鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 03月 31日

37年ぶりにボンカレーの看板に。【松坂慶子】

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松坂慶子、1952年7月20日生まれ。東京都大田区出身。血液型A型。父親は在日韓国人。母親は日本人。中学3年生で「劇団ひまわり」に入団。1967年、『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』でテレビ初出演。日本大学第二高等学校に進学、高校時代にスカウトされ、1970年に大映で本格的に映画デビュー。1972年に松竹へ移る。1979年に、ドラマシリーズ『木曜座・水中花』において、自らテーマソング『愛の水中花』を歌うとともにバニーガール役に挑戦し、セクシー女優としての地位を固めたことで一躍ブレイクし、1980年代には『青春の門』『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』『蒲田行進曲』『火宅の人』『椿姫』『死の棘』などの映画や、『春の波涛』などのテレビドラマに出演し、日本を代表する女優として不動の地位を確立した。

1991年、ジャズギタリストの高内春彦と結婚し、一時期米国に移住したが、結婚にまつわる騒動が収束して以降は、再び日本でトップ女優として活躍を続けている。2000年には、「東京電話」のCMで大根を持った主婦をコミカルに演じて新たなイメージを開拓した。2002年にはヘアヌード写真集『さくら伝説―松坂慶子写真集』をヒットさせた。篤姫 (2008年・NHK大河ドラマ)にも出演中。

女優と言う職業のために生まれてきたかのような人だ。表情・しぐさをコントロールし、様々な役を演じきる。よく一度きりの人生と言うが、俳優さんはいろんな人生の断片を瞬間瞬間感じられる面白い仕事だ。子供の頃は大人になったら何になろう、と言った職業に対する夢が誰しも持っていたような気がする。私の場合は確か先生だったような気がする。但し、色弱の人にはその資格がないと中学のときに気付き幼い夢は潰えた記憶がある。色弱と言ったって一度は免許も取ったのだから日常生活での支障はさほどないが、コンプレックスではあった。夜空の星の色がまず分からない。でもその分、痛みの分かる人間にはなれた気もする。誰しもひとつやふたつ、不具合は抱えている。それすらも受け入れてしまえば気は楽だ。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-31 23:59 | 1950-1954(55~59才)
2008年 03月 30日

日本のトンカツが好物。【エリック・クラプトン】

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エリック・パトリック・クラプトン、1945年3月30日生まれ。イングランドのサリー、リプリー出身。「スローハンド」というニックネームが有名。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと共に、3大ギタリストと呼ばれていた。今もロックやブルースのギタリストの多くに影響を与え続けている。クラプトンのプレイは、ブルースに影響を受けることから出発している。特にアルバート・キング、ロバート・ジョンソン、エルモア・ジェイムズなどのブルース・ギタリストから受けた影響は、彼のプレイ、音楽性によく現れている。クリーム時代の"Strange Brew"で披露したアルバートを模倣したソロなどはそのいい例である。1990年代以降ポップ色を強めたあとも、彼のプレイの根底には常にブルースがある。

クラプトンの功績は、「アフリカからアメリカに奴隷貿易によって連れてこられた黒人たちの憂鬱(Blue)な気分や絶望観を歌ったものが起源の黒人の大衆音楽」=「ブルース」を、白人の感覚で解釈し直したことにある(ホワイトブルース)。ブルースの精神をロックと融合させることによって、より広い世界で鑑賞できる音楽に発展させた。また、ギターを単なるヴォーカルの伴奏から脱皮させた功績も大きい。亡くなった自分の息子に贈った歌が名曲「ティアーズ・イン・ヘヴン」(Tears In Heaven)はあまりにも有名。この曲は1992年に全米シングルチャート第2位を記録している。さらに93年には年間最優秀曲に選ばれ、この歌が収録されたアルバムも最優秀アルバム賞を獲得。

