鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 01月 31日

大阪から元気に発信!【山田花子】

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山田花子、1975年3月10日生まれ。大阪府堺市北区出身。愛称は花子、花ちゃん。大阪府立福泉高等学校卒業。身長149cm、体重55kg。「4時ですよーだ」に素人として出演した事をきっかけに、中学在学中からタレント活動をはじめる。その後、「ダウンタウンのごっつええ感じ」レギュラーに抜擢されるなど活躍したが、高校卒業後、一時はプロレスラーを目指してJWP女子プロレスの練習生となった。しかし受け身ができず、練習中に頭蓋骨を骨折する重傷を負い断念、その後は再びお笑いの世界に戻り、吉本新喜劇にて人気を得る。ずんぐりとしたユーモラスな外見と、テレビや舞台などの活動では「カモ~ン」「汗ばむわぁ~」などのセクシーな口調のギャグで有名になる。

2002年公開の映画「劇場版ポケットモンスター・ピカピカ星空キャンプ」では事務所仲間であるDonDokoDon、雨上がり決死隊と共に「ボケモン5」を結成、主題歌を担当した。 翌年2003年公開の「おどるポケモンひみつ基地」ではナレーションを担当した。2007年8月7日から8月13日までの1週間、NGKでの吉本新喜劇定期公演に約10年ぶりに出演した。プライベートでは女芸人会を率いており、森三中やだいたひかる等がメンバーである。初キスを舞台の上で今田耕司に奪われたと言う。

存在感のあるお笑いタレントだ。自らを投げ出せるから、やることが徹底している。馬鹿になりきれる。人間、テレがあったりして、なかなか花ちゃんのように開き直って自分を表現できない。私などもどこかエーカッコしている自分がいて、物事が中途半端になっていることがよくある。今年はひときわ経済的にも厳しさが伝えられる年頭、いろんな事件事故が起きている。仕事だって安定と言えるものは殆どない。だから、守りに入ってはいけないと思う。攻めの姿勢でいかなければ。明日からもう2月だ。一日一日を大切に、そして感謝して生きたい。みなさん、頑張りましょう!
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-31 23:59 | 1975-1979(30~34才)
2008年 01月 30日

最年少知事誕生。【橋下徹】

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橋下徹(はしもと とおる)、1969年6月29日生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ、大阪府大阪市東淀川区出身。血液型B型。身長174.5cm。中学・高校時代はラグビー部に所属。北野高校3年時には、第67回全国高等学校ラグビーフットボール大会大阪予選を勝ち抜き全国大会に出場。後に高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場する。大学時代には家庭教師の派遣業を行っていた他、革ジャンの卸売業に携わっていた。その仕事上の契約で200万円の不渡り手形をつかまされ今までの貯金を失う。この時、手形法などを勉強し、訴訟を起こしたことがきっかけとなり、弁護士を志す。

早稲田大学を卒業した1994年に司法試験に合格。2年間の司法修習で法曹資格を得、法律事務所に1年間勤務。1998年、弁護士2年目という異例の早さで大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立する。示談交渉による解決を看板にする。弁護士としては珍しい飛び込み営業なども行い顧客を集め、年間400~500もの案件を手がける。開業から1年足らずで大手保険会社と顧問弁護士契約を結ぶ。弁護士としての主な担当業務は企業コンプライアンス、M&A、エンターテイメント法、スポーツビジネスなど。2007年12月12日、大阪府知事選挙に出馬することを表明し大勝した。7児の父としても有名である。

大阪と言う大都市の最年少知事になった橋下氏。財政難で破綻寸前と言う現状を打破できるかが、最大の関心事。奔放な発言が時として批判の矢面に立たされるも、意に介さずと言ったマイペースな行動も賛否の対象に。しかし彼は大差で大阪知事に選ばれた。府民は改革を選択した。吉と出るか凶と出るか、結論はまだ分からないが前途多難であることは疑いようのない事実だ。彼はチャレンジャーだ。タレントとして、弁護士として、一応の成功を収めていたにも拘らず渦中に身を投じた。人は何をやっても批判される。何もしなければ、無難に過ごす事は可能だ。さて、どちらを選ぶかだ。巻き込まれる周りの者の心情も無視できないが自分の人生、後悔のないよう思ったとおりに生きて見ることをお勧めする。あの時、こうしていたら…。どんな選択しても後悔する人はいつも同じだ。せめて、やり残す事の少ない生き方をしたいものだ。橋下知事のこれからも見守りたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-30 23:59 | 1965-1969(40~44才)
2008年 01月 29日

