鈴信博堂の似顔絵日記

suzunobu.exblog.jp
ブログトップ

<   2007年 09月 ( 30 )   > この月の画像一覧


2007年 09月 30日

コンサート活動復活!【吉田拓郎】

c0119436_2361245.jpg

吉田拓郎、1946年4月5日生まれ。鹿児島県大口市生まれ広島県広島市出身。広島商科大学卒業。夫人は四角佳子~浅田美代子~森下愛子と3度目。血液型A型。身長176cm。日本のシンガーソングライターの草分け的存在で、当時まだまだマイナーな存在だったフォークとロックを一気に日本の音楽シーンのメインストリームに引き上げ、また大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立など様々な新しい道を開拓したパイオニアとして、日本ポピュラーミュージック史における最重要人物の一人である。

70年、初アルバム「青春の詩」を発表し、71年「結婚しようよ」72年「旅の宿」が大ヒット。 1975年井上陽水、小室等、泉谷しげると歌手たちの手による初のレコード会社「フォーライフ」を設立。1977年には社長に就任。1982年に退任。1999年ベスト盤「ペニーレイン」を発売して同社を退社。近年はフジテレビ「LOVELOVEあいしてる」などテレビでも活躍。 2003年、肺がん摘出手術を受けるも同年の全国ツアーで復活。

自己主張の塊みたいな顔をしている。ハッキリ言って、人相は良くないと思う。愛想はないし、目線もどこか挑発的だから。イケメンではないが、女性の心を捉える。3回も結婚してるのはその証?もちろん、男性の熱烈なファンも多い。発言も奔放だが、それだけの実績も残してきた。今彼は病気と闘っている。良くなって欲しいと思う。彼の代わりはいないから。好き勝手に生きることはリスクも伴う。しかし、後悔も少ないはずだ。彼から見習うことは多い。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-30 23:22 | 1945-1949(60~64才)
2007年 09月 29日

ビールの似合う「こにたん」。【小西真奈美】

c0119436_16152313.jpg

小西真奈美、愛称こにたん、1978年10月27日生まれ。鹿児島県薩摩川内市出身。血液型AB型。身長168cm、体重55kg。エリートモデルルック日本代表を経て雑誌などでファッションモデルとして活躍。その後、「北区つかこうへい劇団」に入団し女優に転向、『寝取られ宗介'98』で女優デビューする。同劇団在籍時からテレビでの活躍が多くなり、フジテレビ系『ココリコミラクルタイプ』でバラエティに初出演し一躍人気を獲得。女優としても、同時期にNHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』に出演し、ヒロインの恋敵となるクールな女医を好演。同ドラマがブームとなったこともあり、認知度も高まった。

2003年に、第26回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。喋ることができない難病を抱える少女役を演じた実績が認められての受賞。2006年に、6年をかけて撮影した、自身初の写真集『27』を発売。2006年より出演したアサヒビールの「ぐびなま」のCMが反響を呼んだ。この年は,日本地ビール協会によるアンケートで、2006年の「ビールが似合う女優」第1位、2006年6月のCM好感度調査でも第2位に選ばれた。

私の偏見かもしれないが、AB型の人には毒舌家が多い。情に流されず、クールな物の見方をすることから、一見冷たいなどの印象を与えるが、決してそんなことはない。表現方法が一般的ではないのだ。マイワールドというか、彼女にもこの傾向は見られると思う。バラエティでの彼女の印象がイメージを変えた。割り切ると何でもできる人なのかもしれない。そういう意味でも今の時代、女性の方が圧倒的に強い。鬼に例えるのは正しくないが、金棒を持ってしまったら男は太刀打ちできない。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-29 16:21 | 1975-1979(30~34才)
2007年 09月 28日

アクション俳優の草分け。【真田広之】

c0119436_316653.jpg

真田広之、1960年10月12日生まれ。東京都品川区出身。血液型A型。堀越高校、日本大学芸術学部映画学科卒業。芸名は千葉真一による命名。身長170cm。体重63kg。巧みなアクションと繊細さを兼ね備えた確かな演技力で舞台、映画、テレビドラマ、CMと幅広く活躍する。アクション俳優としての枠を超えた幅広い演技を求めたことと、母が脳出血で急死したことを受け1989年にジャパンアクションクラブから独立。それまでのアクション中心の演技を意図的に転換し、成功している。

幼児向け雑誌のモデル等を経て5歳で劇団ひまわりに入団。1966年に『浪曲子守唄』で子役デビュー。主な出演映画は、『里見八犬伝』、『麻雀放浪記』、『快盗ルビイ』、『リング』、『陰陽師』、『たそがれ清兵衛』、『亡国のイージス』。外国映画では、『ラストサムライ』、『上海の伯爵夫人』、『PROMISE』、『サンシャイン2057』、『ラッシュアワー3』等がある。