今日が63歳の誕生日の彼。彼を支持するファンはアメリカのみならず全世界に数多い。ボーカリストとしてもさることながら、ギタープレイヤーとしての評価も高く、存在そのものが神様的扱いとなっている。熱烈な日本びいきでもあるらしい。彼の音楽でどれほどの人が癒されただろう。音楽の力は偉大だ。クラプトンほどではないにしろ、私も「さんろすLIVE」なる新橋の音楽空間を通じて、いろんな人と巡り合う幸運に恵まれている。この1週間、スタッフを始めお客様との出会いを頂いた。一期一会と言う言葉を実体験させて頂いている。今週もどんな人と出会えるか楽しみだ。そのベースにあるのはクラプトンと同じ音楽である。音楽に乾杯( ^^) _U
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-30 23:59 | 1945-1949(60~64才)
2008年 03月 29日

おバカキャラの最右翼。【里田まい】

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里田まい、1984年3月29日生まれ。血液型A型。北海道札幌市出身。札幌大谷高等学校卒業。身長161.5cm。2000年にモーニング娘。第3次追加オーディションを受け最終選考の合宿審査まで残るが、高校進学の関係からこれを辞退する。続く2001年の第4次追加オーディションも受けるがこれには落選。その後、同年の秋に行われたカントリー娘。の追加オーディションに合格し、2002年1月に加入した。なおカントリー娘。メンバーの芸名のつけ方の通例に反して「里田まい」と名字付きであるが、これはプロデューサーのつんく♂が当時のメンバー3人をまとめて呼ぶ際、『りんね、あさみ、里田まい』の方が語呂が良い」と言った事に由来する。

2006年7月12日に初出演した「クイズ!ヘキサゴンII」において、その珍回答ぶりが爆笑を呼びこれを契機に同番組のレギュラー解答者となり「おバカキャラ」アイドルの代表格としてバラエティ番組を中心に活躍している。見た目とは裏腹にかなりの大食いであり、焼肉屋では左手にライス、右手に肉の状態で2時間食べ続けることもある。特に白い御飯が大好きで、居酒屋に行った時も最初に御飯を注文するほど。天然ボケであるためおっとりした性格であると思われがちであるが、実際は体育会上がりの男勝りな一面もあり、フットサルでは時折ラフプレーととられかねない行動をする事もある。

今日が誕生日だから取り上げたが、果たして何が凄いのだろう、彼女は?おバカキャラは分かるが果たしてそれだけで生き残っていけるほど甘い世界でもないはず…。想像するに、生き延びていく術を知っているのだと思う。人によって、生まれ持って才能を発揮する人がいる。彼女の天然キャラもその範疇だ。まさか、そこまで知らないことはないだろうといった回答をよくする彼女。ある意味、したたかでもある。前にも書いたが男は自分より劣る(失礼)女性を可愛いと思う傾向がある。それを逆手に取っている女性も少なくないだろう。今日、友人の結婚パーティーに行ってきた。きっと、奥様が主導権を握っていくんだろうなぁと思うと少しおかしかった。男は弱い生き物です。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-29 22:36 | 1980-1984(25~29才)
2008年 03月 28日

ガイアの夜明け、いつも見てま~す。【役所広司】

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役所広司(やくしょこうじ)、本名 橋本 広司、1956年1月1日生まれ。長崎県諫早市出身。血液型AB型。身長179cm。俳優・仲代達矢主宰の無名塾出身。長崎県立大村工業高等学校卒業後、上京して東京都千代田区の千代田区役所土木工事課に勤務。友人に連れられて観劇した仲代達矢主演の舞台公演『どん底』に感銘を受け俳優への道を志す。200倍もの難関である仲代が主宰する俳優養成所「無名塾」の試験に合格。この年の合格者は役所だけであった。芸名は前職が役所勤めだったことに加え、「役どころが広くなる」ことを祈念して仲代が命名。

当初は所属する無名塾の舞台公演やテレビドラマの男優として仕事をし、主に時代劇で評価を得ていた。1983年のNHK大河ドラマ『徳川家康』の織田信長役で注目を集め、翌1984年のNHK新大型時代劇『宮本武蔵』の主人公・武蔵役で初めて主演に抜擢され、好評を得る。民放の時代劇作品では、『三匹が斬る!』シリーズなどが代表作。映画では、伊丹十三監督作品の『タンポポ』などに出演。1988年の日本・スイス合作映画『アナザー・ウェイ ―D機関情報―』の主人公・関谷海軍中佐役で映画初主演を果たす。『オーロラの下で』で初めて日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を獲得する。95年、『KAMIKAZE TAXI』(原田眞人監督)で毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。この頃、役所が主演するドラマや映画は評価は高いもののヒットには恵まれず、制作発表の記者会見では「低視聴率男です」と自らネタにして笑いをとっていた。『Shall we ダンス?』、『シャブ極道』、『眠る男』、『失楽園』、『うなぎ』等代表作は多数。