写真集も好評です。【根本美緒】

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根本美緒、1979年2月10日生まれ。東京都中央区佃島出身。身長は154cmで血液型はB型慶應義塾大学経済学部を卒業した生粋の慶應生で、学生時代はラクロス部に所属する傍ら女性デュオsus4として活躍し、2000年に大学卒業を前に解散する。2001年、東北放送(TBC)に入社しテレビ・ラジオの人気番組のメインパーソナリティーを数多く務め、ネモミの愛称で宮城のファンに親しまれる。担当番組の企画で気象予報士の試験を受験し6回目で合格する。2004年、東北放送(TBC)を退社後に出身地の東京に戻り、関口宏が代表を勤める三桂に所属する。

フリー転身後はみのもんたの朝ズバッ!のお天気コーナーを担当するなど順調に知名度を上げ、環境省が主催する容器包装廃棄物排出抑制推進委員(3R推進マイスター)や『Cool Earth Ambassador』 に就任し環境問題の改善にも取り組む。また『レインボーマジック』と称して、子供たちへの絵本の読み聞かせ活動を行い、新潟県中越沖地震の被災地を訪問するなど多彩な活動を行っている。nemo・mi―根本美緒写真集、根本美緒フォトブック『ソウルスケッチ』を出版。

数いるお天気お姉さんの中で、私的には彼女が一番好感が持てる。単なる好みの問題だが、いつも笑顔で言語も明瞭なところが良い。ただ、毎日早朝からの出演には頭が下がる。夜型人間の私にはなかなかできる仕事ではない。早起きは三文の得と昔から言われるが、目覚ましなしで起きられる人の気が知れない。私は目覚まし3~4個用意しているが、全部に気付かないで寝てしまっているときがある。どうしたら、気持ちよく目覚められるか誰か教えて欲しい。夜更かしを止めればいいのかもしれないが、夜大好きの私には今のところ妙案が見つからない…。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-29 23:59 | 1975-1979(30~34才)
2008年 01月 28日

顔マネからピアノ演奏まで多才な彼女。【清水ミチコ】

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清水ミチコ、1960年1月27日生まれ。岐阜県高山市出身。文教大学女子短期大学部卒業。血液型B型。モノマネのスペシャリストとして知られ、多数のレパートリーを持つ。特にピアノの弾き語りによるモノマネで知られる他に、様々な芸能人の「顔まね」や、ふん装をして一般人に溶けこむ「溶けこみ」などがある。モノマネを集めたCDや、顔まねや溶け込みを載せた書籍も発売している。バラエティ番組以外にも、ドラマ・映画にも多数出演している。中学家庭科の教員免許を取得している。

1984年にテレビCMで声の出演、1986年にはライブを行うようになり、1987年にフジテレビの新人発掘番組『冗談画報』で本格デビュー。その際にテレビ関係者の目に留まり、1987年に「笑っていいとも!」に出演。全国区の人気に。同年、フリーディレクターの坂田幸臣と結婚。1989年、長女を出産。実際に会ったファンから「テレビで見るよりきれいですね。ブスキャラでやっていくことないですよ」と言われたことがある。「ブスキャラじゃありません!」と否定したという。

年女の彼女。いつも明るい雰囲気で、天然キャラが見ている者をほのぼのとさせてくれる。笑わせると言うことは実に難しい。笑われるとはひとつ格が違う。頭がいいことはもちろん、勇気がなければそれを実行できるものではない。私などもオヤジギャグで滑ることが多々あるが、あのシーンとした空気ほどいたたまれないものはない。清水さんはサービス精神も旺盛なんだと思う。芸風で特筆なるものが顔マネ。なかなか笑える。まだご覧になっていない方は一見されることをお奨めする。我々も日々の殺伐とした生活の中で笑顔を忘れがちだが、笑顔・笑いは潤滑油として大切な要素だと思う。笑わせられないなら、せめて自ら笑顔くらいは作ってみようか…。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-28 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2008年 01月 28日

07年日本人F1ドライバーNo.1.【佐藤琢磨】

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佐藤琢磨、1977年1月28日生まれ。(誕生日! )東京都新宿区出身。F1ドライバー。身長164cm、体重59kg。20歳からレーシングカートを始め、僅か5年でF1のシートを獲得した。血液型A型。早稲田大学人間科学部中退。19歳までは自転車競技に身を投じていた。インターハイ制覇、大学選手権優勝などの記録を残している。大学を休学してまずはカートを始め、モータースポーツ歴わずか半年で、選抜方法を変えさせてまでして、競争率10倍の難関を突破してSRS-Fへ入学した。SRS-F入学直後からスクール生はもちろんのこと、時には講師陣さえ上回る速さを披露し1997年首席で卒業。

