鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 09月 30日

日課は腹筋1000回で20年間続けているという。【東山紀之】

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東山紀之、1966年9月30日生まれ。(今日が誕生日)血液型A型。身長178cm。愛称はヒガシ。神奈川県川崎市幸区出身。ジャニー喜多川から直接スカウトされた数少ない人の一人。明治大学付属中野高校定時制中退。 1982年少年隊のメンバーとなる。芸能界屈指の運動能力を誇る男である。キレのあるハイレベルなダンスパフォーマンスと体操選手のような形の美しいバック転、バック宙を軽々とこなすのは特筆に値する。体脂肪率は10%台前半をキープ性格は几帳面で責任感が強く、プロ意識を常に持ち、2003年に行われた舞台では、公演が始まってすぐ上演中に足の甲を数ヶ所も骨折するというアクシデントに見舞われながらも、一日も休むことなく千秋楽まで激しいダンスを踊り役をこなした。

ジャニーズ事務所のタレントとしてはじめて本格的に時代劇に進出した男でもある。NHK大河ドラマの主演(『琉球の風』 1993年 )を初めて務めたジャニーズタレント。現代劇でもシリアスな二枚目役から近年の「喰いタン」主人公のようなコミカルな役まで幅広い役柄をこなす。森光子との親交はとくに知られているが、芸能界、歌舞伎界、スポーツ界、セレブ界、はたまたお笑い界…と、交友関係は実に幅広い。 自分よりも芸歴の長い大物タレントへの接し方が礼儀正しく、紳士的であることから、デビューから4、5年の間、歌番組の司会者として自身が世話になった黒柳徹子、芳村真理やうつみ宮土理、富司純子など大物の女性タレントとも堅い信頼関係を築いており、一目置かれている。マイケル・ジャクソンを若い頃から尊敬している。彼のダンスパフォーマンスに衝撃を受け、常に参考にしているとのこと。

肉体年齢をいつまでも若く維持したいと言うのは万人の願望だ。しかしながら、40歳を超えた辺りから新陳代謝も落ちてきて肉体には脂肪というなの鎧が覆い始める。にもかかわらずヒガシの肉体は驚くほど若い。かく言う私も二十歳の頃からアルコールは殆ど欠かしたことがなく、好きなものは止められないのが現状だ。食欲は恐るべしでなかなかこれに打ち勝つことは難しい。彼のように自らの納得を追及していくと、結婚もできないのが実情かもしれない。結婚とは相手に合わせることも必要とされる。そういう意味では一人のほうが気楽な部分は多い。結婚の是非はともかく、ストイックなほど自らの美学にこだわる生き方もそれはそれでカッコイイかなと彼を見ていてそう思った。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-30 23:59 | 1965-1969(40~44才)
2008年 09月 29日

芸能界で一番仲の良いのはスザンヌ。【木下優樹菜】

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芸能界で一番仲の良いのはスザンヌ。【木下優樹菜】
木下優樹菜、愛称:ユッキーナ、1987年12月4日生まれ。東京都葛飾区出身。血液型A型。身長169cm、体重54kg。渋谷高等学院(サポート校)卒業。三人姉妹の末っ子として生まれる。江戸っ子気質がある。 デビュー前の13歳時、2001年に行われたモーニング娘。第5期オーディション『モーニング娘。LOVEオーディション21』で最終選考の9人に残るが、メンバーにはなれなかった。 元ヤンキーであることはテレビ番組などで自ら公言しており、中学時代には副番長を務めていた。1対1、いわゆる「タイマン」でトーナメントを勝ち上がり、優勝すると番長になれるというローカルルールのもとで番長決定戦が行われたが、本人は決勝で負けた為に副番長となった。

2006年に渋谷でスカウトされ(なお、スカウトされる前は109でショップ店員をしていた)、現在の芸能事務所に所属し、翌2007年、三愛水着イメージガールに抜擢。スポンサーモデルを勤める傍ら、グラビア方面でも活躍。また体育会系ノリの潔いおバカタレントとしてバラエティ番組に取り上げられるようになった。特に、後述の『クイズ!ヘキサゴンII』でレギュラー解答者となり知名度を上げる。2008年から『PINKY』3ヶ月間の実習モデルを経て5月号をもって専属モデルになる。2008年5月からハチワンダイバーで女優デビュー。

