鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 08月 31日

「気合だー!! オィッ!! オィッ!! オィッ!!」【アニマル浜口】

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アニマル浜口、本名:浜口平吾、1947年8月31日生まれ。(今日が誕生日)島根県浜田市出身。ヘビー級の元プロレスラーでボディビル指導者。ボディビルダー出身で国際プロレスや新日本プロレスで活躍し、闘将のニックネームで呼ばれた。父親が事業に失敗したため、小学5年生の時母親と妹と一緒に親戚の住む大阪府堺市へ移る。中学卒業後は家計を助ける為、高校進学を断念。工事現場を転々とする毎日だった。17歳でボディビルを始め、1969年にミスター兵庫コンテスト準優勝を受賞。その後、ボディビル界との繋がりが強かった国際プロレスに入団、プロレスラーに転向する。

浜口には格闘技の経験がなく、身長もレスラーとしてはけっして恵まれた体格とは言えなかった。だが国際プロレス時代レスリングの直接指導を受け基礎を築き(このときの経験が後の京子への指導に生かされることになる)、効率的なトレーニングの工夫と頭脳的(ときに狡猾)なプレーで頭角をあらわす。1972年にはディック・ザ・ブルーザーが主宰するアメリカ・インディアナポリスのWWAへ遠征、ブルーザーとの抗争を展開しトップスターとなる。引退後は トレーニングジムを東京都浅草に開設。指導者となる傍ら、自らも一から体を作りあげて、ボディビルの大会(シニア部門)に出場した。その一方、このころからは名伯楽としてもクローズアップされ始めた。ジムからは小島聡、大谷晋二郎、大森隆男、小原道由、SUWA、本間朋晃らを送り出した。また、長女の浜口京子をアマチュアレスリングの世界チャンピオンに育て上げる名コーチとして注目を集めた。

私の世代のプロレス好きの男性は、彼の現役時代を一度は見てはいるがそう記憶に残る選手ではなかった。二番手三番手のイメージが強く、どちらかと言えば縁の下の力持ち的な役所だったように覚えている。娘京子の活躍でクローズアップされてはいるが、その指導力には定評があると報じられている。彼もそうだが、人に名前を覚えてもらうためには工夫が必要だ。子供心にアニマル=動物だよなぁ、動物浜口って変ジャン…て違和感を持ったものだ。インパクトとかサプライズと言うのはあった方がいい。名前に限らず商品名とかに形容詞を付けるのは良い事だと思う。付けた時はシックリこなくても何時しか馴染んできたりする。どうせ付けるならスケールが大きい表現がいい。マイナスイメージなら究極の物を。デビル○○とか破壊王とか。間違っても吹いてしまうようなオチャラケたモノは避けるべきだ。こうして考えるとリングネームだけでなく、ペンネーム、ステージネーム、etc…他の自分を表現できるフィールドは沢山ある。名前だけで変身できるとしたら、こんな素敵なことはない。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-31 20:11 | 1945-1949(60~64才)
2008年 08月 30日

シンクロのマーメイドは今コメンテーター。【小谷実可子】

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小谷実可子、1966年8月30日生まれ。(今日が誕生日)東京都出身。日本大学文理学部卒業。小学生のころからシンクロに親しみ、1978年には日本代表として「カナダ年齢別選手権大会」でソロ、デュエットとも3位に入賞した。1982年にアメリカのノースゲート・ハイスクールにシンクロ留学。アメリカのナショナルチームを指導したゲイル・エメリーに師事。1999年、元陸上短距離選手で現・明海大学助教授の杉浦雄策と結婚、2006年現在二児の母である。2006年10月、政府の教育再生会議委員に就任。2007年、国際水泳殿堂に表彰された。

2008年1月グアム自然大使に任命。1985年、パンパシフィック水泳選手権でソロ2位、デュエット優勝。この年から全日本水泳選手権で4連覇達成を飾る。1988年ソウルオリンピックで日本選手団の旗手を務める。競技でもソロ、デュエット(田中京とのコンビ)でともに銅メダルを獲得した。1992年バルセロナオリンピックにも2大会連続で五輪代表に選ばれたが、ソロは奥野史子、デュエットは奥野と高山亜樹が出場となり、小谷の出番は無いままに終わる。バルセロナ五輪後、小谷は現役引退を表明した。第一線を退いてからはスポーツコメンテーター他、オリンピック関連の委員を歴任している。

