鈴信博堂の似顔絵日記

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2007年 10月 31日

サンタフェも今は昔。【宮沢りえ】

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宮沢りえ、1973年4月6日生まれ。東京都練馬区出身。血液型B型。身長167cm。11歳の時にモデルとしてデビューし、1987年に「三井のリハウス」の初代リハウスガール"白鳥麗子"役で注目を集め、トップアイドルとなる。その後、映画・舞台・テレビドラマで活躍中である。1989年、初主演映画『ぼくらの七日間戦争』で日本アカデミー賞新人賞を受賞。小室哲哉楽曲提供による『ドリームラッシュ』で歌手デビュー。カレンダーでは大胆なふんどしルックが話題を呼んだ。

1991年発売の写真集サンタフェは、人気絶頂時のヌード写真集で大ヒットし、150万部のベストセラーとなる。1992年、貴花田との婚約を発表し、当時国民的な人気を誇っていた2人の交際が大きな話題となる。しかし短期間で不可解な婚約解消。 2003年、『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞。 日本的な風貌で時代劇出演も多いが、父親はオランダ人である。つい最近も映画[オリヲン座からの招待状」の試写会で挨拶をするなど、話題を提供していた。

端正な顔立ち、抜群のスタイル。適齢期にありながら、なかなか結婚には恵まれない彼女。もちろん、結婚イコール幸せと言う訳ではないが、望んでいてもなかなか縁の薄い人がいるのも事実である。男の人も声を掛けにくいだろうな、彼女のような相手がいて当たり前の女性には。だからと言って、片付いてしまった女性を云々言うつもりもない。日本語は難しい…(汗)最近、女優としての評価が更に高まっている彼女だけに、今後の活躍を楽しみにしたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-31 12:40 | 1970-1974(35~39才)
2007年 10月 30日

不死鳥のオネエキャラ。【美川憲一】

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美川憲一、本名:百瀬 由一(ももせ よしかず)、1946年5月15日生まれ。長野県諏訪市出身。血液型A型。慎重172.5cm。紅白歌合戦に出場し続けている演歌歌手。1965年、「だけどだけどだけど」で歌手デビュー、デビュー時は男装・中性的キャラクターだったようだ。1966年、「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げるヒット。その後も「おんなの朝」「さそり座の女」などのヒット曲を出し7年連続で紅白歌合戦に出演していたが、突然落選してしまい、これを皮切りに70年代半ばより低迷。

1980年代後半、ものまねブームのなか、コロッケによる美川のマネが大うけ。便乗する形で美川本人もオカマ口調をやるようになって人気が奇跡的に復活した。それ以降、ヒット曲こそないが、「芸能界のご意見番」などとしてワイドショーやバラエティ番組にしばしば登場し、タレントとしての地位を確保。彼の毒舌やトーク聞きたさにディナーショーにもおばさまたちが集まり、集客が見込めるタレントとなった。再ブレイク以降は活動のメインをバラエティ番組にシフト。「オカマキャラクター」「金満キャラクター」として現在も活躍中。

不死鳥のように蘇ってきた芸能人の一人。運も味方しただろうが、一貫した美川なりの生き方があったように思われる。いい時ばかりではない。今だって代表曲といったら昔の歌ばかりだが、それでも美川憲一で通用する。我々も見習いたい。変わらぬ姿勢、動じない言動。なかなかできない。日々、修行させられているのかもしれない。そう思えば、何かあって当たり前の毎日。感謝である。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-30 15:29 | 1945-1949(60~64才)
2007年 10月 29日

デビュー55周年、お疲れ様です。【ペギー葉山】

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ペギー葉山、1933年12月9日生まれ。東京都新宿区出身。青山学院大学卒業。1952年にキングレコードより歌手デビュー。2007年6月から社団法人日本歌手協会会長を務める。また、歌手以外の活動としてはフジテレビ系幼児教育番組ひらけ!ポンキッキで「しつけのコーナー」を担当していた。夫は俳優の根上淳(故人)で、夫が「帰ってきたウルトラマン」、ペギーが「ウルトラマンタロウ」と、夫婦それぞれウルトラマンシリーズの作品に出演している。今月26日、デビュー55周年記念コンサートを東京・青山劇場で開催。1200人の観客を前に、13年ぶりの新曲で作詞家の阿久悠さんの遺作「神様がくれた愛のみち」などを熱唱。

南国土佐を後にしては、1959年当時で100万枚を超える大ヒット。学生時代、大人と子供、ドミノ、ドレミのうた、ウンパッパ、ドミニク、ラ・ノビア、算数チャチャチャ等ジャンルは幅広い楽曲を歌いこなしてきた。両親は広島県出身。戦時中は広島に疎開する予定だったが、直前に父が広島は危険、と急遽集団疎開に切り替え、福島県のいわき市に疎開し被爆を免れた逸話を持つ。