2001年には日本人初のイギリスF3チャンピオンとなり、国際F3レース(マールボロマスターズ、マカオGP)も制して名実共にF3ドライバーとして世界の頂点を極めた。2001年10月に、ジョーダンのドライバーとして2002年シーズンのF1に参戦することが決定し、史上7人目の日本人フルタイム参戦F1ドライバーとなった。1年目の佐藤のシーズンはけっして順風満帆と呼べるものではなく、経験不足からくるミスのみならず、本人が対処しようがない不運にも多く見舞われている。2004年B.A.Rホンダに移籍、レギュラードライバーに昇格。アメリカGPで日本人最高位タイの3位フィニッシュを果たす。2006年シーズンは、元F1ドライバーの鈴木亜久里がオーナーを務め、ホンダがエンジンを提供する新規参戦チームのスーパーアグリF1チームから、ファーストドライバーとして参戦することとなった。

まだまだ大きなことを仕出かしてくれそうな予感をさせる彼。カチッとはまった時の彼に目が離せない。表情に色気がある。爽やかな笑顔。私が女子だったら参ってしまうかもね。才能を感じるよ。この才能を持っている奴に女子は弱いんだよねぇ~。努力で補える部分はあるけれど、どーにもならない部分こそ惹かれる要素かな?人は偶然とか意外性に憧れる。琢磨君の意外性はきっと突然やってくる。今年の走りに注目したい。私もアクセル全快でツッ走ろうかな!
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-28 23:59 | 1975-1979(30~34才)
2008年 01月 26日

チリ戦、初采配の結果はドロー。【岡田武史】

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岡田武史、1956年8月25日生まれ。大阪府大阪市出身。身長175cm。血液型A型。岡ちゃんの愛称で知られる。メガネにジャージがトレードマーク。マスコミ業界への就職を志望していたが叶わず、1980年、早稲田大学卒業と同時に古河電工に入社。社員として働く傍ら、古河電気工業サッカー部(ジェフユナイッド千葉の前身)に入団。大学時代と変わらず頭脳派のディフェンダーとして日本リーグで活躍し、1986年のアジアクラブ選手権優勝にも貢献した。その後も日本代表に選出され続け、ロサンゼルス五輪予選、メキシコワールドカップ予選などに出場。最終的に国際Aマッチのキャップは21を数えた。

古河電工のコーチに就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせた彼は、1992年にドイツへとコーチ留学する。1993年に帰国後はJリーグ発足に沸く日本サッカー界に戻り、ジェフ市原でコーチを務めた。1995年にはサッカー日本代表コーチに抜擢される。彼の一大転機は1997年10月、フランスW杯最終予選にて代表チームがアジア予選で敗退濃厚の窮地に陥り、加茂周監督が更迭された事から代理監督として指名される。最初の1試合を乗り切った彼は監督へと昇格を果たしたものの、当初は急場凌ぎとの見方が大勢を占めていた。今回も日本サッカー協会の特任理事として活動中、次期日本代表の日本人監督として名も挙がっていた中、2007年11月に日本代表のオシム監督が急性脳梗塞で緊急入院し、2008年2月のW杯予選で指揮を執ることが困難になり、サッカー協会から後継監督として打診を受け、12月7日、日本代表監督に正式に決定した。親善試合だが今日監督就任後初采配を迎えた。

名プレーヤーは名監督にあらず。スポーツの世界では良く言われる言葉だ。岡田監督自身、選手としてエリートだった訳ではない。もちろん、表記のように素晴らしい実績は残しておられるが…。人並みな苦労も解らなければ良い指導はできないよ、と言ってるのだろう。指導のあり方も時代とともに変わってきたように感じる。今はどちらかと言えば距離が近い感じ。昔のようなピリピリした雰囲気の指導者は少なくなった。受け入れられないのかもしれない。「1億総優しさの時代」とでも言ったところか。だからと言って迎合は良くない。言うべきことは言う。岡ちゃんも大変だろうが、持ち前の強運の上で良い結果を残してほしい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-26 22:30 | 1955-1959(50~54才)
2008年 01月 25日

お天気お姉さん人気投票3連覇。【皆藤愛子】

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皆藤愛子、1984年1月25日生まれ。お天気キャスター、タレント。千葉県四街道市出身。身長158cm。血液型はB型。愛称は「愛ちゃん」。2007年3月、早稲田大学第一文学部卒業。同大学のフラメンコサークルに1年間所属。2005年4月1日フジテレビ系情報番組めざましテレビの4代目お天気キャスターに就任。現在も出演中。2006年、永井美奈子、福島弓子、有賀さつきなどを輩出した東京アナウンスセミナーの2006年度(6期)生。2007年7月5日、オリコンの「好きなお天気キャスター、気象予報士」ランキングで3回連続2位(1位は石原良純のため女性では3年連続1位)を獲得。「お天気お姉さん」としては3連覇。

