鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 02月 29日

祝連続300日達成!【峰竜太】

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峰竜太、本名:下嶋 清志、1952年2月29日生まれ。長野県下伊那郡下條村出身。身長173cm、血液型O型。妻は海老名美どり、長女は生(うぶ)・一般人、長男はジャニーズ事務所所属の俳優下嶋兄、義父は林家三平、義母は海老名香葉子、義弟は林家正蔵と林家いっ平、春風亭小朝は義妹である泰葉の元夫。釣竿職人・中根喜三郎は義母・香葉子の兄。

長野県阿南高校卒業後モデル事務所に所属し、『おはよう!こどもショー』のお兄さんとして出演。1973年に青年座に入り、1975年に海老名美どりと共演した縁で結婚。1976年から石原プロモーションに所属し、『大都会』『西部警察』等ドラマに出演。12000年、24年の長きに渡り所属した石原プロモーションから独立し、実家のスーパーマーケットの名前に因み『オフィスさかや』を設立。独立以後、数々の司会業をこなし日本テレビの『ザ!情報ツウ』に出演、朝の顔として定着し、主婦層での知名度は以前にも増して高い。土曜日の『スーパーサタデー』、日曜日の『アッコにおまかせ!』と一時は全曜日に生放送のレギュラーを持っていたため休日がなかったと言う売れっ子ぶりだった。

今日が誕生日の貴重な有名人である。また、偶然にも我が似顔絵ブログの連続300日達成記念日となった。物事を続けると言うことには自信がある。10代の頃3年以上日記を続けたことがあるが、これは苦い経験がきっかけで書くのを止めてしまった。峰さんのキャラは決して主役ではないが、脇役としてそのポジションが重宝される。人間誰しもが主役を張れるわけではない。身の丈にあった生き方が一番長続きする。無理をし過ぎない事だ。このブログを描くようになってから、その日中にまだ描いてない時はどんなことがあっても早朝には目覚める。決して嫌々やっている訳ではない。何の為?と自問自答することもあるが、とりあえず1年を目指して頑張るつもりだ。毎日ご覧頂いている皆様、私の方から謝意を申し述べます。いつも、ありがとうございます。そしてこれからもよろしくね。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-29 16:54 | 1950-1954(55~59才)
2008年 02月 28日

北京オリンピック、出場期待してるよ。【高橋尚子】

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高橋尚子、1972年5月6日生まれ。女子マラソンオリンピック記録保持者(2時間23分14秒)。爽やかな笑顔と前向きな生き方から多くのファンを生み出し、社会人時代初期から引き継いでいるQちゃんの愛称で親しまれている。岐阜県岐阜市出身。中学から陸上競技を始め、藍川東中学‐県立岐阜商業高校‐大阪学院大学商学部を経て、1995年に小出義雄が陸上部監督を務めるリクルートに入社。1998年3月8日の名古屋国際女子マラソンでは、後半に驚異の追い上げを見せて2時間25分48秒という日本最高記録を4秒更新してのマラソン初優勝を果たす。

2000年9月24日のシドニー五輪女子マラソンではトップでゴール。常にレースを引っ張る堂々たる走りは、ゴール後のさわやかな笑顔とともに、世界のマラソンファンに強い印象を与えた。高橋の五輪での金メダル獲得は、日本マラソン界の長年の悲願達成であるとともに、日本女子陸上界においても史上初の快挙だった。またゴールタイムの2時間23分14秒はジョーン・ベノイト(米国)がロス五輪でマークしたタイムを16年ぶりに更新する五輪最高記録である(この記録は今もなお破られていない)。これらの功績により国民栄誉賞を受賞(2008年現在、高橋は最後の国民栄誉賞受賞者である)。2001年9月30日のベルリンマラソンでは、女子初の2時間20分突破となる2時間19分46秒の世界最高記録(当時)をマーク。2008年北京オリンピック女子マラソン代表入りのため、3月の名古屋国際女子マラソンに出場するべく一昨日中国から帰国。