55年歌い続けているペギーさん。職業にもよるが、スポーツ選手の現役生活は短い。サラリーマンなら40年前後。長ければ良いというものではないが、一定の評価に時間の長さは値する。人生の長さは人それぞれ。己の意思で続けられるものではないが、想いが強くなければ続くものではない。仕事も、人間関係も。私も来年で仕事現役30年。どこまでやれるか分からないが、健康をまず第一に良い仕事、良いお付き合いをさせて頂きたい。みなさま、これからもよろしくお願いいたします。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-29 02:01 | 1930-1934(75~79才)
2007年 10月 28日

父親は元プロレスラー。【坂口憲二】

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坂口憲二、1975年11月8日生まれ。 東京都出身、明治大学付属中野高校卒業。しかし高卒時、相次ぎ大学受験に不合格となり進路に困っていたところ、実父の坂口征二と交流があった人物の勧めでハワイ東海インターナショナルカレッジを受験・合格し、同校へ進学したことがこの後の憲二の人生を大きく変えた。ハワイ東海インターナショナルカレッジに在籍していた間に習得した英会話やサーフィンが特技。彫の深い端正な顔立ちが人気を呼び、「MEN'S CLUB」でモデルデビューした後、人気モデルとして広く活躍した。

後に俳優としての可能性にも興味を持ち、テレビドラマや映画に出演するようになった。2002年、ドラマ『天体観測』で共演した女優小雪との交際が報じられた。2004年7月公開の映画『機関車先生』では主演を任されるまでに成長し、2006年4月からのフジテレビ系列ドラマ『医龍-Team Medical Dragon-』においては、これまでにない渋い演技が高く評価されて、以前と比べて演技力に格段の成長が見られる。2005年11月8日に30歳の誕生日を迎えた彼は、俳優としての更なる深い道を歩もうという真剣な態度が見けられており、日本が世界に誇るイケメン俳優として今後も期待が熱い。CMにも多数出演中。

環境が人間を変える。坂口の場合もハワイへの留学が転機になったように、転機は自分の意思とは裏腹に突然訪れる。思うようにいく人生の方が少ない。むしろ、転機を楽しんでしまうくらいの開き直りがあった方が上手くいくことが多い。しかしながら、転機とは過ぎてみないと分からない。私も今転機のような気がするがどうだろう?仕事、人との関わり、環境。でも、先が見えていたら、それはそれでつまらないか?できることを今は精一杯やろうっと。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-28 08:46 | 1975-1979(30~34才)
2007年 10月 27日

車上荒らしにご注意を!【榊原郁恵】

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榊原郁恵、1959年5月8日生まれ。 神奈川県厚木市出身。堀越高校卒業。ホリプロ所属。夫は、俳優の渡辺徹。2男の母でもある。デビューから数年間は、ピチピチ”な肢体を小さめの三角ビキニに包んで、数多くのグラビアやアイドル水泳大会などで惜しげもなく披露し、当時の青少年に大きな衝撃を与えた。いわゆる「巨乳アイドル」のはしりであった。2005年には自身の当り役『ピーター・パン』の「宙乗り」18年ぶりに挑戦。当時の衣装をそのまま着て飛んで見せ、衰えない若さをアピールした。

フジテレビ『ものまね王座決定戦』の総合司会を1987年から2000年までの長期にわたって務めたことも有名で、今でも「ものまね王座の司会者といったら榊原郁恵」と言われることも多い。また、同局で1990年前後~2007年9月28日の間、夕方→午前枠と何度も時間は移動したものの、ミニ番組形料理番組の看板司会者として約16年もの間担当した。その間でも特に、約13年共演した井森美幸との絶妙なコンビは有名。デビュー30周年の今年、料理本を出版するなど活躍する傍ら、つい最近立ち話の隙に車上荒らしにあい、ニュースを賑わした。

明るい印象の郁恵ちゃん。デビュー当時から見れば、イメージは大きく変わったが、一貫して快活な部分は変化しない。たぶん、良い人生を送れている人なのだろう。表情は隠せない。日々の積み重ねで、個性としての「顔」が形成されていく。だから、どんな思いで生きてきたか、おおよそ見当が付いてしまうのが顔だ。怖いよね… 私も眉間に縦ジワが時折できてしまう。これがなかなか直らない。意識次第で癖は直る。川の石が、河口に流れ着くに従い丸くなるように、穏やかになりたいものだ。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-27 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2007年 10月 26日

