鈴信博堂の似顔絵日記

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2007年 11月 30日

光る原石、ガッキー。【新垣結衣】

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新垣結衣、愛称: ガッキー、1988年6月11日生まれ。沖縄県那覇市出身。血液型A型。身長167cm、体重48kg。日出高等学校卒業。2001年、女子小中学生向けファッション誌『ニコラ』の読者であった姉に「私はもうできないから結衣に頼んだ」と言われてモデル(ニコモ)オーディションに応募、グランプリを獲得。その後のモデル活動では主にかっこいい系のファッションやキャラで同世代の読者から極めて高い人気を集め、2005年春にニコモを卒業するまでの表紙登場回数は当時最多の15回を誇る。

翌年春にニコラ卒業を控えた2004年中頃からはバラエティ番組や水着グラビア、女優業などへと進出し、活動の場を広げている。女優としては2005年に出演した『Sh15uya』でデビュー。ニコモを卒業した今でも、ニコラに載る事がある。ただし、2006年秋ごろからは、バラエティの出演は減ってきている。
2005年にはNTT東日本企業広告CMへの抜擢、グリコ『ポッキー極細』のCM出演などで話題を呼ぶ。アニメの声優にも挑戦する。2007年秋公開の『ワルボロ』で映画デビューを果たした。また同年夏公開の『恋するマドリ』で映画初主演、11月3日公開の『恋空』でも主演を務めた。

今人気絶頂の彼女。可能性一杯の光る原石だ。沖縄出身の芸能人は数多い。県人口は日本全体のわずか1%なのに、比率で言ったらその何倍もある。なぜだろう?沖縄県民は独立意識が高いのだろうか?昔、琉球王朝があったように、同時の文化を持っていることもその際たる所以だろう。周りを海に囲まれた独立文化。人間も意外と周りを意識しないで、独自性を磨くようにすれば個性が際立つのかもしれない。そんな効用も見据えて「群れない」ことをお勧めしたい。ひとりの時間もそれなりに楽しい…
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-30 21:28 | 1985-1989(20~24才)
2007年 11月 29日

知ってた?ペーさんの誕生日。【林家ペー】

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林家ペー、本名:佐藤義彦、1941年11月29日生まれ。大阪市阿倍野区出身。林家三平の弟子であるが、落語はやらず、高座ではギター漫談を主に演じる。尚、現在、日本の落語家で、ギターを使った漫談を披露しているのは、月亭可朝と林家ぺーのみである。妻の林家パー子との「ペーパー」コンビで有名。桃色をこよなく愛し、また好角家でもある。

芸能界屈指の記憶力の持ち主で、数多くの有名人の生年月日を完璧に記憶している事で知られる。古今東西の芸能人から歴史上の人物・さらにはアニメの登場人物までの名前から誕生日を、また誕生日から名前を思い出す能力は驚異的。なお、特に記憶力に秀でた芸能人としてはジェームス・ブラウンが有名だが、2006年12月にブラウンが他界した為、現在はペーが世界一の記憶力を持つ芸能人とも言われる。
有名人との写真を撮りまくる事でも知られる。写真の数が増えすぎたため自宅とは別にマンションを借りて写真を保存していたが、2005年よりデジカメを取り入れた。即興のダジャレ「これは余談ですが...」が口癖。

今日がこの人の誕生日であった。誰しも自分の誕生日は忘れ去られたら悲しい。ペーさんは、芸能界の誕生日生き字引だ。本人の誕生日は果たしてどれだけの人が記憶してくれてることだろうか?最愛のパー子さんだけに祝ってもらえればいいか…いくつになっても誕生日はうれしい。この世に生を受けた日を自覚できる日だからかもしれない。感謝して歳を重ねたい。私もあと数日で誕生日を迎える。過去に戻りたいと思ったことは一度もない。これからも又そうでありたい。とりあえず、今日はペーさんにハッピーバースデイ。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-29 23:59 | 1940-1944(65~69才)
2007年 11月 28日