スポーツ選手が現役引退した後、同じフィールドで仕事をするケースと、全く異業種で新たなチャレンジをする二つのパターンに分かれる。彼女の場合、前者の道で自分のパーソナリティを活かす生き方を志しているようだ。サラリーマンの場合も異業種を渡り歩く人がいるが、新たに学ばなければならない時間的ロスを考えると、できるだけ同じ職種を選択したほうが無駄がないかもしれない。でも、人生そのものが無駄の上に成り立ってると言う考え方もできなくはない。いっそのこと、180度異なる世界への転進だって考え方次第では楽しい。しかしながら、食べなくては生きていけない人間は稼がなければならない。そう考えると、よほど恵まれた環境でない限り自ずと道は限定されてしまうのかな?小谷さんも北京オリンピックのレポーターとして活躍
されていたが、他の世界にも可能性の目を向ける時が訪れることを切に願う。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-30 23:59 | 1965-1969(40~44才)
2008年 08月 29日

50歳、おめでとう?!【マイケル・ジャクソン】

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マイケル・ジャクソン、1958年8月29日生まれ。(今日が誕生日)アメリカ合衆国インディアナ州ゲイリー出身。身長178cm、体重55kg。マイケル・ジャクソン銅像ギネス・ワールド・レコーズでは史上最も成功したエンターテイナーとして認定されている。世界総売上げは7億5000万枚(2006年10月末現在)以上。エルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズと同様に、音楽界における歴史上の天才の一人。2008年2月、スリラー25周年記念エディションをリリース。エイコン、ウィル・アイ・アム、カニエ・ウェストらによる同アルバム収録曲のリミックスが収録されている。

ギネス記録は「全米シングルチャートで首位を獲得した最年少ボーカリスト(ジャクソン・ファイヴ当時11歳)」、「全米シングルチャートで初登場1位を記録した最初のボーカリスト(You Are Not Alone)」、「年間売上げ高が1億ドルを超えた最初のエンターテイナー(1989年、Forbes誌)」、「史上最高額の所得を得たエンターテイナー(89年に1億2500万ドル)」などの記録を保有。アルバム"Thriller"に関する記録は「6500万枚の世界最高枚数の売り上げ(ギネスブック2007年度版に記載されている売上。公称は1億400万枚)」「全米アルバムチャートでの最長期間首位(37週・サウンドトラック盤を除く)」、「最も成功した音楽ビデオ(100万本以上の売上げ)」などのギネス記録を保有している。

その高い音楽性よりも奇行や整形が話題になりすぎた。黒人へのコンプレックスから容姿を変えていった彼。それでも欲望を満たすことは無かったのだろう。物やお金、形あるものに欲求を求めていくと止まるところを知らない。なったことはないので分からないが、天才は孤独だと言われる。理解できないよね、その立場に立ったことがないのだから、凡人には。だから他人に求めてはいけないんだと思う。自分の中で解決するしかない、納得させるしかない。理不尽なこと、合点のいかないこと、世の中には沢山ある。それをどうコントロールして穏やかに過ごせるか、私も日々葛藤している。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-29 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2008年 08月 28日

異例の経歴、元婦人警官。【宮川花子】

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宮川花子、本名:松下美智代、1955年8月28日生まれ。(今日が誕生日)漫才ではボケ担当。血液型AB型。大阪府大阪市出身。師匠はチャンバラトリオ。弟子入り前は婦人警察官であった。漫才ではかかあ天下であるが、実生活では亭主関白であるとされる。2006年、結婚30周年(真珠婚式)を迎えた。一人娘はさゆみ・ひかりのさゆみ(松下紗弓)。弟子は沖縄出身でクイズ!紳助くんで活躍する宮川たま子。因みに夫は、宮川大助。1950年10月3日生まれ。師匠は宮川左近(宮川左近ショー)

1979年、大助が妻である花子を誘い「宮川大助・花子」を結成する。当初は大助がよく喋り、花子が相槌を打つ役割であったが、周囲の勧めもあって現在の花子がよく喋り、大介が相槌を打つ形に変更して評判になる。その後上方漫才の賞をいくつも獲得し、現在の地位を確立。しかし、1988年頃から花子が体調を崩し、活動を一時休業することもあった(後に胃癌であったことが発表される)。その頃は実生活でも絶望した花子が荒れるなどして夫婦関係の危機もあったらしいが、病気とともに夫婦の危機も克服。以後は漫才のスタイルも多少変化し、花子が大助を一方的になじるような形から、花子が大助の人柄を観客に自慢するようなオノロケも見られるようになった。後に「愛を見つけた」と言う著書を出版し、ドラマ新銀河「愛を見つけた」と言う題でドラマ化された。