愛されキャラ。【西田敏行】

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西田敏行、1947年11月4日生まれ。福島県郡山市出身。明治大学農学部中退。身長166cm。優しい顔とふっくらした体型がトレードマーク。愛称は「西やん」。1967年、仲間と劇団『シアター67』を結成するが、失敗。翌年、青年座俳優養成所に入り、1970年に卒業、青年座座員となる。同年の青年座公演『写楽考』では早くも主役に抜擢され大器の片鱗を見せる。

1978年には『西遊記』、1980年には『池中玄太80キロ』などの連続ドラマで活躍。また、歌唱力にも定評があり、1981年に『もしもピアノが弾けたなら』を大ヒットさせた。ものまねを得意とし、特に丹波哲郎は秀逸であるとされる。1988年から映画の『釣りバカ日誌』シリーズに出演し、本人の素に近いコミカルな演技を見せる。2003年、病気で倒れて以来、禁煙。NHK大河ドラマに数多く出演しており、初出演した1972年の『新・平家物語』から、2006年の『功名が辻』まで、出演作品数は計11作にのぼる。

今年から、宝くじの新たなキャラクターとしてCMに登場しているが、キャラというのは一度定まるとなかなか変わるものではない。イメージが固定してしまうからだろうか?我々も芸能人ほどではないにしろ、周りの人々から「こういう人だから…」等と言った固定観念を持たれて、或いは持って生活している。良い事も悪い事も、認識してもらうには一定の時間が必要だ。このブログをご覧頂いている方だって、毎日更新されてるのが分かってるからこそ開いてくれるんだと思う。見えない一人ひとりにメッセージを込めて、ありのままの私を伝えていきたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-26 08:21 | 1945-1949(60~64才)
2007年 10月 25日

サイボーグ的美人。【叶美香】

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叶美香、本名玉井美香。1967年9月23日生まれ。愛媛県西条市出身。大阪府松原市育ち。樟蔭東高等学校、夙川学院短期大学児童教育学科卒業。身長170㎝、B98cm、W58cm、H91cm。第20回1988年ミス日本グランプリ。小学校教諭二種免許を所持している。高校時代、本名である玉井美香の名で阪神タイガースを応援する番組「週刊トラトラタイガース」に番組アシスタントとして出演。1988年、日本テレビ系の深夜番組「11PM」のカバーガールとして月曜日にレギュラー出演。その後、某プロデューサーの肝煎りで玉乃ヒカリと改名、グラビアアイドルとして活動していた。当時もテレビ出演などの経験があり、新人としてはそこそこ売れていた。

叶姉妹では奔放な姉のフォローをするしっかりものの妹(三女)の役。恭子と一緒に出演するだけでなく、単独でのテレビ番組出演も多い。傍若無人ともとれる姉の行動に振り回されることもしばしばだが、それをよくテレビでネタにするなど、したたかな性格でもある。2006年4月3日、美香を被写体に恭子が撮影したという触れ込みのヘアヌード写真集「Sweet Goddess」が発売された。男性はもとより女性にも広く支持され、20万部を突破するベストセラーとなる等、現在もバラエティ中心に精力的に活躍中。

一般的な好みから言えば、姉恭子より美香の方が圧倒的に支持が高い。物事には、汎用という言葉があるが、最大公約数において表面的柔らかさが受け入れられる要因だろう。絶対的人気ではないが、常に存在感があり知らない人がいないくらい認知度は高い。人工的な作られた美しさを感じる。芸能人の目的は売れること。だとしたら、そのための作為的表現は当たり前なのかもしれない。世の中、知らないほうが良かったという事は数多い。あなたもメリットのために黙っていること、ありませんか?
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-25 22:03 | 1965-1969(40~44才)
2007年 10月 24日

テレビ朝日、夜10時の顔。【古舘伊知郎】

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古舘伊知郎、1954年12月7日生まれ。 東京都北区出身。血液型AB型。立教大学経済学部経営学科卒業。1977年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。面接にて広辞苑の丸暗記という特技を披露し、見事採用される。 1980年から『ワールドプロレスリング』の実況アナとして山本小鉄と名コンビを組む。特に、「おーーーーーっと!」の名調子は、プロレスファン以外に対しても古舘をメジャーに押し上げたきっかけとなったと言える。これは古舘独特のフレーズであり、ものまねの対象になるなど、様々なパロディも散見された。

1984年6月テレビ朝日を退社後、大学時代の友人と芸能事務所「古舘プロジェクト」を設立。フリーになってからは、1989年から1994年までのフジテレビ系のF1放送や、競輪における特別競輪(現在のGI)決勝戦の実況中継、更には、自らの一人芝居型講演会「トーキング・ブルース」を始め、「クイズ日本人の質問」、「おしゃれカンケイ」等、数々のテレビ番組に出演。現在はテレビ朝日の看板番組、『報道ステーション』のキャスターとして久米宏の後を担当している。