人間の感動なんて一時的なものに過ぎない。あれほどフィーバーしたオリンピックでの活躍も今や台頭する若手に取って代わられた。特に日本人は熱しやすく冷めやすいと言われるが、周りの雰囲気に流されることが多いように感じる。彼女も辛酸をなめたに違いないが、まもなく迫る最終選考レースには是非がんばって欲しい。勝って当たり前と言われるような展開ほど緊張するものはない。見ている方は気が楽だがやる方のプレッシャーは半端じゃない。我々の日常にはなかなかそう言った展開はそうあるものではないが、多少は緊張感も悪くはない。ありえない状況を想像しながら、もうひとつの別な自分をイメージして見るのも楽しい。Qちゃん、がんばって!
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-28 23:59 | 1970-1974(35~39才)
2008年 02月 27日

モヤモヤ病はもう完治されましたか?【徳永英明】

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徳永英明、1961年2月27日生まれ。福岡県柳川市生まれ、兵庫県伊丹市育ち。血液型A型。小学校時代は4回も転校を経験する。中学入学時に父親の転勤で、兵庫県伊丹市へ移り住む。伊丹市立伊丹高等学校を卒業後、大阪の観光専門学校(中退)へ。19歳の時に父親の転勤に伴い上京。アルバイトをしながらミュージシャンを目指す。オーディション番組『スター誕生!』第44回決戦大会に出場。山下達郎の「RIDE ON TIME」を熱唱するが、惜しくもグランプリを逃す。同じ日に松本明子(グランプリ)、本田美奈子も出場していた。デビューのきっかけを求めて22歳で俳優養成学校TBS緑山塾に入る。乃木坂の喫茶店でアルバイトをしながら、デモテープ製作を行う。

1985年8月、マリンブルー音楽祭でグランプリを受賞を機にでデビュー。1986年1月21日、アルバム『Girl』、シングル『Rainy Blue』でRadio Cityレコードよりデビュー。富士フイルム「フジカラー」のCMソングとなったシングル『輝きながら…』のヒットでブレイク。1990年、事務所を独立。プライベートオフィス「マゼラン」設立。2005年9月、女性ボーカルの曲ばかりをカヴァーしたアルバム『VOCALIST』を発表。ロングセラーを記録し、プラチナディスクとなる。2006年12月31日、『第57回NHK紅白歌合戦』にデビュー21年目にして初出場、「壊れかけのRadio」を披露する。2007年8月15日、『VOCALIST 3』発売。約30年3か月ぶり、史上2人目の男性ソロアーティストでカバーアルバム1位を獲得。『VOCALIST』シリーズの累計出荷枚数100万枚突破。2008年1月11日、通算1000本目となるコンサートを名古屋で行った。

カラオケで彼の歌を歌う時には、キーを2つほど下げて歌わないと高音が苦しくなる。男性の声にしてはかなりキーが高い。繊細な表現で熱唱する。私も彼の歌が好きで、『VOCALIST』シリーズはダビングしてあるが、聴けば聴くほど独自の新たなジャンルを築いたといっても過言ではない。バラードは情景が見えるから好きだ。良い歌をこれからも歌い続けて欲しい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-27 23:34 | 1960-1964(45~49才)
2008年 02月 26日

笑顔がチャーミングな2児の母。【菊池桃子】

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菊池桃子、1968年5月4日生まれ。血液型B型。日出女子学園高等学校~戸板女子短期大学卒業。東京都品川区出身。1983年11月、学研のアイドル雑誌『Momoco』のイメージガールとなり、創刊号の表紙を飾り芸能界デビュー。1984年、映画『パンツの穴』で映画デビュー。『青春のいじわる』で歌手デビュー。キャッチフレーズは「REAL1000%」。日本レコード大賞新人賞、日本レコードセールス大賞女性新人賞。ブロマイドの年間売上が1位に。1988年~1989年 - ロックバンド「ラ・ムー」で活動。しかしながら興業的には失敗しこれ以後歌手業を断念し女優に転向することになる。

1995年5月1日 - プロゴルファーの西川哲と入籍。五月みどりが義母に。1996年8月7日長男出産。2001年10月18日長女出産。山田太郎ものがたり(2007年、TBS)山田綾子役など、俳優復活後の活躍もバラエティをはじめ活躍の場を広げている。

彼女の人気はものすごいものがあった。彼女のために雑誌が作られたほど、インパクトがあった。その癒やし系としての雰囲気は今もって健在だ。絵的に見ても、彼女の表情からは力の抜けた自然体な空気しか読み取ることができない。嫌々何かをするといった感じを一切相手に与えないのは、とても良い生き方をされてきたんだと思う。人間の人格と言うのはよく眉間の部分に集約されるとも言われる。私もよく電車の中で人間ウォッチングをするが、眉間に縦ジワの人にはあまり近寄りたくはない。それくらい表情の中でも大切な部分だ。人の振り見て我が振り直せ。昔からよく言われる格言だが、私もこの「立てジワ」気をつけたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-26 23:59 | 1965-1969(40~44才)
2008年 02月 25日

