鈴信博堂の似顔絵日記

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カテゴリ:1925-1929(80~84才)( 10 )


2009年 03月 11日

病を押して出演し続けた晩年、挨拶すらも辛かったと言う。【渥美清】

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この題字は三菱鉛筆ボールペン「ジェットストリーム」で直筆したものです。


渥美清、1928年3月10日生まれ。1996年8月4日逝去。(満68歳没)
晩年は、立っていることもままならず、撮影の合間は寅さんのトランクを椅子代わりにして座っていることが多かったようだ。病気については1991年に肝臓癌が見つかり、1994年には肺に転移しているのがわかった。47作からは主治医からも出演は不可能だと言われていたが何とか出演した。1996年7月に体調を崩して同月末に手術を受けるが癌の転移が広がり手遅れの状態だった。私も両親を癌で亡くしている。最後は壮絶な末期だったことを今でも忘れられない。長生きするから癌になると言うが、できることなら最後は穏やかに幕を引けるに越したことはない。
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by suzunobu-nigaoe | 2009-03-11 23:59 | 1925-1929(80~84才)
2009年 01月 14日

ボディビルを始めた頃から「文体改造」にも着手、「金閣寺」を生む。【三島由紀夫】

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三島由紀夫、1925年1月14日生まれ。(今日が誕生日)1970年11月25日逝去。(満45歳没)
自殺の原因には諸説が挙げられるが、その一つとして考えられるのが、自身の「老い」への恐怖だったと言う。新潮社の担当編集者だった小島千加子に対しては「年をとることは滑稽だね、許せない」、「自分が年をとることを、絶対に許せない」と語っていたらしい。完ぺき主義だったのだろうか?幸いにも私には、彼のような自己愛的な陶酔癖はなかったお陰で無事歳を重ねてこられた。才能・感性からして、並みの生き方が許せなかったのかもしれない。生きていればそれだけで良いこともあるんだけどね(^_^;) フツーの人生もそれはそれで、楽しむことだってできるのにね、残念。
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by suzunobu-nigaoe | 2009-01-14 23:59 | 1925-1929(80~84才)
2009年 01月 07日

昨今は浴衣などのデザインも手がけていた。【森英恵】

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森英恵、1926年1月8日生まれ。
日本を代表するファッションデザイナーの一人とされる。日本にファッションもデザイナーも存在せず、あるのは注文服を作る洋装店と、家庭洋裁を教える洋裁学校だけだった時代にデザイナーを本職とした。特に70-80年代、成人女性に圧倒的な人気を誇った。言わば業界のパイオニアである。道なき大地に道を作ると言うのはとてつもなく大変な作業である。未知の世界に足を踏み出すのはとても勇気がいる。倒産させたにしろ、それをやってのけた彼女の功績は絶大。こんな不景気な世の中だと頼るものが当てにならなくなってくる。シッカリと地に足をつけて、動じない行動が採れるよう心掛けたいものだ。
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by suzunobu-nigaoe | 2009-01-07 23:59 | 1925-1929(80~84才)
2009年 01月 02日

山本伸一のペンネームで作家活動も。【池田大作】

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池田大作、1928年1月2日生まれ。(今日が誕生日)
調べてみればみるほど、様々な実績・功績がありすぎて、個人的にコメントすることは難しい。単に親しみを感じることを書くとするなら、優れた作詞家の一面を持つと言うことだ。池田氏は別格ではあるが、偉大と呼ばれる人達の多くは、多方面に優れた才能を持つことが多い。感受性が豊かなだけでなく、好奇心も旺盛なんだろう。宗教の是非は別にして、いろんなことに興味を持ち体験し、自らの可能性を広げることは素晴らしいことだ。狭い範囲での善悪を唱えるのではなく、広い範囲で見聞を広め他人の主張にも理解を示せる心のゆとりを持ちたいものだ。正月気分を早く切り替えないと、なかなか厳しい現実に対応難しいかも…今年は(^_^;)
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by suzunobu-nigaoe | 2009-01-02 23:59 | 1925-1929(80~84才)
2008年 12月 08日

世界最高齢映画主演女優としてギネスに認定。【菅井きん】

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菅井きん、1926年2月28日生まれ。
続けることこそが、意味のあることを実証してくれた今回のギネス認定。どんなことにも意味があるんだなぁと実感させられる。続けていれば誰かが見ていてくれるし、質も向上する。仕事でも趣味でも一緒だ。諦めないところに結果が付いてくるような気がする。だから、一度やり始めたことはせめて一定年月は続けたいものだ。この似顔絵ブログも間もなく連続描画600日を迎える。なんだか最近では生活の一部になってきた感さえある。肩肘張らず楽しみながら続けていけたら嬉しい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-12-08 23:59 | 1925-1929(80~84才)
2008年 11月 30日