モデル出身の女性はいろいろ潰しが効くようで、歌手・女優業への転進も最近よく耳にする。やっぱり見た目は大切なのかなぁ?売れるかどうかのリスクが少ないかもね。世の中、リスクヘッジという万一の危機回避法も花盛りだが、今日米株価が最大の下げ幅を記録した。経済の不透明感がより一層深刻になったためだ。小手先のリスクヘッジなど全く持って役に立たない時代に突入しているのかもしれない。そういう意味では、彼女のような天真爛漫的な生き方も今の時代にはありなのかなと思えてくる。一昔前だったら絶対安全、安心と言った仕事、企業、環境が存在した。リスクが少ない代わりに面白みにも欠けていたようにも感じる。是非は人それぞれだが、今の時代ならではの楽しみ方もある。原点に還ることだ。基本的に好きか嫌いか、あるいは社会的貢献も含めて架空経済からの脱却を迫られているのかもしれない。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-29 23:59 | 1985-1989(20~24才)
2008年 09月 28日

妻、奥居香との出会いは番組中の壮絶な喧嘩がきっかけ?【岸谷五朗】

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岸谷五朗、1964年9月27日生まれ。東京都武蔵野市出身。東京都立小平高等、学校卒業、中央大学商学部中退。血液型O型。妻は元プリンセス・プリンセスのボーカルであった奥居香。大学在学中、三宅裕司が主催する劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団。『夜明けのミステリーはローズマリー風味』で初舞台を踏み、看板俳優として活躍。1987年に同劇団の寺脇康文、山田幸伸とユニット「SET隊」(せったい)を結成し、ラジオドラマやコントなどの活動を行う。役者として独り立ちする為に1994年劇団を退団。同時にスーパー・エキセントリック・シアター退団した寺脇とは、企画ユニット「地球ゴージャス」を結成。

TBSラジオで放送していた『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』で初めてディスクジョッキーとなり、ホンジャマカの恵俊彰と共演。この番組が切っ掛けで2人の知名度が急上昇。映画『月はどっちに出ている』では主役に抜擢され、以後テレビドラマや映画に引っ張りだことなる。現在2児の父親。世界エイズデーに全国で開かれていれる『AAA?アクト・アゲインスト・エイズ』の発起人でもある。AAA関連の人物との交流が深く、ファンでもある桑田佳祐のラジオ番組『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド?やさしい夜遊び?』に、毎年暮れに出演している。ドラマ『みにくいアヒルの子』で北海道から東京に出てきた教師を演じたことがきっかけで、北海道に関係のある商品のCMに出ることが多い。

舞台共演から親しくなっていた本田美奈子の葬儀では、弔辞を読んだ。「本当の天使になった美奈子ちゃんへ」という一節は、多くのファンの涙を誘っていた。私も父母両親の弔辞を読んだことがある。どちらも不思議と涙は出なかった。相応の準備期間があったからだと思う。25歳のとき親友を事故で亡くした時には大泣きした。突然だったからまさかという想いが拍車をかけた。これまで何人の人を送ってきただろうか?生まれてきた順という訳ではないから難しい。私の場合、仮に寿命を全うしたとしてあと30年程度生きられる可能性はある。しかし保証のない時間だ。何ができるだろうか?せめて人に迷惑をかけない生き方だけは心がけたい。欲を言うなら集大成としての形が残るなら嬉しい。岸谷さんも世界エイズデーに対して自らの活動をしているが、私も社会貢献をしなくちゃいけないと最近よく思うようになってきた。果たして何ができるだろうか?日々の暮らしに追われ、模索するだけの毎日だ。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-28 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2008年 09月 27日

『大ちゃん数え唄』は38年前の作品!【天童よしみ】

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天童よしみ、本名:吉田芳美、1957年9月26日生まれ。(今日が誕生日)和歌山県田辺市出身。幼少期に大阪府八尾市に移住し、現在も在住。 八尾市立龍華小学校、八尾市立龍華中学校卒業。血液型はB型。 中学生であった頃の1970年10月4日に、吉田よしみ名義で『大ちゃん数え唄』を発売。フジテレビ系列で放映されたテレビアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌である。1972年、讀賣テレビ「全日本歌謡選手権」で10週連続勝ち抜き、7代目グランドチャンピオンに輝く。レギュラー審査員のルポライター竹中労が作詞した『風が吹く』で、天童よしみ(竹中命名)としてキャニオンレコードからプロデビュー。