大食いクイーンは45kgの細身。【ギャル曽根】

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ギャル曽根、本名:曽根 菜津子。1985年12月4日生まれ。京都府舞鶴市出身。身長162cm、体重45kg。(そね なつこ)。京都府舞鶴市出身。京都府立西舞鶴高等学校卒業。調理師免許取得。地元でアパレル関連の仕事をしていたが、2005年から大食いのテレビ番組に出演するようになり、2006年の『元祖!大食い王決定戦 新爆食女王誕生戦』、2007年の『元祖!大食い王決定戦 新爆食女王限界死闘編』などで優勝。『ラジかるッ』、『大笑点』では、同じく大食いのジャイアント白田と大食い対決している。

当初は素人としての番組出演だったが、2006年に大手芸能事務所のワタナベエンターテインメントと契約してタレント活動を始めた。2007年4月に、辻希美、時東ぁみと共に藤田志穂のプロデュースによるパラパラギャルユニット・ギャルル結成を発表。曽根は「そねね」として登場した。初代リーダー辻の脱退により、二代目リーダーとなる。家族は母と姉と弟。大食いは家族や母から受け継がれたものであり、母の料理は普段から量が多く家族も皆沢山食べていたこともあって、幼い頃から大食いであったと言う。父は地元企業の社長で豪邸に住む等裕福な生活だったが、小学校3年の時にギャンブルで借金を作った事が原因で離婚し、裕福から一転し質素な生活を余儀なくされた。彼氏とは「食べすぎで、こっちが見てて気持ち悪くなる」という理由でフラれる。

若干21歳の細身ながら、大食い番組には必ずと言っていいほど登場する彼女。その食べっぷりを一度でも見た人は驚愕する。食べるのが好き!だけでは、あれほど食べられるものではない。食べ放題の店に一度でも行ったことのある人なら分かるだろうが、いかに人間思ったほど食べられないか思い知らされる。負けず嫌いな性格であることは伺える。仮に好きなものなら、どれほど食べられるだろうか?その前に何が食べたいかな?飽食のせいか、好き嫌いがないせいか、何を食べたいかが浮かんでこない…うーん。自分の場合、ビールの飲み放題のほうがいいかな?ははは。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-28 23:59 | 1985-1989(20~24才)
2007年 11月 27日

SETの座長は名俳優。【三宅裕司】

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三宅裕司、1951年5月3日生まれ。東京都千代田区神田神保町出身。明治大学経営学部卒業。大学時代、四代目「紫紺亭志い朝」を襲名。卒業と同時に立川志の輔に譲り、その志の輔も卒業と同時に渡辺正行に譲った。大学卒業後、コメディアンを目指して日本テレビタレント学院に入ったが、なじめずに3ヶ月でやめ、コントグループで活動した後、斉藤洋介らと共に1979年に劇団大江戸新喜劇の旗揚げに参加するが、1度も舞台に立たないまま脱退した。その時行動を共にした小倉久寛・八木橋修らと共に、1980年、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)を旗揚げ、現在にいたるまで座長を務めている。元劇団員に岸谷五朗、寺脇康文、小粥よう子らがいる。

1984年より、ニッポン放送のラジオ番組『三宅裕司のヤングパラダイス』のパーソナリティを務めたことで一気に知名度を得る。明朗快活な雰囲気に加え、キレの良い会話と、相手の話に対する反応の良さ、切り返しの巧さで、数々のバラエティ番組の司会を手がけている。2004年と2005年には、伊東四朗・小倉久寛らと共に「伊東四朗一座」を組み、軽演劇の舞台を作り上げたが、そこでも舞台を引っ張っていく手腕が遺憾なく発揮された。映画は、ミンボーの女、スーパーの女をはじめ多数出演。

警戒心を抱かせない顔とでも言うのだろうか。得な顔だ。決して二枚目ではない(失礼)。安心する雰囲気が全体的にかもし出している。しかも、頭の回転が速く、的確な対応・切り返しは江戸っ子ながら関西に通じるところがある。顔というのは、男女共に、二の線に憧れを抱く傾向が強いが、どちらがメリットが大きいかを考えると安心感のある方だろうか?先日も沢田研二が、事故の会見で久しぶりに姿を見せてたが、太ったその変貌振りには目を覆いたくなるものがあった。維持することは、実に大変なことだという実例だ。あなたも私も、イイ男、イイ女出なかったことを喜びたい!
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-27 23:59 | 1950-1954(55~59才)
2007年 11月 26日