日本を代表する役者。私はどちらかと言うと役者の彼より、「ガイアの夜明け」でナビゲータを勤める彼が親しみやすい。日本の方向性を示唆するこの番組は意外とファンが多く、類に漏れず私も録画をして見ている。これからの日本、どっちの方に向かっているのだろう?良くない方向の臭いがプンプン。物価は高くなるし、政治状況は最悪だし…。だからこそ日々をどう生きるかって大切だよね。昨日はブログをいつも見てくれている人がさんろすLIVEに来てくれた。新橋の喧騒の中で音楽を聴きながら歌いながらグラスを傾けるのもサイコーだ。いろんな人と拘わって、せめて自分の日常くらいは豊かなものにしたいものだ(^^)v
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-28 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2008年 03月 27日

オセロの黒い方。【中島知子】

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中島知子、1971年8月26日生まれ。「オセロ」のメンバー。京都市山科区出身。血液型A型。特技は詩吟。B'zの大ファン。主にツッコミ担当。愛称は「知ちゃん」。小さいころから、家族が教室をやっていた詩吟を習っていた。京都精華大学卒業。大学在学中にマドンナの物まねをして「ミス京都精華大学」に選ばれる。その時に松竹芸能のスタッフに誘われ授業料をタダにしてくれるということでタレント養成所に入る。当初はお笑いではなくタレント志望だった。タレント養成所で松嶋尚美と出会い、1993年にオセロ結成。同期にますだおかだがいる。2002年から女優としても活躍。2005年にはドラマ「ルームシェアの女」、映画「三年身籠る」で主演を務める。大河ドラマ「義経」にも出演。

ツッコミ女芸人の代表格で、人を選ばない的確なツッコミには定評がある。同性からの支持が厚く、お笑い以外の要素も評価されていることから、女性芸人の中では久本雅美に匹敵する人気を誇る。喫煙者である相方とは違い、嫌煙家である。そのため、東海道新幹線では禁煙車と喫煙車に別れて移動している。写真家で映画監督の蜷川実花が女性タレント10名のヌード写真を撮り下ろした無料写真展『チャリティ・ヌード写真展forピンクリボン』が開催され、中島もそのひとりとしてセミヌードを披露している。上半身ネクタイのみ手ブラに挑戦した中島は「裸にネクタイ、正直好きです。女子が男子のアイテムを持っているとセクシー」と見所を語った。

歯に衣着せぬ物言い。普段言えない事を代弁してくれてるようで気持ちいいが、男性から見るとパートナーにはチョット…と言った雰囲気がある。何でもバンバン言われることが好きな男性もいるだろうが、一般的には優しく控えめなタイプを多くの男性は好む。勝手な言い分だが、男は女より腕力はあっても口ではかなわない。だから神様は女性に力を与えなかったんだと思うが、最近ではそうとも言い切れない。暴力的な女性も少なくない。男が絶対的に負けている。女性専用車は最近の傾向として殆どの路線にあるが、私は男性専用車こそ作るべきだと痛切に感じる。チカン冤罪をはじめ、まじめな多くの男が泣いている。もっと男女平等を真面目に考えてみてもいいのでは…?
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-27 23:59 | 1970-1974(35~39才)
2008年 03月 26日