2007年9月20日、神奈川県警麻生警察署において1日警察署長に就任。就職活動でフジテレビのアナウンサー職を受験して最終面接まで進んだが不合格となった。特技:書道、食べること。趣味:フラメンコ、バイオリン、音楽鑑賞など。メガネを多く集めている。好きな食べ物:焼肉、牛丼、アイスクリーム、苺、チーズなど。嫌いな食べ物はなし。

今日で24歳の愛ちゃん。アナウンサー?としての実力はまだまだだが、かわいいと言うことはそれだけで許されてしまう風潮のある日本の社会。男どもがアホなのか、真の実力で物を見る習慣がないのか定かではないが、かわいいと言うのは得なことだと思う。ただし、持続することができるなら…。失礼だが、天地真理も昔はかわいかった。榊原郁恵、松本いよ、渡辺絵美、みんな愛しかった。何歳を境に変わってしまうのだろうか?年齢ではなく意識の問題かもしれない。花だって、蕾の時もあれば満開にもなる。ドライフラワーとして愛でられる場合もなくはない。いつまでも同じ形態である訳はありえないが、常に人からの目線を気にできる人間ではいたいものだ。表面的なことだけでなく、言動も含めおじさん、おばさんになっていくのは意外と本人は気がつかない。愛ちゃんみたいに誰もがなれるわけではないけれど、変わらない自分と言うのも悪くはない。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-25 23:59 | 1980-1984(25~29才)
2008年 01月 24日

コーラの一気飲みで敵なし。【渡辺正行】

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渡辺正行、1956年1月24日生まれ。千葉県いすみ市出身。 明治大学経営学部卒業。 大学在学中は落語研究会に所属。同会に受け継がれた「名跡」である「紫紺亭志い朝」(六代目)を、当時五代目の立川志の輔から襲名。四代目は三宅裕司。大学在学中の1977年劇団テアトル・エコー養成所に入所。ここで一級上のラサール石井、同期の小宮孝泰とコントグループ「コント赤信号」を結成。1980年フジテレビ系『花王名人劇場』でデビュー。「MANZAIブーム」を初めとしたお笑いブームの最中、人気コントグループとしてテレビを中心に活躍、「赤信号」のリーダーとしてお茶の間で人気を博す。1988年から1996年まで日本テレビ系で放送されていたクイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で逸見政孝を補佐するサブ司会者を務め、逸見を立てつつ場を盛り上げる司会振りが高く評価されて90年代には多くの人気番組でサブ司会者として活躍。「芸能界のスーパーサブ」の異名をとった。

現在レギュラー出演中の『さんまのSUPERからくりTV』では関根勤と並ぶ「笑い上手」として番組を盛り上げている。また若手お笑い芸人の育成に積極的で、1986年から「ラ・ママ新人コント大会」を主宰。所属事務所の枠を取り払った門戸の広いお笑いライブで、過去にはウッチャンナンチャン・ダチョウ倶楽部・爆笑問題・くりぃむしちゅーら、現在活躍するお笑い芸人たちも多数出演している。また2006年6月には芸人を志す一般人を対象とした「お笑いワークショップ」も開講。テレビ朝日系の『M-1グランプリ』では2005年・2006年の決勝で審査員を務めるなど、現在も後進の育成に力を入れている。クイズ!ヘキサゴンIIの準レギュラー兼、上位常連でもあり、1位になったことが6回ある。

今日で53歳になった彼。テレビではよく涙もろさが目に付く。これって演技?と思えるほどよく泣く。大統領候補のヒラリー氏も涙によってイメージアップ?を図ったように、涙は誠実とれる反面弱さに映る場合もある。最近泣いたのはいつだろう?子供の頃はよく泣いた記憶があるけど、大人になって涙を流したのは親友を事故で亡くした時くらい。両親のときは準備期間が結構あったので、それほどでもなかった。年と共に感情が豊かになる人と、私のようにドライになるタイプの2通りあるのかも。私なんかは、涙は恥ずかしいと思ってしまう人間で、素直に涙を流すことができない。泣くことでストレス解消になると心理学的にもよく言われるが、ストレス解消は人それぞれにいろんな方法があるのだろう。私の場合は、この絵を描くと言う作業もその一部のような気がする。さぁ、明日もリセットしていい仕事をしたいものですね…。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-24 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2008年 01月 23日

