2008年 05月 01日
秋元康(やすし)、1956年5月2日生まれ。中央大学附属高等学校業後は中央大学文学部へ進学したが大学にはほとんど通っておらず単に籍を置いていただけであった。やがて、放送作家一本で生きていくことを決意、大学は中退している。後に、高校生・大学生としては異例なほどの収入があったと当時のことを回想している。その後、放送作家に物足りなさを感じていたところ、筒美京平が作曲した稲垣潤一が歌唱する楽曲に作詞する機会を得て、初めて作詞に挑戦した「ドラマティック・レイン」が正式採用となり、シングル発売。これを機に、作詞家としても活動を開始するようになる。 放送作家として「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」を手がけ、とんねるずやおニャン子ク ラブの仕掛人としても知られる。また、作詞家としてとんねるず、おニャン子クラブなど数多くのアーティストの楽曲の作詞を手がけるほか、作家、映画監督など多くの分野でも活躍している。2005年4月、京都造形芸術大学芸術学部教授に就任。2007年4月1日より同大学副学長に就任した。作詞家としての作品の総売上は、4,000万枚を超える。作詞家としてのデビュー作品は、フジテレビ系列で放送された『とんでも戦士ムテキング』のエンディングテーマである。作詞家としてはとんねるずなどに提供している、メッセージソングやパロディソングばかりでなく、美空ひばりの『川の流れのように』など、シリアスな曲も多数書いている。また、猿岩石の楽曲、アニメソングの作詞を担当する際に「高井麻巳子は良妻」をもじった高井 良斉(たかい りょうさい)のペンネームを用いている。 才能に満ち溢れる人物だ。美空ひばりの作詞からも伺えるが情景を巧みに描くその偉才には脱帽する。ちなみに河の流れのようにの「河」とはニューヨークのハドソン河のことらしい。いろんな肩書きを持ちながら自らを表する時は「作詞家」のみなんてカッコ良過ぎる。中身の無い奴に限っていろいろと訳の分からん肩書きを付けたがる。会社にしても同じだ。分かりやすさは大切だ。難しく言うことでなんだか高尚なものに思わせる手口は姑息で幼稚だ。いかに簡単に、理解しやすく伝えるか、何事においてもいえる事だと思う。驕らず謙虚になることが近道かなと最近痛感する。
by suzunobu-nigaoe
| 2008-05-01 23:59
| 1955-1959(50~54才)
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