しかしその後、10年に亘る長い低迷を経験、一旦は引退も決意するが、両親の説得で思いとどまる。その後、1986年12月にテイチクレコード移籍第一号として『道頓堀(とんぼり)人情』を発売するにあたり、北は北海道から南は福岡県まで1ヶ月で300件もの営業をこなし、有線からじわじわと人気が出、結果ヒット作となった。以降、1993年紅白歌合戦初出場、1996年に発売した『珍島物語』はロングヒットで自身初のミリオンセラーとなり、天性のキャラクターと相まって不動の人気を誇っている。1998年には、「天童よしみキーホルダー」が若い世代の人気を呼び、話題となった。2006年8月29日、紅頭巾名義でシングル『紅頭巾参上』を発売。新歌舞伎座の特別公演「天童よしみの痛快!紅頭巾~明日への道標~」の挿入歌である。

札幌二日目の夜である。私は明日東京に帰るが、天童さんはこの札幌をスタートに全国を回って営業活動をした。単純に割り算しても1日10件以上のハードスケジュールだ。ラストチャンスとして賭けに出たようだ。一か八か…選択を迫られることは誰しもある。そこで思い切り踏み切れるかどうか、もしくは運があるかないか、ターニングポイントは本人が決めるしかない。諦めも選択肢のひとつだが後悔は残るだろう。できることを精一杯やると言う姿勢、彼女の生き方から学ぶことができる。日本全国、殆どの都市を回った。コンビニがあり、居酒屋の見慣れた看板は独自性を失わせるが、触れ合う人柄が大きく異なる。気のせいか北海道の方々はおおらかに感じる。横断歩道もここでならキチンと赤で止まれるから不思議だ(^_^;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-27 19:15 | 1955-1959(50~54才)
2008年 09月 26日

弟子には泉ピン子、牧ひろしらがいる。【牧伸二】

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牧伸二、本名:大井守常、1934年9月26日生まれ。(今日が誕生日)東京都目黒区出身。ハワイアンをアレンジした自作曲に、やんなっちゃった等の社会批評を乗せて歌う、ウクレレ漫談の創始者。ギターに持ち替えたり、レゲエやロックに挑戦したこともある。中学時代の2年後輩に、立川談志がいる。夜間高校に通いながら、温度計屋に勤める。高校1年のころ、牧野周一の漫談をラジオを聞き、浅草の話術同好会「話術クラブ」に入る。

高校卒業後、家業の板金屋を継いでいたが、1957年にラジオ東京(現TBS)の『素人寄席』で7週連続で名人位を獲得。この実績をもって牧野に正式入門を許され、牧伸二の芸名をもらうと共に、ウクレレ漫談を薦められた。歌うボヤキ漫談『やんなっちゃった節』で人気者になり、早くも1960年に文化放送でレギュラー番組『ウクレレ週刊誌』を持たされる。この『やんなっちゃった節』は、時世に応じた1500余の歌詞ストックがある一方、牧自身も舞台で原曲を披露することがある。1965年に第2回日本放送作家協会賞・大衆芸能賞を受賞し、喜劇映画・バラエティ番組などにも活躍の場を広げた。余りに早く成功したため芸の壁にぶつかり、一時舞台を休み勝ちになったが、師匠の牧野周一が穴埋めをした。デビュー以来在籍した佐藤事務所の解散に伴い、一門を率いて2007年に独立した。