スーパーひとしくん。【草野仁】

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草野仁(ひとし)、1944年2月24日生まれ。満州国新京(現・中国吉林省長春)生まれ、2歳時に帰国し長崎県島原市で育つ。東京大学文学部社会学科を首席卒業。元NHKアナウンサー。身長169cm・体重80kg・胸囲120cm・血液型A型。現在でも、主に主婦向けのテレビ番組で人気を博している。またフリーの司会者になってからは、テレビ番組などでの活躍だけではなく、各地で講演もしている。穏やかな人柄、相手への気配り、長年の経験から得られた司会者としての技術は特筆すべきものがある。フリー転向後はほぼ司会・キャスターの仕事に専念していたが、「草野☆キッド」等のバラエティ番組に出演してこれまで見せてこなかった「肉体派」「ボケキャラ」の一面を披露して視聴者を驚かせたり、コミカルなCMに出演するなど、還暦を越えてからも様々なことに積極的にチャレンジしている。

モントリオールオリンピック競泳男子100m自由形決勝で、ジム・モンゴメリー(アメリカ合衆国)が50秒の壁を破る49秒99の世界新記録を出して優勝したレースで、NHKラジオ第一放送の実況を担当したのが草野仁その人であった。1980年のレークプラシッド冬季五輪では、男子スピードスケートでエリック・ハイデン(アメリカ合衆国)が500m、1,000m、1,500m、5,000m、10,000mと全ての距離のレースを制覇し、史上初の五冠王に輝いた全てのレースの実況を担当したのも草野である。また、草野は競馬中継も担当しており、圧倒的1番人気に押されたアイドルホース・ハイセイコーが敗れる1973年・第40回日本ダービーや、シンボリルドルフの日本ダービーなどの実況も担当していた。日立 世界・ふしぎ発見!は彼の代表的長寿番組。

最近、肉体派でも売り出している彼。身体を鍛えることは大切なことだ。以前も話したが、私は日ごろ歩くことに気をつけている。ジムとかに行くだけの時間的・経済的?ゆとりがないものだから、日々の生活の中でできるだけ身体を動かすようにしている。たとえば、エスカレータ。なるべく階段での上り下りを心掛ける。それから移動も2Kmくらいなら結構歩いてしまっている。おかげで多少おなかは出てきたが体型は二十歳の頃と大差ない(自慢かよ(>_<))。4月からはメタボの全国的な認識の高まりが運動として始まる。草野さんほどではないにしろ、身体をベストに保つことは人生を豊かに生きる上でも大切なことだ。身体に良いこと、何かやってますか!?
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-26 23:59 | 1940-1944(65~69才)
2008年 03月 25日

オセロの白い方。【松嶋尚美】

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松嶋尚美、1971年12月2日生まれ。大阪府東大阪市出身。血液型A型。身長158cm、体重46kg。漫才コンビ「オセロ」のメンバーで、「オセロの白い方」。またロックバンドKILLERSのボーカル担当。所属事務所は松竹芸能から2007年9月末に独立し、個人事務所「ステッカー」に。オセロとしての仕事は、松竹芸能を通じて行う。樟蔭中学校・高等学校を経て大阪樟蔭女子大学短期大学部卒業。1993年4月29日に中島知子と「オセロ」を結成してお笑いに転向。1995年にオセロとして『第16回・ABCお笑い新人グランプリ』新人賞を受賞。2006年8月16日、ロックバンド「KILLERS」のボーカルとして大阪城ホールでイベントデビュー。バンド内での名前はNAHOMI☆KILLERでそのバンドのプロフィール内では芸能活動を「裏家業」と言っている。

かなりの天然ボケで有名。本人はそこそこ賢いと思い込んでいるふしがあるが、あまりのボケぶりに母校の大阪樟蔭女子大学関係者からは、「大阪樟蔭女子大学出身と言わないで下さい」とまで言われているらしい。その反面、漢字に案外詳しく、ジャポニカロゴスでの活躍はタモリも感心するものである。ちなみに相方の中島は、母校で芸能人としては初の「学校評議員」を務めている。芸能人の中でも特に霊感が強い事で知られている。心霊スポットなどに連れて行かれると「いる、気持ち悪い、もうこれ以上近付けない」と本当に体調も精神状態も弱ってしまう。30歳を超えても若く見せるために、夏季を中心にミニスカート姿の場合が多い。何でも着こなしてしまう点、女性からの支持が高い。