最近、花子が娘のさゆみと弟子のたま子と共に「宮川家の女達」と言うトリオで活動している。また多くの夫婦漫才が離婚する中、数少ない現役で活動する二人だ。彼女を取り上げたのは、闘病の末現場に復帰してきたパワーに圧倒されたのと、漫才で見せる小気味良いマシンガントークが単純に好きだから。見ていて元気をもらえる。人に元気を与えられる人は意外と少ない。ギブアンドテイクと昔から言うが、与えるものが無い人は求めてもいけないと私は思う。全てに通ずることだ。もらうことが優先してばかりでは関係は成り立たない。何でもいい…、与えられる人間でありたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-28 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2008年 08月 27日

「オレ、この味好きだよ。」by CASTER。【藤達也】

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藤竜也、本名:伊藤龍也、1941年8月27日生まれ。(今日が誕生日)出生地:中国北京。神奈川県横浜市育ち。日本大学藝術学部演劇学科卒業。大学在学中にスカウトされ日活に入社、1962年映画『望郷の海』でデビュー。数多くの映画に出演した。硬派・コミカル・シリアス・バラエティとあらゆる役幅を持っており、演技力は自在。口髭がダンディな印象を醸し出す。70年代前半までは凶悪犯や用心棒などの悪役・敵役を演じる機会も多かった。現在は黒沢清監督の『アカルイミライ』を始め若手監督の作品にも意欲的に出演し、味のある演技でファンを魅了している。2004年『村の写真集』(三原光尋監督)で第8回上海国際映画祭最優秀男優賞を受賞。

妻は元日活女優の芦川いづみ。また、陶芸についても才能を発揮、陶芸好きから映画『KAMATAKI』で吉行和子と競演、テレビドラマ『汚れた舌』でも陶芸家の役で出演している。現在、スポーツジム等で身体を作る俳優は多いが、藤竜也はその先駆者とも言える。テレビドラマの『時間ですよ』で人気を博した頃より後、彼の肉体はいつしか鍛え上げられたものへと変貌し、藤の役者としてのプロ意識・美学が窺われる。

男の渋さを表現する言葉に、いぶし銀がある。正に彼にピッタリの形容詞だ。どのように歳を重ねるかによって、見た目・雰囲気・知性等大きく異なる。何をとっても日々の積み重ねだ。カロリー過多の人は太るし、愚痴の多い人は必然的に表情が暗くなる。仮に人間と言うものがひとつの作品であるなら、カンバスに日々色を重ねていると言っても過言ではないだろう。そのためにも多少の誉められる容姿でありたいものだ。努力とかじゃなくて、楽しみながら満足のいく作品に仕上げられたら幸せかな^_^;
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-27 23:59 | 1940-1944(65~69才)
2008年 08月 26日

ヌード挑戦で“密林”披露?"byスポニチ。【中島知子】

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中島知子、1971年8月26日生まれ。(今日が誕生日)京都府京都市出身。血液型A型。特技は詩吟。B'zの大ファン。愛称は「オセロの黒い方」。主にツッコミ担当。小さいころから、家族が教室をやっていた詩吟を習っていた。 マドンナの物まねをして「ミス京都精華大学」に選ばれ、松竹芸能のスタッフの目に止まる。当初はお笑いではなくタレント志望だった。タレント養成所で松嶋尚美と出会い、1993年にオセロ結成。同期にますだおかだがいる。重度の猫アレルギーである。

2002年から女優としても活躍。2005年にはドラマ「ルームシェアの女」、映画「三年身籠る」で主演を務める。大河ドラマ「義経」にも出演。今年も「魁!!男塾」に 秀麻呂の母 しのぶ役で出演。ツッコミ女芸人の代表格で、人を選ばない的確なツッコミには定評がある。同性からの支持が厚く、お笑い以外の要素も評価されていることから、女性芸人の中では久本雅美に匹敵する人気を誇る。

写真家・蜷川実花のチャリティー企画で、ヌード写真を撮影。2008年3月7日発売の雑誌GLAMORUS」にバストトップのギリギリ写真が掲載され話題を呼んだ。ご覧になった方も多いと思うが、芸能人がヌードになる時ってどんな時だろうか?相当な覚悟もいるだろうし、これ以上の話題性は他にないだろう。好奇の目に晒されることは快くはないだろう。それ以上に反応が無かったらもっと嫌だろう。転機をどんな形で演出するかは自由だ。思いっきりの良さ、諦めの良さも時として必要かも…。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-26 23:59 | 1970-1974(35~39才)
2008年 08月 25日