年齢的には「おじさん」ではあるが、男の色気を感じさせるナイスガイのひとりだ。カッコいいよね、彼自身の持つ雰囲気。それ自体が売り物だから、維持するのも仕事のうちなんだろうけれど。体型ひとつにしてもピークを保つのは難しい。私自身、せめて肥満にならないようには気遣っているものの、いつまで続くやら…こだわりを持つことは大切だ。今は、このブログがいつまで続くのか自身を見守りたい。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-28 23:59 | 1960-1964(45~49才)
2007年 09月 27日

芸能界のお母さん。【中村玉緒】

c0119436_1212630.jpg

中村玉緒、1939年7月12日生まれ。京都府京都市出身。京都女子学園卒業。血液型O型。実父は大映映画の貴重な脇役でもあった歌舞伎俳優中村鴈治郎 (2代目)。夫は俳優の故・勝新太郎、実兄は歌舞伎役者の坂田藤十郎 (4代目)、甥は同じく歌舞伎役者の中村翫雀・中村扇雀兄弟。長男は俳優の鴈龍太郎(奥村雄大)、長女は奥村真粧美。義姉は元・参議院議長の扇千景。

1953年、本名の林玉緒で松竹『景子と雪江』に映画初出演。1960年代半ばまで幼馴染の市川雷蔵や山本富士子、若尾文子らスターの脇役として大映で活躍。1970年代はテレビドラマの脇役として活躍。「不幸な母親を演じさせたら、この人の右に出る人は居ない」と言わしめる程、痛々しい母役を得意とし評価を得ていた。シリアスなドラマの出演が多かった。1994年に明石家さんま司会のバラエティ番組「明石家多国籍軍」らでの天然ボケ役で大ブレイクする。長者番付に名を連ね、主演ドラマや主演舞台もこなすようになる。さんまだけでなく、小堺一機や志村けんなどからも「お母さん」と慕われている。

ご苦労の多い人生とは思うが、本人の表情からは、そんなことを微塵も感じさせないところが凄い。怒っていれば眉間にシワ、笑っていれば笑いジワというように、普段の表情の積み重ねがその人の雰囲気や個性を形作る。玉緒さんの場合、やはり目だろう。目さえ描き上げられたなら似てくる。テレビでも笑い声の絶えないキャラクターだが、たとえ演技だとしても不快感を与えるしかめっ面よりは遥かに良い。良い所を少しでもマネられたら、人生も豊かになるに違いない。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-27 12:14 | 1935-1939(70~74才)
2007年 09月 26日

世界で最も認知されている日本人俳優。【渡辺謙】

c0119436_043772.jpg

渡辺謙、1959年10月21日生まれ。新潟県魚沼市出身。演劇集団「円」を経て2002年よりケイダッシュ所属。身長184cm、体重80kg。血液型はA型。「謙」の名は出身県である越後の戦国武将、上杉謙信に因む。日本国内・海外双方において映画を中心にテレビドラマ、舞台、テレビコマーシャルと幅広く活躍。2007年現在、生存している日本人で世界的に最も知名度の高い俳優の一人。

1982年、演劇集団円の劇団員に昇格し、『未知なる反乱』でテレビデビューを果たすと、1984年には『瀬戸内少年野球団』でスクリーンデビュー。1986年のNHK朝の連続テレビ小説『はね駒』でお茶の間にもその名が知られるようになった。1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で主役の伊達政宗を演じ、39.7%という大河ドラマ史上最高の平均視聴率を獲得。卓越した演技力と存在感に加え、容姿と日本人離れした体格にも恵まれた彼は一躍全国的な人気を獲得、一気にスターダムにのし上がる。映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板。再起はおろか生命も危ぶまれたが、約1年の闘病の後、治療を続けながらも俳優業に復帰。海外映画初出演となった2003年公開の映画『ラストサムライ』での演技が各方面から多大な評価を受け同年度の第76回アカデミー助演男優賞ならびにゴールデングローブ助演男優賞にノミネート。これを機に現在はロサンゼルスに居を構え、『バットマン ビギンズ』や『SAYURI』など海外映画に立て続けに出演するなど精力的に活躍中。

私と同年代の人の活躍は刺激を受ける。しかも、白血病を克服しての現場復帰には賛辞を贈りたい。人生、順風満帆な時ばかりではない。諦めないで、病気と闘ったり、仕事上の壁を乗り越えることも大切だ。もしかしたら、試されているのかもしれない。超えられない困難はやってこない-と言うが、多くの人が達成目前で諦めてしまうことも少なくない。もしかしたら、あなたのトンネルも間もなく出口かもしれない。もう少し、走ってみようか…
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-26 23:59 | 1955-1959(50~54才)
2007年 09月 25日