女性のコンビは男性に比べて少ない。数えたことはないが、たぶん1割か2割だろう。残っている人達を見るとそれぞれが個性的だ。見られることでビジュアル面もアップしていく。オセロとしての活動以外に、彼女のフィールドを広げている。人間、自分が思っている以上に才能は潜在しているもので、気付かなかったことを他人から教えられることも少なくない。私は二十歳くらいまで上手な字が書けなかった。ある時、絵が上手いんだから字もお手本をデッサンしたらいいのにね…と言われ、2ヶ月くらいかけてひらがなの手本を徹底的に模写した。気がついたらお手本どおりに字が書けるようになっていた。だからと言うわけではないが、気付くことと行動すること、これが環境を変える秘訣のような気がする。皆さんも諦めないでいろんなことにチャレンジしていただきたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-25 23:59 | 1970-1974(35~39才)
2008年 03月 24日

祝、大阪場所優勝。【朝青龍】

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朝青龍明徳、1980年9月27日生まれ。モンゴル・ウランバートル出身。身長184cm、体重148kg。若松部屋→高砂部屋。幕内優勝22回を達成した平成の大横綱。四股名の由来は、高校在学時に世話になったという高知県土佐市の青龍寺で、また、「明徳」という名前は出身校である明徳義塾高等学校にちなんで名づけられた。愛称は本名からとった「ドルジ」。左利きであり、塩を左手で撒く数少ない力士の一人である。15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。1997年に日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に高砂親方によるスカウトにより、高校を中途退学して角界に入門した。2001年1月場所に新入幕し、翌年7月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進し、同年11月場所、翌年1月場所に連続優勝して横綱に昇進した。

2003年結婚する。またこの年、長女が誕生する。2004年1月場所・3月場所で、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。8連覇を目指した2006年1月場所では11勝4敗に終わる。同年前半は力の衰えも指摘され始めたが、7月場所に復帰すると11月場所の全勝を含め翌2007年1月場所まで4場所連続優勝し、史上5人目、外国人力士では初となる20回目の優勝を果たした。同場所千秋楽翌日の1月22日、週刊現代に自身の八百長疑惑が掲載された。詳細は武田頼政を参照。横綱としての品格が取り沙汰されるが、昨日千秋楽の大阪場所で白鳳を下し優勝する。

国技として横綱の品格を評論家は云々するが、相撲は格闘技であり勝敗による結果が全てだと私は思う。一連の騒動からもし優勝できなかったら、世間は「やっぱりね。」で終わっていただろう。そういった重圧を押しのけて結果を出した彼を賞賛したい。個人的に好き嫌いはない。ただ、世の中いじめにも似て、集団で流行のように一個人を責める傾向がこの日本にはある。集団心理に近いものだが、人と同じでないと不安になる人が多いが、私はどちらかと言えばその逆の生き方をしてきた。それはそれで割り切ると心地いい。世の中、人と違った個性を認め合い評価できたらきっと豊かな人間関係が築けると思うのだが…。そういった意味でも人との出会いを大切にしたい。

今日オープンの「ライブ酒場 さんろすLIVE」の割引クーポン。マスターから皆様にヨロシクとのことです。添付しておきますのでご活用ください。料金は普通の居酒屋と変わりません。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-24 23:59 | 1980-1984(25~29才)
2008年 03月 23日

さんろすLIVEに遊びに来てくれました。【中村中】

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中村中(あたる)、愛称 あーちゃん、1985年6月28日生まれ。東京都墨田区出身。幼少の頃より音楽に触れる。10代初めより独学でピアノを習得。千葉県成田市に住んでいた時、中学の音楽の先生からも音楽を習う。15歳の頃より作詞作曲を始める。性同一性障害を抱えており、戸籍上の性別は男性であるが、精神は女性で外見も女性。中学3年生の頃より路上ライブを行い、ストリートミュージシャンとして活動するようになる。後に高校を中退し、本格的に音楽活動を始める。2004年3月28日、第5回かつしかバンドフェスティバルにてグランプリを受賞。同大会でのソロボーカルの受賞は史上初。11月、ヤマハ音楽振興会主催のTEEN'S MUSIC FESTIVAL 2004の全国大会に出場する。以後、ヤマハに所属し、インディーズで楽曲制作や、ライブハウスなどでライブを続ける。

