イルカと神部冬馬はまだ世に良く知られてはいないが、森山良子・直太郎を筆頭にテレビでもよく親子の歌手・芸能人を見かけるようになった。親が偉大なだけに比較されることが多く、追い抜くのは大変で難しい。第三者には恵まれてると映っても当人は意外とシンドかったりする。他人には分からない事だらけだ、世の中は。まぁ、結局は自分でどうにかするしかないのだ。誰も解決してはくれない。頑張りましょ(^_^;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-12-02 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2008年 11月 23日

今年も米沢市で「田中邦衛映画祭」を開催。【田中邦衛】

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田中邦衛、1932年11月23日生まれ。(今日が誕生日)
知らなかった、邦衛さん76歳になったんだ~。役者さんとしてはとても個性の強い人だけに、存在感は並々ならぬものがあるよね。できるだけ長生きしていただきたいな。我々の日常ではこのように、改めて気付かされる事実が幾つも存在する。知らんけどな~。なんか、大阪の人の口癖みたいになってしまったが、最近テレビの影響からか全国県民の特徴が暴露されつつある(^_^;)私茨城出身者としては、被害妄想かもしれないがなんだか常にバカにされてるイメージが付きまとってならない。自らも劣等感があるのかもしれない(ーー;)他県にはあるのに茨城にはないものがけっこうある。たとえばローカルテレビ。全国唯一茨城だけ存在しない。県庁所在地水戸の人口も確か全国で最下位に近い。反面いいところも数多いけれど、なんだかなぁあんまり大きな声で自慢できるような県ではない気もする。まぁ、ノビシロのある県と言うことでこれからに期待したいところだ。おめぇらバカにしてんじゃねぇぞ~(茨詭弁で)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-11-23 23:59 | 1930-1934(75~79才)
2008年 09月 25日

メガネっ娘アイドルとして著名な存在。【時東ぁみ】

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メガネっ娘アイドルとして著名な存在。【時東ぁみ】
時東ぁみ、愛称:ぁみにぃ。旧芸名「小松幸江」、「朝倉ひかる」、「時東あみ」。1987年9月25日生まれ。(今日が誕生日)東京都出身。東京都立桜町高等学校卒業。血液型O型。身長154cm、体重46kg。両親と姉の4人家族。2005年、ミスマガジン2005つんく賞を受賞。それを機に「時東あみ」から「時東ぁみ」に改名。 2006年12月JFN系列「第9回インターネット音楽祭」 bayfm賞受賞 2007年、2008年と2年連続で社団法人日本ボウリング場協会主催のボウリング・マスメディア大賞グランプリ受賞。バスケットボール部に所属していた。現在「月刊バスケットボール」で連載も持っている。

ハロー!プロジェクトの辻希美と交友関係が有る。2007年4月にギャル曽根を含めた3人で、ギャルユニット「ギャルル」を結成している(辻の妊娠脱退により安倍麻美が交代参加)。ここでの芸名は「ぁみみ」。メガネは時東を語る上で重要なアイテムであり、メガネに纏わるエピソードは数多い。使用しているメガネはレンズの入っていない、フレームだけの伊達メガネである。江崎グリコ 「プッチンプリン」、タカラ 「ポピラ」、日本コカコーラ 「ジョージア」、バンダイ 「プラコロミニ」、日本マクドナルド、NTTドコモ東海等多数CMにも出演。

世相の移り変わりと共にいろんなアイドルが出現する。私も彼女のことは写真週刊誌で最近知った。1日警察署長だったか?昔と違って今のアイドルには距離感がない。プロとアマにも言える事だが、明確な区切りがなくなってきた。どちらが近づいたのかは定かではないが、素人でも少しの情報量とキャリアであたかも芸能人が如く振舞える環境ではある。ネット社会がそれを可能にした。反面、飽きられるスピードも速い。検索社会の光と影の象徴かもしれない。インターネット人口が全体の7割を超えたといわれる今、自分に必要な情報を如何に取捨選択するかは大きな関心事だ。時間も限りある資源。有効に使いたい(^_^;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-25 23:59 | 1985-1989(20~24才)
2008年 09月 14日

2004年から意識不明のまま植物状態だったらしい。【赤塚不二夫】

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赤塚不二夫、本名:赤塚藤雄、1935年9月14日生まれ。(今日が誕生日)死没:2008年8月2日(満72歳没)東京都文京区出身。 『天才バカボン』『おそ松くん』などのギャグ漫画で知られている。血液型A型。出生地は満州国、本籍地は新潟県内。満州国熱河省に生まれ、6人兄弟の長男として育つ。後に「バカボンのパパ」のモデルとなった父親は、憲兵やスパイとして僻地で宣撫工作を行う特務機関員をしていた。金銭的な問題のために高校への進学は断念。少しでも絵に関係した仕事に就きたいという思いから、映画の看板を制作する市内の看板屋に就職。仕事柄あらゆる映画を鑑賞することとなり、バスター・キートンやチャーリー・チャップリンの喜劇に感銘を受け、同時に「漫画少年」への投稿も始めた。

