2008年 05月 31日
![]() 品川祐(ひろし)、1972年4月26日生まれ。東京都渋谷区出身。お笑い芸人。品川庄司のボケ担当。相方は庄司智春。身長173.6cm。血液型A型。母親は、美容家で国際魅力学会会長のマダム路子(品川路子)。父親は、山野グループの株式会社ヤマノ代表取締役社長山野凱章。祖母は山野愛子。美容家山野愛子ジェーンは従姉。2人の姉と1人の兄がおり、4人兄弟の次男で末っ子。長姉はヘアスタイリスト、次姉はシナリオライター・エッセイスト、兄は映像プロデューサー。幼いころに両親が離婚し、母親に引き取られた。2007年3月、母のマダム路子が俳優の片岡五郎と再婚。実際には中学生時代から片岡が父親代わりだったとブログで公表している。 不良漫画に憧れ公立である狛江市立狛江第三中学校に転学。東京都立足立西高等学校中退。高校時代はグレて非行に走り、何度も悪業を繰り返したとテレビ番組で暴露している。番組中で「姉の腹部を蹴って怪我させた」「何回も警察の少年課に世話になった」などの逸話を披露した。その後23歳で東京吉本総合芸能学院(東京NSC)に第1期生として入学、1995年に同期の庄司智春とコンビを結成した。 妻は代々木でカフェを経営しているため、芸人仲間からは喫茶店のババアと呼ばれている。 歌唱力があり、「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」の第10回大会で優勝している。「ドロップ」2006年8月10日発行 執筆活動でのペンネームは「品川ヒロシ」。品川自身の過去を元に、信濃川ヒロシという少年の中学~高校時代を描いた青春小説。月刊少年チャンピオンで、鈴木ダイにより漫画化されている。 自他共に認めるブサイク顔、と紹介されていた。お笑い芸人の彼にはオイシイところか。でも開き直るまでには男と言えど悩んだに違いない。不良をやってきた割には知識も豊富でテレビでもよく博学ぶりを披露している。表面的なカッコ良さは長続きしない。ジュリーにしろ、天地真理にしろ、そのギャップに驚かされる。そういう意味では、品川はプラス評価で得するほうが多いかもしれない。性格的に暗くならないことが良かったのだろう、今はとてもイイ顔になっている。人間悲観し出したらキリが無い。前向きに考えたほうがどれだけ得なことか…。なかなかできないことだけど、自分にもいつもそう言って聞かせている。なんだか、今週はとにかく疲れた(ーー;)。 ■
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| 2008-05-31 19:14
| 1970-1974(35~39才)
2008年 05月 30日
![]() 君島十和子、別名 吉川 十和子 、1966年5月30日生まれ。(今日が誕生日)身長167cm、体重48kg。夫は君島インターナショナル社長の君島誉幸(ファッションデザイナー・君島一郎の次男)。芸能界引退後もカリスマセレブママとして各種メディアに出演している。母親になった現在もモデル時代からの美貌は健在であり、美への限りなき探究心が多くの女性たちの憧れになっている。ファッション・ライフスタイルなどがファンの崇拝対象になっており、熱心なファンは「トワラー」とも呼ばれる。 中学校時代は『mc Sister』のモデル活動をしていた。日本女子大学付属高校3年生の時に「'85JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれモデルデビュー。1986年、『JJ』の専属モデルとなる。1988年、NHK銀河テレビ小説『新橋烏森口青春篇』で女優デビュー。以降、映画・テレビ・舞台と幅広く活躍する。 1995年12月11日、君島明(現・誉幸)との入籍を発表、芸能界を引退。1997年に長女を出産、2001年に次女を出産。現在は君島インターナショナルのスーパーバイザーとして活動し、また自らの化粧品ブランド「フェリーチェトワコ・コスメ」のプロデュースなどを行っている。 セレブと言う言葉が流行りだしてまだ日が浅い。周りに対象となる方がいらっしゃらない(~o~)せいか、ピンとこない人種たちだ。主に女性を指す言葉ではないだろうか?上流階級といった表現が適切かもしれない。現代にも階級があるとするならたぶん私は底辺の方でうごめいている。江戸時代ではないから士農工商と言った格付けなど意味を持たないが、金銭的階級以外に職業で差別することは今でもやっている。階級ではないが血液型でグループ化することなどは皆日常的に行っている。豊かさと言う部分でくくるなら、今問われるのはむしろ心の部分だろう。どんなにお金があっても人への優しさ思いやりに欠ける人々は「豊か」とは言えない。幸い、私の周りには心の豊かな人は沢山いる。しかし、これとて最低限のお金が無ければ貧すれば鈍す―のように他人にまで手を差し伸べることはできない。今、安定したお金を得ることが難しい世の中だ。方法はひとつではないだろうが、どうしたら心と経済的豊かさを確保できるのか、模索することは大いに意味がある…。 ■