とにかく芸歴が長い。74歳にしてバリバリの現役だ。野球選手のアラフォー引退から見れば驚異的な息の長さだ。培ってきた引き出しの数も半端じゃない。だからどんな状況でも慌てずに対応できる。若者との違いは経験の差とでも言ったところだろうか。今日は私は単身札幌に来ている。残念ながら遊びではない。今日ぐらいから寒いと感じるようになったと、現地の方も言っていた。季節が確実に変化している。人間の一生も季節にたとえるなら、牧さんは年齢的に言うと一般的には冬に近い(失礼)はずだが、まだまだ元気だ。個人差があるんだなぁとつくづく痛感する。意識の持ち方、鍛え方、環境で季節の進行度合いは全く異なるのが人間の体。北海道の方は車に乗る週間が多いせいか、東京の人たちより歩かないと聞かされた。すすきのから駅まで食後の散歩をしてきたが、街が広々していて散歩するのも気分が良い。これも健康であってこそだ。牧さんの今後の活躍にも期待したい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-26 23:59
2008年 09月 25日

メガネっ娘アイドルとして著名な存在。【時東ぁみ】

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メガネっ娘アイドルとして著名な存在。【時東ぁみ】
時東ぁみ、愛称:ぁみにぃ。旧芸名「小松幸江」、「朝倉ひかる」、「時東あみ」。1987年9月25日生まれ。(今日が誕生日)東京都出身。東京都立桜町高等学校卒業。血液型O型。身長154cm、体重46kg。両親と姉の4人家族。2005年、ミスマガジン2005つんく賞を受賞。それを機に「時東あみ」から「時東ぁみ」に改名。 2006年12月JFN系列「第9回インターネット音楽祭」 bayfm賞受賞 2007年、2008年と2年連続で社団法人日本ボウリング場協会主催のボウリング・マスメディア大賞グランプリ受賞。バスケットボール部に所属していた。現在「月刊バスケットボール」で連載も持っている。

ハロー!プロジェクトの辻希美と交友関係が有る。2007年4月にギャル曽根を含めた3人で、ギャルユニット「ギャルル」を結成している(辻の妊娠脱退により安倍麻美が交代参加)。ここでの芸名は「ぁみみ」。メガネは時東を語る上で重要なアイテムであり、メガネに纏わるエピソードは数多い。使用しているメガネはレンズの入っていない、フレームだけの伊達メガネである。江崎グリコ 「プッチンプリン」、タカラ 「ポピラ」、日本コカコーラ 「ジョージア」、バンダイ 「プラコロミニ」、日本マクドナルド、NTTドコモ東海等多数CMにも出演。

世相の移り変わりと共にいろんなアイドルが出現する。私も彼女のことは写真週刊誌で最近知った。1日警察署長だったか?昔と違って今のアイドルには距離感がない。プロとアマにも言える事だが、明確な区切りがなくなってきた。どちらが近づいたのかは定かではないが、素人でも少しの情報量とキャリアであたかも芸能人が如く振舞える環境ではある。ネット社会がそれを可能にした。反面、飽きられるスピードも速い。検索社会の光と影の象徴かもしれない。インターネット人口が全体の7割を超えたといわれる今、自分に必要な情報を如何に取捨選択するかは大きな関心事だ。時間も限りある資源。有効に使いたい(^_^;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-25 23:59 | 1985-1989(20~24才)
2008年 09月 24日

「内山が唯一の弟子かもな?」by明石家さんま【内山信二】

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内山信二、1981年9月25日生まれ。東京都葛飾区新宿出身。身長176センチ、体重125kg。血液型O型。子役出身で、そのふくよかな体型を売りにしている。いわゆる「デブタレ」で、伊集院光、石塚英彦、松村邦洋らとともに日本の「デブタレ四天王」の一人と呼ばれるほどまでになる。。愛称は「内山君」。タレント業の傍ら、2006年より実兄(本人と同じ体型である)と訪問介護サービス「まごのて株式会社内山企画」を都内で経営し、代表取締役社長を務めている。実家は魚屋だったが閉店した。

子役時代に『あっぱれさんま大先生』に出演し人気を博す。同番組のレポーターとしても活躍し、8年という長い期間レギュラー出演をしていた。鉄棒の逆上がりが出来ず、悔し涙を流しながら練習して逆上がりが出来るようになった、というエピソードがある。「授業参観スペシャル」に登場する、個性的な父親も人気であった。趣味はビンテージ(年代)物を中心とした古着の収集。2007年7月、約8年同棲し同年1月に別れた女性(30)から、内山の浮気が原因で精神的苦痛を受けたとして、500万円の損害賠償を求める訴訟を起こされていたことがわかった。なお、現在は和解している。