キリコる。【磯野貴理】

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磯野貴理、1964年2月1日生まれ。三重県南伊勢町出身、三重県立南勢高等学校卒。血液型A型。2007年1月1日より、芸名を磯野貴理子から改名。銀行員を経て劇団七曜日に入団し、三人組のお笑いグループ「チャイルズ」として1987年の9月にデビュー。'80年代後半、「笑っていいとも!」のいいとも青年隊メンバーとして活躍する。2003年に担当マネージャーであった正司宏行と結婚。宏行の母がかしまし娘の正司照枝であることも話題となった。

チャイルズとしてデビューした後には、積極的に多くのドラマに出演し、出演するたびに脇役としての演技力を開花させ、その演技力を評価された。チャイルズ解散後もドラマには積極的に出演し、1988年から1997年後半まで連続ドラマから二時間ドラマに数多く出演していた。2004年にテレビ朝日系二時間ドラマ「おばあさんの反乱」で初主演を果たした。1997年後半からバラエティ番組への出演が多くなり、女優業をセーブしている。「森の磯松」は、磯野貴理、森尾由美、松居直美で結成されているユニット。現在は活動停止中。「はやく起きた朝は…」のレギュラー3人で結成されている。『行列のできる法律相談所』において、紳助に「キリコる」という造語を作られた。

場を盛り上げる脇役として、テレビになくてはならないタレントの一人だ。少々うるさい感も否めないが、それだけ存在感がある証拠だろう。黙っていれば美形の部類だろうが、所属事務所がお笑いだけに、自らの立場をわきまえているともいえる。これまで何度か改名をしている。名前を変えることで心機一転となることも少なくない。自らにキャッチフレーズを付けるのも同様の効果がある。ちなみに私なら、「自然体の自由人」とでも言ったところか?
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-26 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2007年 11月 25日

元祖、浜ちゃんこと。【浜田雅功】

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浜田雅功(まさとし)、1963年5月11日生まれ。大阪府大阪市浪速区出身。愛称は浜ちゃん。身長160cm(公称165cm)。血液型A型。趣味はゴルフ。日本を代表するお笑いコンビ、ダウンタウンの一人であり、ツッコミを担当。相方は、「松ちゃん」こと松本人志。妻はタレントの小川菜摘で、これまでに1991年と1994年に2男をもうける。出版物や声優などタレント活動以外では「浜田」ではなく、戸籍上の表記である「濵田」でクレジットされる。お尻の調子があまり良くなく(痔ろう)、常時青い座布団を敷いている。これは、テレビ番組やロケ時など、椅子などに座るシーンで確認できる。ジョージアのCM出演経験があるにもかかわらずコーヒー嫌いでも有名。ちなみに最近食べて感動した物はメガマック。トマトが大の苦手と言う。

芸人よりもタレント、俳優、スポーツ選手といった、別の業種に浜田を慕っている人物が多い。俳優の内藤剛志や袴田吉彦は番組での共演から親交が深い。俳優の細川茂樹、金子賢、加藤晴彦は「浜田ファミリー」と呼ばれており、自宅にもよく遊びに来るらしい。相方の松本曰く、浜田は努力家だという。現在の縦横無尽なツッコミも努力の賜物であるようだ。短気であり、非常識なファンには激昂することが多くある。

松本を描いて、浜田を描かないわけにはいかない。二人で一人前のコンビが多いが、彼らは明らかにピンで仕事ができる、個性の強い存在感のあるタレントだ。○○会社の誰々とか、所属先に名前が付いてくるのではなく、単体でもパーソナリティーを評価されるような仕事、生き方ができれば理想だ。それには大勢に流されること無く、ワガママが言えるか!?これに尽きるかな?人間、長いものに巻かれる方が楽だもんね…難しいよね、やりがいを求めるって。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-25 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2007年 11月 24日

