鈴信博堂の似顔絵日記

suzunobu.exblog.jp
ブログトップ
2008年 06月 26日

あのジュリーがもう60歳!【沢田研二】

c0119436_6393856.jpg

沢田研二、1948年6月25日生まれ。(昨日が還暦)京都府立鴨沂高等学校中退。京都市出身。妻は田中裕子。中学では野球部に、高校では空手部に所属。ジュリー・アンドリュースのファンだったことから「ジュリー」と呼ばれるようになった。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」と続く「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」でブレイクしたザ・タイガースは、折りからのグループ・サウンズブームも相まって瞬く間にトップ・アイドルとなる。とりわけ、大きな瞳が特徴的な端正な風貌の沢田は10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルになった。

急速に音楽シーンが多様化し、爆発的なブームにも退潮の兆しが見え始めた中で、沢田は1969年12月1日に初のソロ作品「JULIE」を発売し、それ以降は他のメンバーのソロ活動も多くなった。そして、1970年12月7日にザ・タイガースは解散を表明。翌年の1月24日に日本武道館で行われた「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」を最後に、その活動に幕を下ろした。実質的なソロ活動元年となった1973年には、「危険なふたり」で第4回日本歌謡大賞を受賞した。この作品からスタイリストとして早川タケジが参加し、以降斬新なファッションが確立された。1975年5月発売のシングル「巴里にひとり」の仏語版「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」がフランスのヒットチャートでトップ10にランクインするなど、海外での活動も評価を得る。沢田が主役を演じたTBS系ドラマ「悪魔のようなあいつ」の主題歌として同年の8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は、90万枚を超えるセールスを記録し、沢田にとっての最大級のヒット曲となった。

懐メロ番組、のど自慢番組の類には出演しない。腐ってもジュリーと言ったら失礼だが、還暦を迎えた今もプライドを持ってアーティスト人生を歩んでいる。容姿もそれなりに老いを隠せないが、全盛期のジュリーのオーラは半端じゃなかった。「食事をしたお客の前で歌いたくない」とのことからディナーショーは行わないなど、プライドの高さが賛否をかもす部分もなくはないが、それくらいのこだわりがあるのも彼らしい。妥協して生きく方がどれだけ楽なことか…。もういいや、と思った時点でその人の人生は頂を諦めている事になる。私も未だそのような生き方は望まない。還暦までまだ10年以上ある。何ができるかジタバタしてみたい。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2008-06-26 23:59 | 1945-1949(60~64才)


<< 進化し続ける28歳。【優香】      在日をカミングアウト。【南果歩】 >>