まるで目の大きなえなり君?【中居正広】

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中居正広、1972年8月18日生まれ。神奈川県藤沢市出身。血液型A型。歌手、タレント、司会者、俳優。男性アイドルグループSMAPのリーダー。男3人兄弟の末っ子(三男)。私立平塚学園高等学校中退、東京都立代々木高等学校定時制卒業。この高校で木村拓哉とは同じクラスで、同じバスケットボール部に所属する。中居曰く、高校時代の中居は「ヤンキー派」で、木村拓哉は「チーマー派」だったらしい。1987年3月にジャニーズ事務所へ入所。ソロの仕事のメインは司会業で、代表的なものはNHK紅白歌合戦や、フジテレビ系『FNSの日』の総合司会(最多4回)、TBSテレビ系アテネオリンピックとトリノオリンピックのメインキャスター、ニッポン放送のラジオ・チャリティー・ミュージックソンのパーソナリティなどがある。

ロックダンスが得意。少年隊の東山紀之の家にTOKIOの城島茂と一緒に3人で住んでいた時期が約半年ほどある。熱狂的な巨人ファンとして知られ、特に原辰徳のファンとされる。俳優業では、監督に全てまかせるという方針をとっている。作品や芝居に対する意見を言わずに、真っ白のままで現場に行き、監督に色を付けてもらって芝居をする。なお、2008年公開の私は貝になりたいでは、役作りのために7kgのダイエットをしたり、髪を刈って坊主頭にしたりしている。

歌は下手だが、多方面にマルチな才能を見せる彼。どれが本業か分からないほど、活躍のフィールドは広い。全ての源流は口達者なことに起因しているような気がする。感受性だけでなく感性も豊かだ。相手が何を考えているのか分からない人は司会やコーディネーターは勤まらない。いささか古いがKYでは、コミュニケーション取れないもんね^_^; 中居君の良さは監督の指示を受け入れるところ。それは私も同感。やるだけやってみるのも悪くは無い。頑張ろーぜ!
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-25 23:59 | 1970-1974(35~39才)
2008年 02月 24日

連ドラ初主演で益々知名度アップ!【香里奈】

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香里奈、本名:能瀬香里奈(のせ かりな)、1984年2月21日生まれ。愛知県名古屋市出身。血液型A型。 身長165cm、体重46kg。2000年、『Ray』の専属モデルになる。2001年、『カバチタレ!』で小原春菜役で連続ドラマデビュー。2002年、フジテレビビジュアルクイーンに選ばれる。2004年、『深呼吸の必要』、『天国の本屋?恋火』、『海猿』の3作に出演。また『深呼吸の必要』で映画初出演、初主演を果たす。2006年、2006 46th ACC CM FESTIVAL 特別賞/演技賞、資生堂「TSUBAKI」にて2007年、自らプロデュースしたウエディングドレスブランド『Sancta Carina(サンクタカリナ)』を発表。表参道ヒルズで行われたデビューコレクションでは香里奈自らもモデルとして登場した。2008年、TBS系ドラマ『だいすき!!』で連続ドラマ初主演を務める。また、このドラマでの役作りのためにロングヘアから髪型をショートカットに変更した。 

能瀬三姉妹の三女で、長女は能世あんな、次女はえれな。幼少期より松岡伶子バレエ団でクラシックバレエを習う。自称「引きこもり」でオフは部屋で長女とゲームなどを楽しむ傾向がある。競走馬ディープインパクトのファンで、携帯の待ちうけにしていると雑誌で語っている。食べ物に関しては、比較的好き嫌いが多いようで、椎茸などのきのこ類、野菜に嫌いなものがあるとのこと。