スポーツ中継の古舘は輝いていた。しかし、今の彼はどうだろう?芝居がかった相槌、わざとらしい抑揚。笑っていない目。とても違和感がある。大衆とは隔絶した立場にいながら、あたかも庶民の代表みたいな、無理のある言い回しは好きではない。これは素直に、私の主観だ。しかしながら、同じ気持ちで彼を見ているのは私だけではないはず。たとえ環境が変わっても、あの人変わったよな…と、嘆かれてしまうのは悲しい。未だ彼も立ち位置を模索しているのだろうか?
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-24 23:59 | 1950-1954(55~59才)
2007年 10月 23日

ビューティーアドバイザーって?【叶恭子】

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叶恭子、1962年10月7日生まれ。叶美香とは実の姉妹ではない。本名小山恭子。大阪市城東区出身。帝国女子高等学校中退。身長168cm、B96cm、W56㎝、H90cm。血液型O型。叶姉妹では姉(長女)の設定。「美香には少し厳しいが、全ての世話を美香にやらせており美香がいなくなると困ってしまう」というように、奔放で世間知らずな姉の役。 高校中退後、様々な職種を経て、本名の小山恭子の名でファッションモデルとして活動。 モデル名鑑によるとオスカープロモーションに杉本エルザという芸名で所属していた(本人は否定)。当時の活動は、エキストラとして以外は特に経歴に残るものはない。 1984年頃から叶恭子と名乗り始め、グラビアやカラオケビデオなど、肌を露出した仕事を始める。
 
注目を浴びるようになったのは雑誌『25ans』のスーパー読者として登場した事から。2人は設定上は異父姉妹だが、実際は姉妹でも異父姉妹でもない。まれに誤解されるが、叶姉妹は芸能ユニットであり、メディアでの行動や発言は、あくまで商業上の設定に基づく職務として行っているものである。ユニット結成当初は「三人姉妹」であった。恭子と美香の間に次女 ・晴栄(はるゑ)がおり「叶三姉妹」として取りあげられていた。職業については疑問点が多いが、「トータルビューティーアドバイザー」「トータルライフアドバイザー」と自称する。

まるで獣を思わせる目力。どんな、生き方をしてきたのだろうか?たぶん負けず嫌いな性格だろう。自己顕示欲って、みんな持っているけれど、一般人には芸能人の執着心は解らない。羨ましがる事は易いが、想像以上に身を削っているはずだ。どこまで開き直れるか、腹をくくれるか?人生の転機には必ず試されている。変わろうとしたこと、あなたはありますか?
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-23 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2007年 10月 22日

今、密かにブーム。【千葉真一】

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千葉真一、1939年1月22日生まれ。福岡県福岡市出身。血液型O型。 海外では「サニー千葉(ソニー千葉)」の名前で知られている。身長170cm。特技である空手(極真カラテ/創立者の故・大山倍達氏から生前に名誉三段を授与される)、少林寺拳法を中心に、スキー、乗馬、武道などあらゆるスポーツに精通する。かつて主宰していたジャパン・アクション・クラブ(通称JAC)出身の井上誠吾が館長を務める、空手道場「日本空手道 誠真会館」の総裁でもある。現在は日本とアメリカを股にかけて活動し、日本、アメリカ、東南アジアと世界各国への空手の普及に尽力もしている。

1968年から放送が開始されたテレビドラマ『キイハンター』に出演し、今まで誰も見たことのないスーパーアクションをスタントなしでやって見せ、若者たちの話題をさらう。共演の野際陽子と結婚し、離婚している。1970年代は「やくざ刑事」シリーズや「ボディガード牙」シリーズ等スーパーアクションを見せ、世界の映画人に影響を与えるようになる。そのアクションは海外でも高く評価され、日本で関根勤が千葉のものまねを得意としているように数多くの熱狂的なファンが存在する。

かつてコロッケが、美川憲一を真似てブームになったように、関根勤のものまねによって彼を知った人も少なくない。カッコイイ男の代名詞だった彼も68歳。いまでも十分魅力的だ。自分自身を律することは難しい。肉体的にも、精神的にも。そのどちらも実践しているイメージがある。人間は弱い生き物だが、せめて何かひとつ、決めたことをやり抜く意志を持ち続けたいものだ。今日で、似顔絵ブログ、連続170日目。応援、よろしくね
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by suzunobu-nigaoe | 2007-10-22 18:47 | 1935-1939(70~74才)