鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 03月 20日

中学時代はイジメられっこだった。【内藤大助】

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内藤大助、1974年8月30日生まれ。北海道虻田郡出身。WBC世界フライ級王者・元日本&OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属。北海道豊浦高等学校卒。血液型A型。愛称は「北の剛拳」「最短男」。貧しい母子家庭に育った。中学校時代はいじめが原因で胃潰瘍になるほどであったという。高校生の時はハンドボール部に所属。高校卒業後就職のために上京し、アパートの近くのボクシングジムに入門した。1996年10月11日、プロデビューを1RKOで飾る。1998年12月19日、全日本フライ級新人王決定戦で福山登に1RKO勝ちし、9勝1引分で新人王を獲得。2001年7月16日、坂田健史の持つ日本フライ級王座に挑戦し、引き分けで王座獲得ならず。しかし、この試合は内藤の勝利を支持する声も多く見られた。 2002年4月19日、タイでポンサックレック・シンワンチャーのWBC世界フライ級王座に挑戦し、世界フライ級タイトルマッチ史上最短の1R34秒KO負けを喫する。しかし、復帰戦でKO勝ちすると、その後も菊井徹平を下すなど順調に勝ち進みランキングを上昇させてゆく。

2006年6月、東洋太平洋フライ級王者小松則幸と、史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを行い、小松を6RTKOで破り、日本・東洋太平洋王座の2冠を達成する。2007年7月18日、WBC世界フライ級王座3度目の挑戦で、王者ポンサクレック・ウォンジョンカム?に12R判定勝ちし、5年前の雪辱を果たす。世界初挑戦から約5年、ついに悲願のチャンピオンベルトを巻いた。2007年10月11日、初防衛戦を行い、WBC世界フライ級14位の亀田大毅に3-0の大差の判定で圧勝。初防衛。2008年3月8日に両国国技館で、2度目の防衛戦で前王者ポンサクレックの挑戦を受け2度目のタイトル防衛。

亀田大毅戦から全国区になった彼。テレビ露出が頻繁になったことから、賛否交えての批判を受けるが今回の防衛戦で引き分けではあるが結果を残した。プロセスはともかく、プロであるならキチンと期待された成果を示すことは責務として大切な事だ。私は似顔絵以外に異なる営業の仕事も持っているが、どんなに一生懸命頑張ったところで売れなければ評価は無いに等しい。頑張らなくても売れればいいわけだ。そこまで極端ではないにしても、大人として生きると言うことは責任を果たす事だと思う。そういう意味からも自らの生き方、再考してみたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-20 23:59 | 1970-1974(35~39才)


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