1956年、曙出版から描き下ろし単行本『嵐をこえて』でデビュー。その後、石森を手伝う形で鈴木伸一や藤子不二雄らのいた豊島区のトキワ荘に移り、第二次新漫画党の結成に参加する。後にブレイン役として長く不二夫を支えた長谷邦夫ともこの頃知り合う。1962年、『おそ松くん』、『ひみつのアッコちゃん』の連載を開始すると一躍人気作家となる。1967年、『天才バカボン』を発表。天才ギャグ作家として時代の寵児となる。1987年、多忙を極める中アルコール依存症に陥っていた不二夫のサポートをと前妻が勧めたことにより、眞知子と結婚。2000年、硬膜下血腫で手術。2006年、赤塚を看病してきた妻の眞知子がクモ膜下出血のため56歳で急逝。前妻も自身の逝去3日目に急逝。

まさに彼の作品と同時に育った世代の私には、漫画のキャラクタ同様いろんあ影響を受けた。テレビアニメ化されたいくつかの作品は今でも主題歌は歌えるし、何も見ないでニャロメやケムンパスを描くことも容易だ。私は劇画漫画が好きだったが、単純な線で表すギャグマンがと言うのは意外にも絵の原点に近いのかもしれない。デフォルメと言って、絵のテクニックでは元の絵を如何に特徴的に崩すかなる技法があるが、似顔絵もかなりその点では漫画に近い部分も持ち合わせている。ひとつの時代が終わったのかもしれないが、彼の作品は今でも多くの人々に笑いとウィットを与え続けてくれている。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-14 22:51 | 1935-1939(70~74才)
2008年 08月 28日

異例の経歴、元婦人警官。【宮川花子】

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宮川花子、本名:松下美智代、1955年8月28日生まれ。(今日が誕生日)漫才ではボケ担当。血液型AB型。大阪府大阪市出身。師匠はチャンバラトリオ。弟子入り前は婦人警察官であった。漫才ではかかあ天下であるが、実生活では亭主関白であるとされる。2006年、結婚30周年(真珠婚式)を迎えた。一人娘はさゆみ・ひかりのさゆみ(松下紗弓)。弟子は沖縄出身でクイズ!紳助くんで活躍する宮川たま子。因みに夫は、宮川大助。1950年10月3日生まれ。師匠は宮川左近(宮川左近ショー)

1979年、大助が妻である花子を誘い「宮川大助・花子」を結成する。当初は大助がよく喋り、花子が相槌を打つ役割であったが、周囲の勧めもあって現在の花子がよく喋り、大介が相槌を打つ形に変更して評判になる。その後上方漫才の賞をいくつも獲得し、現在の地位を確立。しかし、1988年頃から花子が体調を崩し、活動を一時休業することもあった(後に胃癌であったことが発表される)。その頃は実生活でも絶望した花子が荒れるなどして夫婦関係の危機もあったらしいが、病気とともに夫婦の危機も克服。以後は漫才のスタイルも多少変化し、花子が大助を一方的になじるような形から、花子が大助の人柄を観客に自慢するようなオノロケも見られるようになった。後に「愛を見つけた」と言う著書を出版し、ドラマ新銀河「愛を見つけた」と言う題でドラマ化された。

最近、花子が娘のさゆみと弟子のたま子と共に「宮川家の女達」と言うトリオで活動している。また多くの夫婦漫才が離婚する中、数少ない現役で活動する二人だ。彼女を取り上げたのは、闘病の末現場に復帰してきたパワーに圧倒されたのと、漫才で見せる小気味良いマシンガントークが単純に好きだから。見ていて元気をもらえる。人に元気を与えられる人は意外と少ない。ギブアンドテイクと昔から言うが、与えるものが無い人は求めてもいけないと私は思う。全てに通ずることだ。もらうことが優先してばかりでは関係は成り立たない。何でもいい…、与えられる人間でありたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-28 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2008年 08月 12日