宝塚の女王は元男役。【天海祐希】

c0119436_2333950.jpg

天海祐希(あまみ ゆうき)、1967年8月8日生まれ。東京都台東区上野出身。宝塚歌劇団の元月組男役トップスター。血液型O型。身長173.6cm。スリーサイズB83・W58・H88。宝塚ファンの担任の影響で宝塚歌劇を志望、受験準備のため大滝愛子のスタジオに通っていた。杉並学院高等学校2年修了後の1985年、宝塚音楽学校に首席で入学。入学試験の際、植田紳爾は第一印象の華やかさに「お母さん、よくぞ産んでくださった」と驚いた。余談だが、入学は首席だったが卒業は18番だった。

1987年、宝塚歌劇団に入団、『サマルカンドの赤いばら』で初舞台。1993年に史上最短の7年で月組男役トップに就任。1995年12月、『ミー・アンド・マイガール』で退団。『利家とまつ~加賀百万石物語~』で共演した唐沢寿明に誘われ、2003年1月1日付けで現在の所属事務所である研音へ移籍。近年ではテレビドラマでの活躍が目立ち、フジテレビ、日本テレビでの出演が特に多い。2005年~の女王の教室、主演:阿久津真矢役(日本テレビ)でブレイク。今年は、テイクフライト/アメリア・エアハート役で、11月24日から12月9日まで東京国際フォーラムで公演予定。

華がある人だ。鶏が先か…ではないが、身長が高かったから宝塚を目指したのか、きっかけは人それぞれだ。ましてや男役となると、非日常の分野に違いない。演じると言う部分では、全くありえないキャラになりきるわけだからその大変さは想像を超える。しかし、彼女に限らず、我々凡人も演じなければならない状況は常に訪れる。たとえば仕事にしてもそうだ。たとえ性格が暗くても、明るい対応をしなければ受け入れられないのは言うまでもない。ささやかな演技を楽しんでみるのも、そう悪くはない。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-25 23:34 | 1965-1969(40~44才)
2007年 09月 24日

お元気ですか?【井上陽水】

c0119436_13383242.jpg

井上陽水(本名:いのうえあきみ)、1948年8月30日生まれ。福岡県嘉穂郡幸袋町出身。血液型AB型。身長178cm。1970年代には吉田拓郎、かぐや姫と並んでフォークソングあるいはニューミュージックの中心人物だった。その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年のベストアルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持している。2人目の妻である石川セリとの間に一男二女がおり、次女は作詞家として活動し、今年歌手デビューが決定した依布サラサである。

1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改めて、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。間もなく『断絶』をリリース。翌年シングル「夢の中へ」が初のヒット作となり、現在への基盤を確立していく。同年12月のアルバム『氷の世界』で一躍トップスターの座に上り詰める。『氷の世界』はリリース直後から1年半にわたってチャート1位を争い続けるなどした結果、1975年に、アルバムとしては日本初のミリオンセラーとなる。1974年のアルバム『二色の独楽』も10週連続1位を獲得する。これを機に、陽水は現在に至るまで「フォークの帝王」と呼ばれるに至る。

独特の甘い歌声と、繊細な歌詞。印象的なメロディー。もちろん努力はしてきただろうが、もって生まれた才能がなければ、これほどまでに長く第一線での活躍はあるはずもない。ビートルズをはじめ、いろんなアーティストの影響を受けたと本人も吐露しているが、誰しも気付かないまでも影響を受けている。両親かもしれないし、憧れの人かもしれない。影響を受けてきた人を改めて思い、感謝してみる。素敵な時間だ。世の中は、こうして脈々と受け継がれていく。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-24 13:42 | 1945-1949(60~64才)
2007年 09月 23日

「海を見ていた午後」が好き。【松任谷由実】

c0119436_20153363.jpg

松任谷由実、愛称ユーミン、1954年1月19日生まれ。血液型O型。東京都八王子市出身。 シンガーソングライター、作曲家、作詞家。荒井由実の名で活動していたが、1976年の結婚とともにアーティスト名も改姓。ペンネームは呉田軽穂(くれた かるほ)。匿名性を持って曲を提供する際に用いている。往年の美人映画女優である「グレタ・ガルボ」をもじったもの。夫はアレンジャー、作曲家、音楽プロデューサー、自動車評論家の松任谷正隆氏。