副業を持っている芸能人は多い。飲食店関係が殆どだが、内山君のように介護サービスというのは異例かもしれない。サラリーマンでも最近はアフィリエイトだとかネットオークションのように、ネット上でできる片手間の仕事をしている人も増えている。世の中変わったものだ。汗して働くばかりが労働ではないのだ。しかし、実態経済が伴わない金融や株の世界は、1敗しただけで取り返しの付かない状況に陥ることも少なくない。リスクの高いものはほどほどにしておくべきだ。儲けの世界に絶対はあり得ないし、何が起こるか分からないのも今の世相だ。私もいろんなビジネスを体験してきたが、友人を紹介したりする仕事はコケた時に人間関係も絶ち切れる。仕事はやり直しがきくが、友人関係はそうはいかない。食べるためでない仕事なら、内容は選びたいものだ(-_-;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-24 23:59 | 1980-1984(25~29才)
2008年 09月 23日

鈴木杏は親戚で芸名に杏と言う字をもらった。【鈴木杏樹】

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鈴木杏樹、1969年9月23日生まれ。(今日が誕生日)兵庫県神戸市東灘区出身。血液型AB型。夫は外科医(1998年に結婚)の山形基夫。身長161cm。マリスト国際学校高等部中退、東京都立上野高等学校卒業。歌手志望の為にイギリスに留学。1990年、EPICソニーからKAKKOとして『We Should Be Dancing』をリリース(後に穴井夕子がカバーしてリリース)。そして湾岸戦争の影響で帰国、ドラマなどで活躍。また一時期CM14本に出演し、CM女王の異名を持った。

『ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!』では関西出身であるため、自身の関西弁を聞くことができる。『光とともに…』に出演時、「自閉症に無関心すぎる冷徹な母親なんてどうかしている」といった批判や意見が多数来たが、これで彼女の新境地が開けたとする意見もある。タレントの鈴木杏は親戚である。芸名を付けるとき「かわいいから」と杏という文字をもらった。 第6代ミュージックフェア司会者としても恵俊彰と共に安定した進行役を務めている。

鈴木と言えば有名人にも数多い。数的に少ない苗字と多い苗字。どちらが得だろうか?忘れられないと言う意味では変わった苗字の方が印象的だが、印鑑をはじめ汎用品を安価に入手できないと言うデメリットもある。一方、どこにでもある苗字は覚えてもらうにはメリットが薄いが世の中に溶け込める安心感も捨てがたい。芸名、ペンネームでない限り自分で選ぶことはできないが、与えられたものを好きになってしまうのも気持ちよく生きる方法のひとつだ。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-23 23:59 | 1965-1969(40~44才)
2008年 09月 22日

実績では現役世界最高のストライカー。【ロナウド】

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ロナウド・ルイス・ナザリオ・ジ・リマ、愛称:怪物、フェノーメノ、1976年9月22日生まれ。(今日が誕生日)国籍:ブラジル、スペイン。リオデジャネイロ出身。身長185cm、体重90kg。 FCバルセロナに所属していた当時、「攻撃の戦術が無い」と批判されたボビー・ロブソン監督が「私の戦術はロナウドだ」と言い返したのは有名な逸話である。当時のロナウドは相手から「ボールを渡さない」、「反則でしか止められない」、「前を向いてボールを持ったら反則しても止められない」と言われており圧倒的なフィジカルと卓越したテクニックで単独で敵陣を突破しゴールを決めていた。コンポステーラ戦での60メートルドリブルがいい例である。

世界最高の選手と称えられ順調にステップアップしていたロナウドだったが、インテル時代の1999年、SSラツィオ戦で右膝十字靭帯を部分断裂。2000年、リハビリののち復帰した直後のSSラツィオ戦で、ドリブル中に再び同じ箇所を完全に断裂するという悪夢のような出来事に見舞われた。一時は現役引退も囁かれたが、1年半以上に及ぶ長いリハビリの末に2002年に復帰し、2002年ワールドカップにおいて、8得点で得点王になりブラジルの優勝に大きく貢献し見事に復活を果たした。2007-2008シーズンは序盤から怪我に泣かされる。そして、最悪の事態が再び訪れることになった。2008年2月13日、セリエA・第16節延期分のリボルノ戦で右膝に続き左膝の腱を断裂という1999年、2000年と同じような症状の大怪我を負ってしまった。2月14日にパリで手術を行い終了。手術の出来は完璧だと医師達は話すが、全治にかかる年月は6ヵ月程度と言われており、この長期離脱が一体どんな影響を及ぼすのかなど心配な点がある。