かつての和製モンローも…【井上和香】

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井上和香、愛称ワカパイ、1980年5月13日生まれ。東京都渋谷区出身。血液型O型。身長166cm、体重54 kg。日出女子学園高等学校卒業。母は元女優の嵯峨京子。そうした環境も手伝って、幼少の頃テレビドラマに子役として出演した経験がある。高校卒業後は実家の割烹料理店の手伝いをしていたが、芸能事務所「インセント」に応募し芸能界入りをする。2002年10月、アイドル誌『ボム』にてグラビアデビュー。その後日本テレビの『日テレジェニック2003』に選ばれ、消費者金融会社プロミスのCMでブレイクする。2007年1月12日より、日本テレビ系『ぐるぐるナインティナイン』の名物コーナー「ゴチになります」で昨年12月22日放送で最下位となりクビとなった優香に変わり新メンバーとなる。

一般的にはFカップという豊かなバストが有名である。その特徴から「ワカパイ」との呼称がある。また初期には「和製モンロー」とも呼ばれた。これは当時のスリーサイズ(90 - 60 - 90)がアメリカの女優・マリリン・モンローと同じことから小堺一機がラジオで名づけたもの。趣味・特技は水泳、料理など。水着グラビアの仕事は一時期ほどはしていないが本人は「水着は私の原点。望みがあれば水着の仕事もする。」とも述べている。

グラビアに登場してから、もうだいぶ経つが、水着にならずとも息長らく活躍している、数少ないタレントの一人だ。人間には必ずと言っていいほど、転換を迫られる時がある。今のままではやっていけない時、方向を変えなければならない。もちろん最終的には自分で決断しなければならないが、どういう人達と付き合ってきたかが真価の問われるところだ。私の場合、できるだけマイナス思考の人達とは距離を置くことにしている。ひきづられてしまうことが少なくない。人間は弱い存在。だから、いざと言うときに力になってくれるのは人間関係。普段の生き方、付き合い方が大切だと感じる。井上和香にそんな気持ちの強さを感じた。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-24 09:13 | 1980-1984(25~29才)
2007年 11月 23日

お笑い界の奇才、松ちゃん【松本人志】

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松本人志、1963年9月8日生まれ。通称は「松ちゃん」。兵庫県尼崎市出身。血液型B型。左利き。結婚歴なしの独身。身長172.8cm。お笑いコンビ・ダウンタウンのボケ担当。相方は「浜ちゃん」こと浜田雅功で、1982年にコンビ結成。1990年代以降のお笑い界で絶大な人気を得ているお笑い芸人。そのためミュージシャンや俳優、作家などにも多くのファンを持つ。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』でのフリートークにおける即興的な笑いのスタイルに特徴を持つ。また、コントでの役になりきる自らのスタイルを「憑依芸人」と名づけている。

1982年に兵庫県立尼崎工業高等学校を卒業後、中学時代からの友人であった浜田雅功と共に吉本総合芸能学院(NSC)に入学(同校の1期生)。入学当初から浜田とコンビを結成。1994年から1995年にかけて、松本が週刊朝日に連載していたエッセイが単行本化される。題名は『遺書』『松本』で、それぞれ250万部、200万部の売り上げ。また、1994年度の高額納税者番付でタレント部門の1位になる。1990年代後半より、『一人ごっつ』シリーズ(フジテレビ系)、入場料1万円のコントライブ「寸止め海峡」、料金後払い制ライブ「松風'95」、コントビデオ『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』など、個人での活動も行うようになる。2007年、本人が企画、脚本、監督、出演の四役を務めた映画『大日本人』を発表。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待されたが、新人監督賞にあたるカメラ・ドールの受賞には至らなかった。

コンビで活動していると、一般的に一人だけが脚光を浴びるものだが、彼らの場合二人とも第一線で単独活動が続いている。稀なことだ。才能ある二人が偶然に出会う。そして長く活動を共にする。男女を問わず、長い間、一緒に時間を共にできることは素晴らしい。縁あって出会った相手なら、できる限り共生できることが理想だが、現実はなかなかうまくいかない。単に長ければ良い訳ではないが、続ける意義、意味と言うものも時には考えたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-23 09:39 | 1960-1964(45~49才)
2007年 11月 22日