『007』初代ジェームズ・ボンド役はあまりにも有名。【ショーン・コネリー】

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ショーン・コネリー、1930年8月25日生まれ。(今日が誕生日)スコットランド エディンバラ出身。主な出演作品:『007』シリーズ、『史上最大の作戦』、『オリエント急行殺人事件』、『遠すぎた橋』、『薔薇の名前』、『アンタッチャブル』、『インディ・ジョーンズ』、『レッド・オクトーバーを追え!』、『ザ・ロック』、『リーグ・オブ・レジェンド』等。『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で一躍有名となり、その他のアメリカ映画にも多数出演している。

牛乳配達、トラック運転手、労働者、美術モデルやライフガードなど種々の仕事を経験。1953年にはミスター・ユニバース・コンテストで3位入賞。イギリスのエリザベス女王からナイトの称号を与えられたが、スコットランドの分離独立を主張するスコットランド国民党の熱烈な支持者でもある。授与式には、民族衣装キルトで正装して現れた。なお、彼は「スコットランドが独立するまで私は死んでもスコットランドに帰らない」とまで明言している。1987年、『アンタッチャブル』でアカデミー助演男優賞を受賞。息子のジェイソン・コネリー(Jason Connery)も俳優である。

禿げててもカッコイイを地でいった最初の人だ。髪の毛の無い人に勇気を与えた、セクシーで渋い男の代名詞となったショーン。容姿は大切だが、むしろその生き方こそ問われてしかるべきといった問題提起をしてくれた功績は大きい。私は幸いにもまだ髪は残っているが、中途半端に少なくなったら思い切って丸刈りにしたい。バーコードヘアーなどもっての外だ。人間、潔さが大事。別れは人間関係だけでなく、身体的にも訪れる。来てしまったものは仕方が無い。執着することは体に良くない。受け入れようではないか^_^;
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-25 23:59 | 1930-1934(75~79才)
2008年 08月 24日

高島忠夫は叔父、高嶋政宏・政伸兄弟はいとこ。【高嶋ちさ子】

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高嶋ちさ子、1968年8月24日生まれ。(今日が誕生日)血液型A型。イェール大学音楽学部大学院修士課程アーティスト・ディプロマコース修了。東京都出身。父の高嶋弘之は東芝EMIの元ディレクターで、ビートルズを日本に紹介した人物。その兄が俳優の高島忠夫であり、高嶋政宏・政伸兄弟はいとこにあたる。6歳からヴァイオリンを習い始め、徳永二男、江藤俊哉、ショーコ・アキ・アールに師事した。青山学院初等部、中等部、桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部卒業。

イェール大学音楽学部大学院修士課程アーティスト・ディプロマコース修了。在学中にノーフォーク音楽祭、サラソタ音楽祭、バンフ音楽祭、パシフィック・ミュージック・フェスティバル等に参加。1994年、マイケル・ティルソン・トーマス率いるマイアミのオーケストラ、ニュー・ワールド・シンフォニーに入団。1995年、チェロ奏者・大藤桂子と共にチョコレート・ファッションというユニットでCDデビューした。大藤とのコンビは程なく解消し、セカンドアルバム以降は実質的に高嶋のソロ・プロジェクトとなる。1997年3月、日本に拠点を移す。1999年2月に結婚。2004年、1736年製ストラディヴァリウス「ルーシー(Roussy)」を入手。2006年、プロジェクト「高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト」を立ち上げる。2007年2月6日午前1時33分、都内の病院で第1子となる男児を出産した。

彼女は水泳が得意で、「カッパのちぃちゃん」とも呼ばれていた。本人は「将来はスポーツ選手になろう」と思っていたが、小学生の頃祖母に相談した所、「手に職をつけて、一生仕事ができるような事を目標にしてみなさい。」とアドバイスされ、ヴァイオリンで身を立てようと決意したらしい。私の場合はどうだったかと言うと、身内に画家がいたこともあり絵の仕事を関わっていきたいとは子供心に思っていた。しかし就いた仕事は食べていくためものだったが、必ずいつも絵の仕事は傍らにあった。好きであることと諦めないこと、この想いさえあればやりたい事がライフワークになるのではないだろうか。今日も好きな絵を描かせて頂けることに感謝である!(^^)!
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-24 19:00 | 1965-1969(40~44才)
2008年 08月 23日