才能もあるだろうが復活してくる精神力、気持ちの強さが半端ではない。一流と呼ばれる人の多くは技術以前のメンタル的な部分が卓越している。悪いときに何とか結果を出せるのが本物の一流。私の場合、調子が良い時は当たり前だが結果も伴い、天狗になってしまうところがある。ところが一旦スランプになると酷く落ち込んでしまい、その差が極端すぎると我ながら感じる。今世の中は企業の倒産だとか株・為替の暴落で恵まれない環境に身を置かれてる方も少なくないと思う。しかしながら、少しの勇気と健康でさえあれば次のステップへ必ず進めると私は信じている。どちらかといえば私も決して調子の良い時ではないが諦めずに頑張るつもりだ。悪いことばかりも続かない。止まない雨もない。一緒に頑張っていこうではありませんか(^.^)

■おまけ
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今日、新たに提携した「天一せんべい」さんにいってきた。私が食べるために、昨日描いた”はるな愛ちゃん”の似顔絵を特大せんべいにプリントしていただいた。いろんなサンプルがあって実に楽しい。絵もこんな形で生まれ変わると、素敵なプレゼントになるんだなぁと改めて思い知らされた。もちろん、味の方もサイコーでした。パリッ、パリ(^^)

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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-22 23:59 | 1975-1979(30~34才)
2008年 09月 21日

口癖は「言うよね~?」。【はるな愛】

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はるな愛、本名:大西賢示、1976年7月21日生まれ。大阪府大阪市平野区出身。血液型O型。身長163cm、体重55kg。スリーサイズ:90-60-89cm。物心ついた頃から自分が女性だと意識していたと言う先天的な性同一性障害。小学生時代から、女装してものまね番組などに出演。持ち歌は松田聖子の「Rockn' Rouge」など。1985年3月3日放送の『全日本ちびっこ歌まね大賞』(テレビ東京)では、森進一の「北の蛍」を歌って優勝している。

1991年、ショーパブ「Tootsie」梅田店で働く。父親に性同一性障害であり、おかまとして働いていることを告白。1995年、大阪市・わだ形成クリニックにて性別適合手術を受け、身体的に完全に女性となった。1996年ごろ、『快傑えみちゃんねる』にレギュラー参加。男性であることを隠して働いていたレースクイーンの仕事などで蓄えた貯金でスナック店を開業するなど、事業家として活躍するようになる(現在はバーなど3店舗を同時経営している)。2007年、陣内智則・藤原紀香夫妻の結婚披露宴の2次会で「エアあやや」を披露、その場に居合わせた業界人の注目を集め、モノマネ芸人(あてぶり芸人)として活動するようになる。最近はそれを始めとして、いろいろな「○○よね?」を言うようになっている。2007年、Miss International Queen 2007(ニューハーフ世界のミスコン)に出場し、第4位になる。2008年、骨髄バンク職員の役で舞台(imagine911)出演。

今、芸能界で力強さを感じる芸人さんの一人だ。なんと言っても明るいところがいい。人間、明るければ人が寄ってきてくれるし、助けてもくれる。自分ひとりだけでできることはたかが知れている。できないところをどう甘えられるかだ。昔と違って性同一障害を公言できる環境にある今の世の中、理解してくれる人たちも多い。私なども彼らに励まされることも多い。辛いことは誰にもあるけれど、それを表に出さないでどれだけ生きていけるか、武士の美学のようだけれど憧れる。私などはつい眉間にシワが寄ってしまう。ポーカーフェイスがなかなか身に付かない。でも、少しずつでも前向きに努力する姿勢だけはなくしたくない。はるな愛ちゃんも頑張ってるんだから。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-09-21 20:41 | 1975-1979(30~34才)