まもなく「きれいな二児の母」に。【松嶋菜々子】

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松嶋菜々子、1973年10月13日生まれ。神奈川県座間市出身。血液型A型。身長172cm、体重50kg。相模女子大学高等部卒業。高校1年の終わりごろスカウトされ両親の反対を説得してモデルの仕事を始める。ViVi専属モデル時代から美肌・美髪を保ち、ファッションモデルとしても評価が高かった。モデルの仕事、旭化成のキャンペーンガール、CMなどを経て女優業も開始しつつバラエティ番組でも活躍した。1996年、NHKの連続テレビ小説「ひまわり」のヒロインに抜擢され主演を務める。その後はドラマ、映画と本格的に女優業に進み現在に至る。

趣味は水彩画、工芸で特技はピアノ、書道。普通自動車免許と普通自動二輪車免許を所持している。極度の近眼で裸眼視力が0.02の為、コンタクトレンズを使用している。夫は俳優の反町隆史で女児が1人いる。また、2007年7月31日、公式サイトで第二子の妊娠を発表。12月12日に男児出産予定である。2006年より、グローバルな貧困根絶キャンペーン「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」に参加。

一時はCM女王と呼ばれた彼女。まもなく二児の母になろうとしている。順風満帆と言う言葉が、正にお似合いな人生を歩いているように見える。子供の人数と幸せは比例関係にあるのだろうか?もちろん、欲しくても叶わない人はこの限りではないが、子沢山の家庭は夫婦関係もうまくいっているから、結果として増えていくのか?私は場合は娘ひとりだ。単純に子供の人数で幸せ度を測ること自体、馬鹿げている気もするが、少子化が叫ばれる現代、幸せ感を高めることがその解決方法にならないか?と考えてみたのだが…
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-22 23:59 | 1970-1974(35~39才)
2007年 11月 21日

祝連続200日達成!【おすぎ】

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おすぎ、本名:杉浦孝昭(たかあき)、1945年1月18日生まれ。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。横浜市立桜丘高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。ファッション評論家のピーコは一卵性双生児の兄である。「おすぎ」の芸名は本名の杉浦から。オカマキャラを全面に出して1975年のテレビ・ラジオデビュー以来、芸能界の第一線で活躍している。1978年、大島渚監督作品『愛の亡霊』に俳優として出演している。本業の映画評論では本名の杉浦孝昭の名義で活動し、映画専門誌の「キネマ旬報」などに寄稿、当時から映画界で若手論者として高い評価を得ていた。美術系の技能を生かし数々の映画雑誌のレイアウトなどクリエイティブな仕事に編集者として携わる一方で、テレビでのタレント活動が、「おすぎとピーコ」として話題を呼んだ。

人の好き嫌いがはっきりしており、嫌いな芸能人が多数存在し、その代表が上沼恵美子と和田アキ子だと、普段からラジオ番組等で公言してはばからない。また石原慎太郎とも、「俺はナマコとオカマは大嫌いだ」なる暴言を吐いたことにおすぎが激怒し、猛烈な口論を繰り広げる遺恨があった。が、息子の石原良純とは上手く付き合っている。

今回で、この「似顔絵ブログ」連続200人目達成だ。まだまだ研鑽しなければいけないが、続けると言うことは知らず知らずのうちに変化をもたらす。何事も惰性でやっているなら止めるべきだ。そこには変わるものがないから。質が落ちては意味が無い。当初の目的とは変わりつつあっても、それはそれで楽しい。応援して頂いている読者?の皆様、この場をお借りして謝意を伝えたい。どうもありがとう、と。見てくれる人がいるというのは励みになる。23:59作成が多いが、こんな時は大体朝方に描きあげていることが多い。連続することが目的ではないが、もう少し頑張ってみたい。これからも気が向いたら、見に来てください。レベルアップしてるといいなぁ~
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by suzunobu-nigaoe | 2007-11-21 12:05 | 1945-1949(60~64才)