アイドル時代もそう言えばありました。【山田隆夫】

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山田隆夫、1956年8月23日生まれ。(今日が誕生日)東京都出身。日本大学豊山高等学校卒。血液型O型。5代目鈴々舎馬風門下で高座名は鈴々舎鈴丸(れいれいしゃ すずまる)。10歳の時、フジテレビ系列のテレビ番組『ちびっこのどじまん』でデビュー。1970年に日本テレビ系列のテレビ番組『笑点』の“ちびっ子大喜利”コーナーにレギュラー出演。座布団10枚獲得記念賞品がレコードデビューということで、1973年にずうとるびのメンバーとして歌手デビューし活躍する。松崎真に続き、1984年10月7日に『笑点』大喜利での6代目座布団運び役に就任し活躍。

1977年、結婚を機にずうとるびを卒業する。ヒット曲『恋の夜行列車』は山田自身の作詞・作曲であるが、これはモンキーズのデビュー曲である『恋の終列車 (Last Train To larksville)』からヒントを得たものだ。大喜利では座布団を運ぶ役として有名である。甲高い声での歌唱から始まり、「座布団と幸せを運ぶ、山田隆夫です」と挨拶するのが概ねのパターン。年齢的にはベテランながらいつまでも下働き的な役目をしているため、後輩から指示されたり馬鹿にされることが多くなっている。本人は芸歴40年といって本気で反発しているようだ。

ずうとるびの他のメンバーは何処で何をしてるのか知らないが、山田だけは現在もテレビと言うメディアで活躍している。CMだってぺヤングにも起用されている。立派なことだ。有名になっても短命では食べていけない。彼のように下働き的存在に徹するのも生きていく処せ術ではある。ただ人間は一般的に影よりも表に出たがる生き物だ。日陰は嫌だと言う人が多い。日陰だって光を遮っていたモノがなくなれば日は当たる。無理に日差しを求めても長続きはしない。下を向いてるより上を向いてるのが私は好きだ。たとえ日陰であっても青空を見ることはできる。あとは少しずつ登っていけばいい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-23 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2008年 08月 22日

時が経つのは早いね…。【岡田有紀子】

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岡田有希子、本名:佐藤佳代、1967年8月22日生まれ(今日が誕生日)1986年4月8日逝去。(満18歳没)愛知県一宮市出身。血液型O型。1983年にオーディション番組『スター誕生!』の第46回決戦大会チャンピオンとなり、芸能界入りする。1984年4月21日に『ファースト・デイト』でアイドル歌手としてデビュー。同年、日本歌謡大賞及び日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。新人賞を吉川晃司と共に全て獲得する。1986年1月、カネボウのキャンペーン・ソング『くちびるNetwork』がベストワンとなる。同年4月8日、自宅マンションで手首を切りガス自殺未遂。治療の直後、所属事務所であるサンミュージックが入居しているビルの屋上から飛び降り、全身を強く打って即死した。

その後若者の後追い自殺が相次ぎ、衆議院文教委員会で取り上げられる社会問題になった。これにより、5月に発売予定だった『花のイマージュ』は発売中止となった。歌手としてデビューする前、エキストラで出演していた。禁じられたマリコ (1985年11月5日-1986年1月28日(全12話)、TBS)峰岸徹と共演、これがきっかけで交際との噂があった。亡き父の無実を晴らすため、悪の超能力者との戦う超能力を持つ少女の役を好演。尚、再放送に関しては、1991年の夏にTBS系列ではないテレビ愛知にて、昼間に行われたのが最後の放送となっている。

あれから22年。当時は社会現象ともなった飛び降り自殺。自ら命を絶つことの是非は置いといて、印象に残っているアイドルの一人だ。ただその笑顔がどこか悲しげで、亡くなってしまったと言う先入観も手伝ってか、作られたアイドルと言う感も否めない。死にたくなることは誰にだって一度や二度訪れる。しかし、乗り越えてしまえばそこから又別な人生も開けてくる。個人の想像力はたかが知れている。予想だにしないことが日々起こりうるのが人生だ。自分で決め付けないことが大切かな…。いつも言ってるけど、受け入れてしまう人生ってのも悪くはない。季節の移り変わりを感じられる今に、感謝かな(^.^)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-22 23:59 | 1965-1969(40~44才)