2005年6月28日、P-PRO Musicからインディーズ盤『友達の詩』を1000枚限定で発売。2006年2月22日発売の岩崎宏美のアルバム『Natural』に楽曲「友達の詩」を提供。作家としても片鱗を見せる。6月28日、自身の21歳の誕生日にシングル『汚れた下着』でavex traxからメジャーデビュー。この5日前の6月23日に未発表の楽曲「愚痴」を、着うたにてメジャーデビューに先駆けて配信する。8月11日から8月13日まで、舞台『Radiogenic リーディング・スペクタクル 優雅な秘密』、13日『Radiogenic リーディング・スペクタクル 特別公演苫小牧スペシャル 下町日和』にディーバ役で出演し、舞台俳優としてもデビューする。

透明感のある歌声と女性さえも羨むルックス。今人気絶頂の中くん。彼が一昨日遊びに来てくれた!(^^)!。明日からオープンする新橋の「ライブ酒場 さんろすLIVE」のレセプションに友人が連れてきてくれた。彼のことは私もデビュー前から知っていて、そのステージを始めて見た時には軽い衝撃を受けた。インパクトがあった。表現者としての資質に溢れていた。そんな彼が今活躍しているのをリアルタイムに見れるのは嬉しい。仕事も忙しいだろうが、たまには是非寄ってもらえたなら感激だ。さぁ、明日から始まる「さんろすLIVE」のご紹介を少しだけさせていただこう。JR新橋駅から徒歩2分、生ビール500円、焼酎ボトルも2000円を切る低価格からご用意。音楽をする人も聴く人も両方が楽しめる座席数55席のサラリーマンの聖地ならではのお店だ。店長の武田氏は新橋で洋食屋さんを35年間やっており、お酒だけでなくおいしい料理も安く提供する。案内を添付するので、興味ある方は是非足を運んで頂きたい。私も頻繁に顔をだすつもりだ。お会いした時には是非お声を掛けてくださいね。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-23 23:59 | 1985-1989(20~24才)
2008年 03月 22日

56歳でセミリタイアして再復活中。【大橋巨泉】

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大橋巨泉、1934年3月22日生まれ。放送作家、司会者、評論家、元参議院議員、オーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)取締役会長兼エグゼグティブタレント。芸能プロモーター。東京都墨田区両国出身。千葉県に育つ。祖父は江戸切子の名人だった。本名・大橋克巳(かつみ)。早稲田大学政治経済学部新聞学科中退。大学生の頃はほとんど勉強をせず、テストではカンニングをしていたという。アテネフランセで英語を学ぶ。早稲田大学の学生時代から当時ブームだったモダンジャズ・コンサートの司会者として活躍。なお早稲田大学在学中は俳人としての活動もしており「巨泉」という芸名はこの時期に付けた俳号である。

ジャズ評論家・放送作家からテレビ司会者に進出、弁舌家のマルチタレントとして人気を得る。この方面では、やはり放送作家出身の前田武彦と人気を二分し、この2人で日本テレビのバラエティー番組『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』の司会を務めた。1960年代~1980年代にかけ、夜11時台の成人向けバラエティ番組『11PM』(日本テレビ)や、クイズ番組『クイズダービー』(TBS)の司会で名を馳せる。「野球は巨人、司会は巨泉」のキャッチフレーズ通り、競馬や野球、麻雀の評論でも活動し、ニッポン放送の競馬中継『大橋巨泉の責任プロデュース 日曜競馬ニッポン』のメインパーソナリティーも務めた。

マルチな才能と言ったら誰もが認める大橋巨泉。最近、またテレビに復活してきた。私の中学生の頃、11PMと言う番組があって、セミヌードの女性が画面に出てきたものだが、あの時はわずかな露出でも興奮した。刺激を求めるのは人間の性なのか(笑)、そういったものに慣れてしまっている自分がいるのが恐ろしくもある。感動はどの分野でも初めて時が一番大きく、回数と年数を重ねるたびに薄まっていく。だから、常に感動している人は若いと言う事もできる。私もまだそのひとりだ。今日も新たな感動があった。近いうち、またそのことを紹介させていただこう…(^_-)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-03-22 23:59 | 1930-1934(75~79才)