モデルから俳優への転進。その知名度をベースに、近来の定番であるかのようにモデルの多くが活躍の場を広げていく。また、名前だけの表示も最近では珍しくなくなった。イチローを筆頭にスポーツ選手から始まったのかな?この流れは。自己アピールの表現方法ではあるが、当時はかなりインパクトがあった。呼び方呼ばれ方もいろいろあるが、自分のことを何と呼ぶかは人によってかなり興味深い。男だったら普通、私、僕、俺くらいが一般的だが、女性の場合は自分で自分の名前を言う人も少なくない。この現象はあまり男性には見られないケースだ。それだけ自己愛が強いと言えなくもない。表現方法は時代時代によって異なるが、より個を意識した手法に変わってきている。どれだけ自らを目立たせることができるか、今を生きる人々の課題だ。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-24 23:59 | 1980-1984(25~29才)
2008年 02月 23日

ご健康に留意してくださいね。【徳仁親王】

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徳仁親王(なるひと しんのう)、1960年2月23日生まれ。天皇明仁と皇后美智子の第一皇子で、身位は皇太子、皇位継承順位第1位。お印は梓。命名の儀で名付けられた称号と諱は浩宮徳仁(ひろのみや・なるひと)、「徳仁」は四書五経の『中庸』を典拠として祖父・昭和天皇が命名した。妃は徳仁親王妃雅子。娘に愛子内親王。秋篠宮文仁親王は弟、黒田清子は妹。

国連「水と衛生に関する諮問委員会」名誉総裁、日本赤十字社名誉副総裁、学習院大学史料館客員研究員。1990年の国際花と緑の博覧会(花博)、2005年日本国際博覧会(愛知万博、通称「愛・地球博」)の名誉総裁も務めた。勲等勲章は大勲位菊花大綬章。学位は人文科学修士(学習院大学)。住居(東宮御所)は東京都港区元赤坂2丁目の赤坂御用地内。皇太子となって以降、国会・政府の用いる正式表記では必ず皇太子を冠し「皇太子徳仁親王」とされる。皇室典範における敬称は殿下。報道に際しての敬称では「さま」付けが多く、「皇太子さま」などと呼ばれる。

私と学年は同じ殿下。宮内庁発言で、世間の注目を浴びる中で迎える誕生日。決められたレールの上を外れて走ることが許されない人生。公私の別がハッキリしない生活。良い悪いでは語れない日常に敢えて言葉は挟むまい。一般人の私がどうあがいても何一つ理解できないし、環境を重ねる可能性のかけらも無いのだから。ただ同年代の一人として、選択肢のあるリスキーなこの生活も悪くないかな…と、殿下を見る度に感じてしまう。頑張れ!殿下。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-23 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2008年 02月 22日

モッタイナイが合言葉。【ワンガリ・マータイ】

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ワンガリ・マータイ、1940年4月1日生まれ。ナイロビ大学教授。ケニア出身の女性環境保護活動家。ナイロビ大学初の女性教授となった人物である。2004年12月10日に「持続可能な開発、民主主義と平和への貢献」のため、環境分野の活動家としては史上初のノーベル平和賞を受賞した(アフリカ人女性としても史上初)。

ケニア中部のニエリの農家の娘として生まれ、アメリカ、カンザス州のBenedictine College卒業後、ピッツバーグ大学で修士号、ナイロビ大学で博士号(獣医学)を取得し、1971年にはナイロビ大学教授に就任した。1977年にグリーン・ベルト・ムーブメントを設立して土壌の浸食と砂漠化を防止する植林活動を開始し、1986年にアフリカン・グリーン・ベルト・ネットワークへ改称後、アフリカ大陸全土で植林活動を行い、民主化や持続可能な開発の推進に取り組んできた。2002年に国会議員となり、2003年から環境・天然資源・野生動物省の副大臣を務め、ケニア緑の党を設立して代表も務めている。2007年実施のケニア国会議員総選挙で落選した。

今朝の朝日新聞にマータイさんに脅迫文と言う記事を見つけ、似顔絵を描いてみようと思った。背景の椰子は彼女が育った土地の写真を重ね合わせた。反抗心はハンパじゃない。正しいことを言ってるだけに、それが気に障る人達も沢山いることだろう。良いことだからみんなに受け入れられる訳ではない。そういうことって世の中結構ある。たとえば、タバコを吸う人達は自らを肯定するが、吸わない人から見れば毒ガスをばら撒いているのと同じ事で、だからといって公然と吸ってる人を非難することは難しい。だいぶ、吸わない人に環境も味方してきたけれどまだまだ受動喫煙の害から逃れる術は無い。と言う訳で私はタバコを吸わない。これを読んでいただいているタバコを吸われる皆さん、吸わない人の気持ち、考えてくださいね。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-22 23:59 | 1940-1944(65~69才)
2008年 02月 21日