「ものまね王座決定戦」での名物審査員姿が懐かしい。【淡谷のり子】

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淡谷のり子、1907年8月12日生まれ。(今日が誕生日) 1999年9月22日逝去(92歳)。青森県青森市出身。愛称は淡谷先生。日本のシャンソン界の先駆者であり、代表曲から「ブルースの女王」と呼ばれる。デビュー当初は、綺麗なハイトーンで素直な歌唱だったが、やがて、妖艶なソプラノで「昭和モダン」の哀愁を歌った。1910年の青森市大火によって生家が没落。10代の頃に実家が破産し、1923年に母と妹と共に上京。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)ピアノ科に入学する。後に荻野綾子に声楽の資質を見出されて声楽科に編入。オペラ歌手を目指すためクラシックの基礎を学んだ。しかし家がだんだんと貧しくなり、学校を1年間休学して絵画の裸婦のモデルを勤めるなどして生活費を稼いだ。淡谷をモデルにした「裸婦臥像」は二科会に出展された。

1931年コロムビアへ移籍。古賀メロディーの「私此頃憂鬱よ」がヒット。映画主題歌を中心に外国のポピュラーソングを吹込む。これらの楽曲は、昭和モダンの香りを漂わせていた。1935年の「ドンニャ・マリキータ」はシャンソンとしてヒットし、日本のシャンソン歌手の第1号となる。日中戦争が勃発した1937年に「別れのブルース」が大ヒット、スターダムへ登りつめる。ブルースの情感を出すために吹込み前の晩酒・タバコを呷り、ソプラノの音域をアルトに下げて歌う。その後も数々の名曲を世に送り出し「淡谷のり子」の名をとどろかせる。

記憶に残る芸能人は少ない。淡谷さんのピーク時は記憶にないが(当たり前だけど)、晩年の歌番組での審査員での歯に衣着せぬ物言いは爽快かつ小気味いいものがあった。物事をハッキリ言えるのは、それ相応のキャリアがないとできることではないし、下手すれば敵も作り易い。愛情から出ている言葉は、厳しささえも相手に伝わる。今の時代私も含め、子供や部下に厳しく対処することができないと言われている。無難に接していたほうが楽だし、相手から嫌われることも少ない。でも本当に言わなければならないこと、相手のためになるならないことはキチンと伝えることも必要だ。淡谷さんが亡くなられて早9年。芸能人でなくとも記憶に残るような生き方ができたら幸いだ。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-12 18:24 | -1919(91才~)
2008年 08月 11日

♪金銀パールプレゼント~も彼の作品。【小林亜星】

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小林亜星、1932年8月11日生まれ。(今日が誕生日)東京都杉並区出身。旧制慶應普通部から慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学医学部入学、経済学部に転部して卒業。作曲を服部正に師事する。息子は『太陽戦隊サンバルカン』のバルパンサー/豹朝夫役で知られる元俳優で、「国語の神様」の異名を取る学習塾講師・小林朝夫。タレント作曲家である。大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。CMソングやテレビ主題歌にヒット曲、ロングランの曲が非常に多く、そのメロディに日本人の多くが馴染んでいるという点では右に出るもののない存在である。

実家は医者で、医学部に入学したものの、医者になりたく無かった事と音楽サークル活動に熱中した事で親に断りなく転部、卒業時に親の知るところとなり勘当される。その後、会社に就職したが二週間で辞め服部正の門を叩く、当初は服部に「音楽大学出身者以外の弟子は取らない」と断られたが、自作曲を録音したカセットテープと連絡先を書いたメモを郵便受けに置いて帰った所、数日後に電話で入門を認められた。なお当時は”ガリガリ”に痩せていたそうである。宮城県仙台市の弁当チェーン「こばやし」のイメージキャラクターでもある。CM代表作:レナウン『ワンサカ娘』/弘田三枝子、『イエ・イエ』/朱里エイコ、日立グループ『日立の樹』(この木なんの木)/ヒデ夕樹、シンガーズ・スリー、明治製菓『チェルシーの歌』/シモンズほか 、ブリヂストン『どこまでも行こう』/山崎唯ほか、ライオン『ブルー・ダイヤ・金銀パールプレゼント』/シンガーズ・スリー/小林亜星等他書ききれないほど多数。

才能ある人って枯渇しないもんなんだね(ーー;)私も少しばかり作曲はするけれど、彼の作品から見たら恥ずかしくって曲作りなんて言えやしない。CMソングってわずか15秒前後の中で、印象に残るフレーズを不特定多数に伝える訳だから、凝縮したものインパクトのあるものでなくてはならない。これって勉強したから身に付くものではないような気がする。生まれもって与えられた翼や鰭のようなものなんだろうな。世の中、こういう人を見るに付け公平ではないなと思ってしまうが、窺い知れない悩みもあるのだろう、亜星さんにも。努力してる部分て意外に見えないもんね。まだまだその才能を世に伝えて頂きたいものだ…。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-11 23:59 | 1930-1934(75~79才)