全豪オープン、ベスト4進出。【マリア・シャラポア】

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マリア・シャラポワ、1987年4月19日生まれ。ロシア・チュメニ州出身。居住地アメリカ合衆国フロリダ州。身長188cm、体重59kg。デビュー年2001年、ツアー通算18勝、シングルス15勝、ダブルス3勝。華やかな容姿とプレースタイルからニックネームは「ロシアの妖精」。左利きだったというが、矯正で両方使える。バックハンド・ストロークは両手打ち。父親は油田労働者。1986年チェルノブイリ原発事故の影響により、両親がロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意する。4歳の時からテニスを始める。6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、7歳の頃父親とともに渡米した。

2004年、ウィンブルドンでセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破り、17歳2ヶ月で4大大会初優勝を達成。11月のWTAツアー最終戦でも決勝でセリーナ・ウィリアムズを破り、大会初出場で初優勝を飾る。 2006年、全米オープンにて、2004年のウィンブルドン以来となる決勝進出を果たし、決勝でジュスティーヌ・エナン・アーデンを破り、4大大会2勝目を挙げる。テニスプレーヤーとは別にファッションモデルとしても活躍しており、ファッション雑誌の人気も高い。2004年の東レ・パン・パシフィック・テニスとウィンブルドン3回戦で実現したダニエラ・ハンチュコワとの“美少女対決”はどこでも抜群の観客動員力がある。現在行われている全豪オープンでも順当にベスト4入りを果たしている。

美貌と実力を兼ね備えた、最たるアスリートのひとりである彼女。見ている方も強いだけよりは美しい方がいいに決まっている。更に賞金までついてくるから、何をやっても面白いに違いない。彼女の努力はもちろんだが、ある意味で運の良い人と言うことができる。若くして成果を出せる人の人生と、晩年になって評価される人がいるとするなら、どちらがいいのだろうか?よく人生は平等だよと言われるが、成功は長続きしないからだろうか?羨んでみても仕方がない。今の境遇を喜んでみよう。成果と呼べるものはないにしてもきっと感謝できる何かは見つかりそうだから…。昔、さださんの唄にもこんなフレーズがあったのを思い出した。「自分の人生の中では誰もが皆主人公。」
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-23 23:59 | 1985-1989(20~24才)
2008年 01月 22日

もうひとりのアメリカ大統領候補。【フセイン・オバマ】

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バラック・フセイン・オバマバラック・フセイン・オバマ、1961年8月4日生まれ。現在、唯一のアフリカ系アメリカ人の上院議員であり、選挙により選ばれたアフリカ系ではアメリカ史上3人目となる。ただし白人とのハーフであり純粋なアフリカ系ではない。ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニア生まれのイスラム教徒であり、母親はアメリカカンザス州出身のスウェーデン系白人労働者一家の生まれである。したがって、「奴隷の子孫」としてのアフリカ系アメリカ人の血は引いていない。コロンビア大学を卒業後にシカゴに渡りNPOに勤務した後、ハーバード大学ロースクールに入学。アフリカ系として史上初の「Harvard Law Review」の編集長を務めた。

弁護士として法律事務所に勤務。またシカゴ大学ロースクール講師として合衆国憲法を講じていた。人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して、1997年にイリノイ州議会上院議員に選出され2004年まで務めた。2004年には、対立候補を得票率70%対27%の大差で破りイリノイ州選出の上院議員に初当選した。ニューハンプシャーで遊説を行うオバマ2004年以降、2008年アメリカ合衆国大統領選挙の候補として推す声が地元の上院議員や新聞などを中心に高まっていった。本人は当初出馬を否定していたが、2006年10月、NBCテレビのインタビューに出馬を検討すると発言。翌2007年1月、大統領選出馬へ向けた準備委員会設立届を連邦選挙委員会に提出、事実上の出馬表明となった。そして2007年2月、イリノイ州スプリングフィールドにて正式な立候補宣言を行った。有権者に対し、建国当初のフロンティア精神へ回帰することを呼びかけ支持を集めている。

前日のヒラリー氏より若干優勢が伝えられているが、選挙ばかりはその時のちょっとしたタイミングや天候等で大きく情勢が変わるらしい。大統領にもなろうという人は一般人とどこが違うのだろうか?自己主張はもちろんだが、表情にも表れてるか確認したくて連日の描画となった。唇は両名とも薄い方ではないだろうか?瞳の輝き、これは二人とも相当なものだ。賢い印象を受ける顔立ちにも思える。(定義が難しいが…)太ってはいない。リーダーに相応しい顔があるとするのなら、それは本人が望んだときから造りあげられるものではないだろうか。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-22 23:59 | 1960-1964(45~49才)