18歳2ヶ月でATPツアー初優勝!【錦織圭】

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錦織圭、1989年12月29日生まれ。島根県松江市出身。アメリカ・フロリダ州在住。身長178cm、体重68kg。男子プロテニス選手。18歳2ヶ月でATPツアー初優勝を達成し、日本人男子選手として史上2人目の偉業を達成した。5歳からテニスを始め、2001年に「全国小学生テニス選手権」で優勝。2003年に渡米し、NBTA(ニック・ボロテリー・テニスアカデミー)に日本テニス協会盛田正明会長が運営する奨学金で留学する。以降アメリカ合衆国フロリダを活動拠点としている。2003年の「オレンジボウル選手権」(ジュニアテニスの世界選手権)14歳以下の部で準優勝した。

2006年全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、錦織はエミリアーノ・マッサ(アルゼンチン)とペアを組み、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。この大会ではシングルスでも8強に入っている。2007年7月にインディアナポリスで行われた「RCA選手権」で、日本人男子最年少のATPツアー8強に入り、世界ランキング27位のドミトリー・ツルスノフ(ロシア)と対戦した。全米オープンは予選2回戦で敗退。同年10月、AIGジャパン・オープンでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス1回戦で敗退した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に「韓国オープン」を制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。この優勝により、彼の世界ランキングは244位から一気に131位に上がった。

シンデレラボーイの彼はまだ18歳。一夜にして有名人となってしまった。正直彼の顔を知っている人は100人中2~3人といったところだろう。幼な顔だが長い。爽やかな顔をしている。日本のスポーツ界が若い人たちで活性化することは良い事だ。世代代わりは世界によって大きく異なる。政治の世界もそうあって欲しいものだが、相変わらずの特権者だけで成り立っているのは許しがたいがどうにもならない。本当に力のある人たちに世の中を変えて欲しいものだが、このように人事みたいに言っているうちは駄目なのかもしれない。せめてスポーツの世界だけでも日本ここにあり!と言った感じで盛り立てていただきたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-21 23:59 | 1985-1989(20~24才)
2008年 02月 20日

グー、グーで今旬な芸人。【エドはるみ】

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エド・はるみ、生年非公開、5月14日生まれ。千葉県、東京都で幼少期から学生時代を過ごす。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。身長156cm。独身。A型。1988年に円・演劇研究所を卒業し、以降女優(主に舞台女優)として活動。またその一方で、マイクロソフト公認の資格(MOT=Microsoft Official Trainer)を取り、コンピューターインストラクターと、携帯電話の大手電気通信事業内で、マナー講師の仕事をしていた。

2004年から2005年頃、表現の方向を転換。お笑い芸人を志す。アマチュアとして芸人コンクールのR-1ぐらんぷり2005に出場、2回戦で敗退。その後、本格的にお笑いの勉強をするため、吉本興業の養成学校である東京NSCに、11期生最年長として入学。2006年4月に卒業。同年5月17日に東京都新宿区のルミネtheよしもとで芸人デビューをした。東京NSC卒業から3ヶ月後の2006年7月22日、日本テレビの『エンタの神様』に初出演。これがお笑い芸人としては、地上波のテレビ番組の初出演となる。2008年2月17日CX系でOAされた「一瞬で笑えるネタ祭爆笑レッドカーペット祝1周年記念特別企画史上最高56組が大集結笑いっぱなしの3時間新ネタ新キャラ新芸人続々登場スペシャル!」で優勝。

正に旬芸人の彼女。なにもこんな世界で働かなくとも…。と思わせるほどの知性・教養を感じる。言葉のメリハリ、発音の綺麗さが群を抜いている。お笑いの世界は最近学歴のある芸人さんが増えてきた。層が厚い。少しの特徴じゃ個性にならないし、すぐ忘れ去られてしまう。凄いよなぁ、笑わせる技術って。何の世界でも笑わせたら勝ちだ。昔は勝ち組とよく言ったが、今は価値組と言って同じ価値観を共有できる仲間を指すらしい。勝ち負けよりもその人にとって価値あるかどうか?それが大切な時代だ。お金、健康、仕事、恋愛、ライフワークといろんな価値を見出すフィールドはあるが、それぞれ深く取り組まないと見えないのも価値の特徴かもしれない。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-02-20 22:52 | 1960-1964(45~49才)