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| 2008-05-30 23:59
| 1965-1969(40~44才)
2008年 05月 29日
![]() 大鵬幸喜、本名 納谷幸喜、1940年5月29日生まれ。(今日が誕生日)樺太敷香町出身。身長187cm、体重153kg(共に現役時)。二所ノ関部屋所属。第48代横綱、生涯戦歴872勝182敗136休。幕内戦歴746勝144敗136休(69場所)。血液型B型。北海道川上郡弟子屈町で育つ。父親はウクライナ人のコサック、母親は日本人のハーフ。納谷は母の姓である。幸喜の名は皇紀2600年にちなんでつけられた。1960年代に活躍し、ライバルといわれた柏戸とともに「柏鵬(はくほう)時代」と呼ばれる大相撲の黄金期を築いた。幕内最高優勝32回。 ロシア系であることから、幼少期は酷く苛められたと言われている。敗戦に伴い北海道に引き揚げたが母子家庭だったため家は貧しく、納豆を売り歩きながら家計を助けた話はよく知られている。1960年(昭和35年)1月場所新入幕で初日から11連勝で12勝3敗の好成績を挙げた。幕内で初めて敗れた相手が柏戸である。翌場所は一転の負け越しだったが以降横綱昇進まではすべて2桁の勝ち星であり、その後9勝に終わったのもたった1場所である。1961年(昭和36年)9月場所後に柏戸と共に横綱昇進(同時昇進は史上4例目)。このとき21歳3ヶ月。照國の持つ年少昇進記録を大幅に更新した(のち北の湖に破られる)。新入幕の翌年に横綱になった力士はそれまでになく、その後も出ていない。三賞受賞数が少ないのは、早くに大関・横綱に昇進したためである。同じくハーフ(日本とロシア)である野球の太田幸司同様、大変な美男子だった。当時の子供の好きなものを並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉からも、当時の大鵬の人気と知名度がわかる。 相撲人気が危うい。角界の実力者の多くが外国人で占められている。もはや日本人で彼ほどの大横綱を望むのは叶わぬ夢なのか?久しくヒーローは現れていない。ヒーロー不在の世の中は逆に平和なのかもしれない。何かにすがらなければやりきれない日々と言うのでは殺伐としている。他のスポーツでも昔の巨人やプロレスの力道山のような絶対的王者はいない。それだけ平均化してきたと言うことなのか…。日本人の好きな平均化は個性を埋没させてしまう。これからの時代、全てを無難にこなすよりも一芸に秀でていた方が結果的には良いように私は感じる。他に真似のできないこと、オリジナリティの高いもの、これこそが日本を、社会を救うキーワードだ。周りに流されない生き方、私もトライしていきたい。 ■
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| 2008-05-29 23:59
| 1940-1944(65~69才)
2008年 05月 28日
![]() 黒木メイサ、本名:島袋さつき、1988年5月28日生まれ。(今日が誕生日)沖縄県名護市出身。血液型A型。身長165cm、体重50kg。ファッション雑誌『JJ』などのモデルとして活躍しているが、最近では女優業にも進出し、ドラマ・映画に出演するなど活動の場を広げている。沖縄アクターズスクール在籍時には、トップグループであるB.B.WAVESに所属していた。2004年2月、北区つかこうへい劇団の舞台『熱海殺人事件 平壌から来た女刑事』で初舞台・初主演。2007年、第44回ゴールデン・アロー賞(2006年度)新人賞を受賞した。同じ事務所の所属で同い年の堀北真希は親友であり、後述の写真集「missmatch―堀北真希×黒木メイサ×シノヤマキシン」での共演も実現している。 今年はドラマでも活躍、1ポンドの福音(日本テレビ) -シスターアンジェラ役、風のガーデン(2008年10月-12月放送予定、フジテレビ)-白鳥ルイ役が決まっている。映画では来年公開予定の「昴-スバル」 -宮本すばる役-で主演を張る。他多数のCMにも出演中。 