14歳のとき、プロとしての初めての仕事でスタジオでのピアノ演奏をした。以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、1971年に17歳で作曲家としてデビュー。1973年11月にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売、翌1974年より本格的にステージ活動を開始する。以降の活躍は知らない人がいないほど、ラブソングにユーミンありというほど、独自の世界観を歌い上げ、真似のできない分野を築いている存在感は偉大だ。2006年5月24日には35周年記念、34作目となるオリジナルアルバム『A GIRL IN SUMMER』をリリース。2007年8月から、キリンラガービールのミュージシャン登場CMシリーズ「時代は変わる。ラガーは変わるな。」の5組目として本人が登場。CM内で「卒業写真」「あの日にかえりたい」を歌う。

ユーミンというブランド。上手い歌ではないのに、なぜか心に残る声質にメロディ。ハイファイセットが歌う彼女のナンバーも好きだが、彼女のオリジナルも外せない。上手けりゃ良いと言うものではない、典型のひとつだろう。味わいのある、とでも言ったら良いのやら、良さを表現する言葉が難しい。万人に好かれなくても良い。一人でも、気に入ってもらえる何かがあったら素晴らしい…
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-23 00:00 | 1950-1954(55~59才)
2007年 09月 22日

ID野球で楽天をAクラスに!【野村克也】

c0119436_902383.jpg

野村克也、1935年6月29日生まれ。京都府京丹後市出身。身長175cm、体重85kg。血液型B型。峰山高-南海-ロッテ-西武-TBS、テレビ朝日野球解説-ヤクルト監督-阪神監督-シダックス監督を経て2006年より楽天監督に就任。 愛称はノムさん。ポジションは捕手。現妻はタレントの野村沙知代。息子は現・楽天2軍バッテリーコーチの野村克則。前妻の間にも息子が1人いる。養子にはプロ野球エージェントの団野村、ケニー野村がいる。

通算試合出場数は歴代1位、通算の安打、本塁打、打点数は歴代2位、純粋な日本人選手としてはどれも最多記録で、球史に名を残す大選手である。監督としても、リーグ優勝5回、日本一3回の実績を残している。選手・監督時代を通じて勝つために様々な工夫や駆け引きを重ねており、野球理論・野球技術の発展に貢献している。現役引退後の解説者時代には、従来の結果論でものを言うのではなく、理路整然とデータを元に説明した。ID野球を実践すべく、通称「野村スコープ」を駆使し、投手の配球をほぼ100パーセント的中させたのは有名である。日本のプロ野球において70歳代の監督となったのは仰木彬に次いで史上2人目、1年間監督を続け仰木の持つ最年長監督記録を更新した。

シルバー時代の到来。多くの業界で終身雇用の形態が崩れる中、逆の意味で門戸は開かれている。野村監督のように。高校野球界でも茨城の常勝高、常総学院が木内監督76歳の再登板を決行したばかりだ。年齢に関係なく、本質的な目で人を評価する時代になったのは良い事だ。される側は、自らを客観視する習慣をつけたい。ともすれば、甘くなりがちな自分への評価、野村さんのように辛口で評してみては…。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-22 08:56 | 1935-1939(70~74才)
2007年 09月 21日

働く母、頑張れ!【広末涼子】

c0119436_1462943.jpg

広末涼子、1980年7月18日生まれ。高知県高知市出身。血液型O型。身長161cm。高知市立城北中学校時代、陸上部に所属し、走り高跳びの選手として県大会で2位入賞。1994年、第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得。 1995年、グリコ乳業「Bigヨーグルト健康」でCMデビュー。その後、数々のCMに出演。中でも1996年に出演したNTTドコモポケベルのCMで一躍有名になる。

1997年4月15日、竹内まりやプロデュースによる『MajiでKoiする5秒前』で歌手デビュー。1997年、NHK紅白歌合戦に初出場。『大スキ!』を歌った。1998年、『銀河の約束』で初舞台。1998年、早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格。しかし、一部では「不正入学」と報道された。2004年1月17日、モデルでファッションデザイナーの岡沢高宏との結婚式・披露宴を挙行。 同年4月10日、男児を出産。2005年7月、フジテレビ月9ドラマ『スローダンス』で女優復帰。映画も今年だけで、バブルへGO!! タイムマシンはドラム式、Little DJ~小さな恋の物語~、路地裏の優しい猫等に出演。

結婚して、出産して、現場復帰。最近の流行かもしれない。それだけ、女性が強くなったのか?ライフワークとして仕事を持ち続ける。良い事だ。私の周りでも同様の女性が見受けられる。広末も子供を産んで、一回り大きくなった印象を受ける。幼いだけだった表情も、母としての責任感と言うのか、腹の据わった雰囲気さえ感じてしまうのは単なる先入観からだろうか?世の中の働く母にエールを贈りたい。
[PR]

by suzunobu-nigaoe | 2007-09-21 23:59 | 1980-1984(25~29才)