最近モデルから女優へと転進するケースが増えているが、素材が良いからなのだろうか?それとも最初から多くの人の目にとまりやすいからなのだろうか?消費者はとかく飽きやすい。しかもサイクルが短い。常に新しいヒーロー、ヒロインの登場を待ち望んでいる。いわばモデル、女優は商品のようなものだ。商品である以上他との違い、優位性を示さなければ売れるわけはない。我々も日常において生活の糧を得るために何らかの商品を販売して生計を立てている。投資とかを除けば例外なく。そしてそれら商品には必ず対抗品が存在する。自分自身の売り込みもその行為に似ているかもしれない。民主主義の社会で生きると言うことは日々その繰り返しな訳だ。だから習慣として常に自身を持ってアピールできる方法を身につける必要がある。商品が良ければ必ず売れる訳ではない。伝達者のキャラにかかるところも少なくない。そういう意味でもいろんなものに目を向けて、関心を高めて生活することはとても大切だ。自分自身、何が他社と地が違うのか考えてみるのも面白い。 ■
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| 2008-05-28 23:59
| 1985-1989(20~24才)
2008年 05月 27日
![]() 中曾根康弘、1918年5月27日生まれ。(今日が誕生日、90歳)群馬県高崎市出身。東京帝国大学卒。第71~73代内閣総理大臣(在任:1982年11月27日-1987年11月6日)。衆議院議員連続20回当選(1947年~2003年)。位階勲等は従六位大勲位。現職は財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学第12代総長・理事長、名誉総長、東アジア共同体評議会会長。新憲法制定議員同盟会長。職歴は内務省、大日本帝国海軍を経て、内務省に再勤、退官後、衆議院議員選挙に立候補。 以来、中曾根派を形成するなど自由民主党内で頭角を現し、科学技術庁長官をはじめとして運輸大臣、防衛庁長官、通商産業大臣、行政管理庁長官などの閣僚経験を経て、内閣総理大臣となる。 2004年7月19日に鈴木善幸が亡くなったことにより最年長の首相経験者であり、昭和の総理大臣の最後の生存者となった。また、2008年現在存命の首相経験者は、すべて中曾根が辞任した後に首相になった人物である。中曾根内閣は戦後の自民党で最も新保守主義・新自由主義色が濃い内閣であった。日本専売公社、日本国有鉄道および日本電信電話公社の三公社を民営化させる他、長年半官半民であった日本航空の完全民営化を推進させた。次第に国民からの支持も安定し、1986年(昭和61年)の衆参同日選挙(死んだふり解散)では300議席をこえる圧勝となり、その功により総裁任期が1年延長された。また、経済政策ではアメリカの貿易赤字解消のためプラザ合意による円高ドル安政策をとり、これが結果的に日本をバブル経済に突入させたこともありこれについては少なからず批判もある。小泉2003年自由民主党の比例区における73歳の定年制導入により、2003年の総選挙では、自民党の比例区からの出馬が出来ず、立候補を断念し引退した。 政治家は妖怪だ、怪物だとよくささやかれる。個人差はあるが90を超えた今も矍鑠とした人となりには一般人との違いを感じずにはいられない。私の父は65、母も71でこの世を去った。いずれも中曾根氏よりも後から生まれたにも拘わらずだ。想像するに物事への執着が人一倍強いのだろう。生きてやろうと言う思いも半端じゃないに違いない。長短は別にして、健康で生きることは大切だ。どんなにお金があっても健全でない体は煩わしく思える。適度な運動も必要だろうが、それ以上に心のあり方が重要に違いない。楽しく生きられたらいいのだが、人生はそれを毎日は許してはくれない。でも気持ちの持ち方で楽観的に過ごす事はそう難しくは無い。ひと言で言うと受け入れてしまうことかな?もし、私が平均寿命より生きれたとしたならその時証明できるかもしれない。特に長生きにこだわっているわけではないが^_^;せめて、頂いた命なら天寿を全うしたいものだ。川田アナには冥福を祈りたい。 ■
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| 2008-05-27 23:59
| -1919(91才~)
2008年 05月 26日
![]() 東海林のり子、1934年5月26日生まれ。(今日が誕生日) 埼玉県さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校卒業。立教大学文学部英文学科卒業。また、大学の後輩に女優の野際陽子がいた。1957年にニッポン放送に入社。1971年に退社しフリーに転じる。退社後は、テレビのワイドショーの事件レポーターとして活躍。そのレポート振りは、ナンシー関に「(凄惨な事件の現場や被害者の葬儀会場にて)悲しそうな表情で、涙を流しているにもかかわらず、声は鼻声にならず普段通りである。素晴らしいプロ技だ」と高く評価された。「現場の東海林です」でおなじみだが、「現場の東海林がお伝えしました」は実際のレポートの場合は使わない、バラエティやドラマの場合のみ使う。 1995年に起こった阪神淡路大震災のレポートを期にレポーターとしての活動に終止符を打つ事を決意し、その後は司会業やワイドショーのコメンテーターを中心にタレント活動を展開し、現在に至る。しかしながら、リポーターとしての活動を辞め、10年以上経った現在でも東海林のり子=リポーターのイメージはとても強く、バラエティー番組やドラマなどでは未だにリポーターの役をやる事が多い。また、X JAPANの熱狂的なファンで知られ、以後、ロック音楽に造詣が深くなる。インディーズのバンドでも、ライブに足繁く通うことから「ロックの母(ロッキンママ)」とも呼ばれている。 いくつになっても現役でいられることは素晴らしい。ロック好きなんて今まで知らなかったし、先入観で人を判断してはいけないと改めて思った。生きていることを実感してるかのような彼女のレポートぶり。魂からの叫びがそうさせるのか、聞く人の心に伝わるものがある。歌も上辺だけ上手に歌っても人の心に響かない。声の正しい出し方、表現力、発生はもちろんだが、心から絞り出すような思いが無ければ伝わらない気がする。人間の声は楽器だ。東海林さんのように良い楽器は長年の使用にも十分耐えてくれる。会話でコミュニケーションをとる人は、是非意識して「伝える」と言う行為を大切にして頂きたい。とても難しいことだけに…。 ■
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| 2008-05-26 23:59
| 1930-1934(75~79才)
2008年 05月 25日
![]() 琴欧洲勝紀、本名 カロヤン・ステファノフ・マハリャノフ、1983年2月19日生まれ。ブルガリア・ベリコタルノボ出身。身長202cm、体重155kg。佐渡ヶ嶽部屋所属。西大関。生涯戦歴 275勝142敗14休(34場所)。ヨーロッパ出身力士初の大関。握力120kg。長身と、懐の深さ、抜群の格闘技センスで番付を駆け上がり、初土俵から所要11場所で入幕。2005年11月場所終了後に大関に昇進した。得意は右四つ・寄り。通称カロヤン、星座は魚座、血液型はO型、趣味は映画鑑賞、好物はラーメン。端正な顔立ちで人気も高く、一時期は「角界のベッカム」とも呼ばれた。 レスリング経験者で、欧州ジュニアチャンピオンの実績も持つ。左上手を取ってからの強烈な投げや寄りが得意だが、立合いの甘さに課題を残す。総じてプレッシャーに弱いところが弱点とされており、負けたときは苛立ちを見せるなどして精神的に不安定なところも課題と言われる。しかしながら、将来の角界を担う存在として日本国内はもちろんのこと海外からも期待を集めている。翌2008年1月場所は初の大関角番となり、10日目までは7勝3敗としたが11日目から3連敗、14日目にようやく勝ち越して角番脱出の9勝6敗に終わった。 3月場所では、4日目の取組の際、左上腕部を負傷したこともあり8日目まで2勝6敗という大関の名に恥じる不甲斐ない成績であった。その為、9日目から通算2度目の休場に追い込まれ、悔しさのあまり涙した。しかし、5月場所で角番脱出、ヨーロッパ出身力士では初となる幕内最高優勝を果たした。 時代到来と言った感じか。今場所の琴欧州は強かった。全勝とは行かなかったが、内容も立派な取り組みだった。プレッシャーに弱いとよく言われる彼だが、優しい人に多いような気がする。相手のことばかり考えてしまうからだろうか?しかし、総じて一度自信が付くと勢いに乗るようなことは少なくない。欧州出身初の横綱を期待されるこれからの琴欧州が楽しみだ。期待される人とされない人、どちらも幸不幸あるかもしれないが、期待されたならそれに応えられるよう全力を尽くすべきだ。何もできない人に人は期待することはない。ならば、過去の実績が評価されたとプラスに考えた方が喜ばしいし、いっそ楽しんでしまえば展開も変わると言うものだ。混沌とした世の中、絶対はありえないが、やる前から諦めるようなことだけはしたくない。 ■
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| 2008-05-25 23:59
| 1980-1984(25~29才)
2008年 05月 24日
![]() 佐々木希(のぞみ)、1988年2月8日生まれ。秋田県出身。血液型AB型。身長168cm。2005年ヤングジャンプギャルコン2005グランプリ、2006年プリンセスPINKY グランプリ、2007年7月号で初カバーガール、2008年3月号で初単独表紙。家族は母と兄二人。趣味は音楽鑑賞、ピンク&キラキラもの収集。特技は新体操・日舞。口癖は「何かしたい」(暇な時間が嫌いなため)、長所:何事にもポジティブで立ち直りが早い、短所:おっちょこちょい。将来の夢:BIGなモデル、世界一周旅行。芸能界に入る前は秋田で店員をやっていた。憧れの芸能人が木村佳乃だったのがきっかけで現在の事務所に所属となった。将来の目標は女優。 PINKY(集英社)専属モデル、週刊ヤングジャンプ、週刊TVガイド連載中、魚住誠一著「おしゃれなポートレイトの撮り方」他にも、さまざまな雑誌やカタログ等でモデルを務める。出演CM・広告:PINKY、爽健美茶(2008年2月~)、So-net(2008年4月~)、CHERICHE by samourai woman (香水)、POLA cofu KateRuber (ジュエリー)等。 先日のお笑い番組「レッド・カーペット」に審査員で出演していた。こんな可愛い娘、いたんだぁ!って印象の彼女。まだ二十歳だからこれから先、いろんな可能性を秘めている期待感が大きい。私の場合は二十歳で結婚を決意し、21歳で娘を授かった。殆ど勢いだけだったように思える。早い遅いは良い悪いではない。植物でも動物でも個体差によってサイクルは決められている。だから気にする必要は無い。本人にあった人生を楽しめばいいのではないかと感じる。希ちゃんのように可愛らしさが脚光を浴びると、それを裏切らないように努めるのが大変だ。だから我々凡人は恵まれているかもしれない。期待されない幸せがそこにあるから。でもホントに可愛いねぇ~、のぞみちゃん!(^^)! ■
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| 2008-05-24 23:44
| 1985-1989(20~24才)
2008年 05月 23日
![]() 小堀佑介、1982年10月11日生まれ。血液型O型。千葉県四街道市出身。角海老宝石ボクシングジム所属。日本スーパーフェザー級チャンピオン。2006年1月14日、ジムの先輩本望信人の返上により空位となった日本スーパーフェザー級王座を真鍋と争い、2ラウンドTKOに下してタイトル獲得。2007年5月19日、東洋太平洋同級王座を懸け、村上潤二と対戦。7回TKOで。日本王座4度目の防衛ともに史上10人目の2冠獲得となる。 プロボクシングのWBA世界ライト級タイトルマッチが19日、東京・ディファ有明で行われ、同級7位の小堀が王者ホセ・アルファロ(24=ニカラグア)を3回2分8秒、TKOで破り、世界初挑戦で王座奪取に成功した。2回にダウンを奪われたが、3回に左フックでダウンを奪い、最後はレフェリーストップに持ち込んだ。伝統のライト級の日本人世界王者はガッツ石松、畑山隆則に続いて3人目。アルファロは初防衛に失敗した。世界王者となっても天然キャラは健在だった。逆転KOによる王座奪取から一夜明けた20日、都内で会見。世界でも選手層の厚いライト級王座を守るため、結婚はもちろん、女性との交際自体を自制する考えを明かした。もともと、人付き合いが苦手なタイプ。王座獲得後も、趣味の睡眠以外は、ボクシングひと筋を貫く。男女交際の楽しみは、引退後に取っておくようだ。 突然有名になったものだから、調べてみてもなかなか彼のプロフィールは出てこなかった^_^;。誰も予想はしていなかったのだろう。試合中継すらなされていなかった。右へ習えの日本人の悪癖だが、マスコミ関係はもっとこだわりをもって独自の取材をするべきだ。話題性ばかり先行すると斬新なものは生まれてこない。きっと彼のこれからは大きく変わっていくのだろうな…。プライベートも無くなってしまうに違いない。職務尋問をされた頃がなつかしく思えるかもしれない。一般人というのはある意味ありがたい。多くの法律に守られている。仮に仕事中にサボったところで誰も気付く人もいないし、どこかお店に行って騒がれることもない。人間は何かを得ると何かを失うようにできているような気がする。たとえばお金。友人と信頼も失くすとよく言われる。向上目的で求めることは大切だが、全てに満ち満ちている状態はあり得ないのかもしれない。何が自分にとって本当に大切なのか、今一度考えてみるとホントの価値観が構築されるような気がする。 ■
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by suzunobu-nigaoe
| 2008-05-23 23:59
| 1980-1984(25~29才)
2008年 05月 22日
![]() 田中麗奈、愛称れなぽん、なっちゃん、1980年5月22日生まれ。(今日が誕生日)福岡県久留米市出身。血液型A型。 西日本短期大学付属高等学校卒業。5歳の時から既に女優を志し、小学校6年生の時から実際にオーディションを受け始める。そして、中学2年生の時に、父親の紹介で福岡のモデル事務所「レイ・ワールド」に所属。数々の九州ローカルCMに出演を果たす。1998年に放送されたサントリーのジュース・なっちゃんのCMの初代キャラクターで人気を集めた。1999年末には荒井注を含むザ・ドリフターズの面々が揃った写ルンですの2000年正月用七福神のCMで共演。荒井が2000年2月に逝去したためドリフターズ新旧面々の揃った映像はこれが最後となり、いかりや長介の著書『だめだこりゃ』にも紹介されている写真の中に田中も写っている。人気が出てからも、テレビドラマへの出演やバラエティ番組の参加は、ほんの数本しかなかったが、2006年あたりから映画の番宣のフィルム出演としては、バラエティ番組の顔見せも目立ってきている。しかし、主としては引き続き映画かCMでの活動が中心。数々の賞を受賞し、その演技力には一目置く映画監督も多い。 2006年、主演映画『暗い所で待ち合わせ』で孤独な盲目女性役として、実力派女優ならではの迫真の演技を披露した。この映画で共演したチェン・ボーリンとは同年『幻遊伝』でも再度共演した。さらに同年広島原爆をテーマとするこうの史代作の漫画『夕凪の街 桜の国』に惚れ込み同作の映画化に出演を熱望。今までで最も社会性の強い作品のヒロインを演じる。また、同年11月8日発売の、melody.が歌うシングル『Lovin' U』のカップリング曲「Our Journey」を、melody.との共同で制作した。2007年には、『ゲゲゲの鬼太郎』初の実写映画で妖怪の猫娘を好演し、改めて女優として色々な役に積極的に挑戦する姿勢を見せた。ここ近年海外への進出にも力を入れている。今年出演の映画だけでも銀色のシーズン(1月12日公開、東宝)綾瀬七海役、犬と私の10の約束(3月15日公開、松竹)斉藤あかり役、築地魚河岸三代目(6月公開予定、松竹)鏑木明日香役、山桜(初夏公開予定)、ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌(夏公開予定、松竹)猫娘役と実に多忙な日程をこなしている。 なっちゃんのCMから早10年。少女が女性へと進化した10年でもあった。人間を花にたとえるなら人によって開花時期は異なる。また、何度も開花する人もいれば一度も花を開かずに生涯を閉じる人もいる。仮に脚光を浴びることを「開花」と捉えたなら、彼女のように幼いころから求めている姿勢の強い人の方がそのチャンスは大きいように感じる。聖書の言葉ではないが「求めよ、さらば与えられん。」と言うのは真理だなと最近痛切に思う。求めてる人には周りも手を差し伸べてあげたくなる。如何に意思表示の大切なことか、赤ちゃんの一挙手一動を見てもうなづくことができる。私も今、限りある人生の中でしたいことを求めだした。今までは何とかなるだろう的な人生観だったがそれじゃいけないとやっと気付いた。早い方が良いことと遅くても間に合うことがある。人生における前向きな気持ちは当然後者だろう。花の色、大きさは別にして、これからも開花し実を付けたいものだ。 ■
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by suzunobu-nigaoe
| 2008-05-22 23:59
| 1980-1984(25~29才)
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アバウト
★ 似顔絵ファクトリー★
似顔絵の制作承ります。
詳しくは、こちら をご覧下さい。 ※「こちら」の上でクリックしてください。 似顔絵プリントのおせんべい屋さん「天一せんべい」さんと提携させていただきました。詳しくは、、こちら をご覧下さい。 カテゴリ
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