今年10月、第45回総選挙に立候補しない意向を示した。【土井たか子】

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土井たか子、1928年11月30日生まれ。(今日が誕生日)
彼女を描いていて、意志の強さを目と眉毛に感じる。鼻もガッシッとしていて頑固そうだ。人の性格とは表情に出るもんだなぁと改めて痛感(-_-;)40過ぎたら顔に責任を…なるCMが昔あったようななかったような。それくらい顔と言うものは日常の積み重ねであることには誰も疑う余地はない。今更遅いかもしれないが、感謝の気持ちだけでもまだまだ顔つきは変わるかもよ(^_^;)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-11-30 23:59 | 1925-1929(80~84才)
2008年 10月 14日

日本ではミッキーよりキャラクターグッズ売れる年も。【クマのプーさん】

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クマのプーさん,1926年10月14日生まれ。(今日が誕生日)※公式設定では1921年8月21日とされているが、他にも諸説あり、当ブログでは今日を採用。最初にイギリスで出版されたことを根拠とする。東京ディズニーランドでは、2006年に原作デビュー80周年記念として、各種グッズが販売された。また、造幣局でも、2006年10月14日に、80周年記念の貨幣セット(「くまのプーさんとなかまたち 夢と冒険の80年 2006貨幣セット」)を発売した。 ミルンの童話、及びその童話の主人公であるクマのぬいぐるみであるテディベアの名前である。童話の挿絵は、E・H・シェパードによって描かれた。『クマのプーさん』は世界中に翻訳されており、作者の本国であるイギリスのみならず、多くの読者に愛され、親しまれている。

1998年にはアメリカでのプーさんのキャラクター商品の売上がミッキーマウスを上回り、ディズニーキャラクターで1位となった。キャラクター・データバンクの調査による日本におけるキャラクター商品の販売額において「くまのプーさん」は2002年から2005年まで4年連続1位を獲得した。日本ではプーさんのキャラクター商品は、子供だけではなく女子高生や大人世代にも人気があり、「癒し系キャラクター」と呼ばれることもある。

プーさんは蜂蜜が好物。詩や歌を作ったりする。今考えていたことをすぐに忘れてしまうと言う天然キャラ。 森の動物たちから頼りにされている、5歳ぐらいの男の子の設定。人間はいろんなパートナーを時として求める。プーさんののようなキャラも現実にもいるが大抵は男性だ。ほのぼの系とでも言ったらいいのだろうか?殺伐とした世の中では人は癒しなしでは生きていけない。疲れている人が多すぎる。確かに不確定な世相ではあるが、焦ってみたところで大きな違いはない。5歳の子供にこの複雑な社会情勢が理解できる訳もなく、無邪気に日々を過ごしている。だから対峙しているこちら側が心をほぐされるのかもしれない。皆様の周りにプーさんはいますか?いたとしたならその存在を大切にしてあげてくださいね(^_^.)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-10-14 23:59 | 1925-1929(80~84才)
2008年 06月 01日

世界中の永遠のマドンナ。【マリリン・モンロー】

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マリリン・モンロー、別名 ノーマ・ジーン・ベイカー、1926年6月1日生まれ。(今日が誕生日)没年1962年8月5日。(満36歳没)アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身。主な作品、紳士は金髪がお好き、七年目の浮気、バス停留所、荒馬と女等。ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)1959年『お熱いのがお好き』。1950年代中盤から現在に至るまで「アメリカのセックスシンボル」と称される。身長166.4cm 体重53.5kg B94 W61 H86、トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ、モンロー・ウォークと呼ばれた独特な歩き方。フェラガモに作らせた靴のサイズは、24.5cm。ノルウェー人の血を引いているといわれるが、本当の髪の色はブロンドではなく褐色であった。

16歳で、母の家の近所に住むジム・ドハティと最初の結婚をする。その後、スカウトされてモデルとして活動し始める。彼女の夫はモデル業に理解を示さなかったため、結婚から4年で離婚。当時所属していたモデル会社の名は、「ブルーブック・モデルズ・エイジェンシー」。ブルーブックとは、いまでいうアダルト本のことであり、モンローがヌードモデルをしていたことも頷ける話である。1952年の『ノックは無用』で初主演。1953年『ナイアガラ』での腰を振って歩く仕草で世の男性の注目を集める。以降主演作品が大ヒットして一躍トップスターとなった。1954年2月1日に元野球選手ジョー・ディマジオと結婚。読売ジャイアンツの招きもあり、新婚旅行を兼ねて日本を訪れたが、結婚生活は9か月しか続かなかった。1962年8月に36歳で死去。死の直後、マスコミでは死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。ただのドラッグ・オーバードーズであるとの声もある。

短く華やかな生涯である。映画スターにはこのような波乱の人生を送られた方が少なくない。太く短く、細く長く、どちらがいいのかわからないが、これとて本人に選択肢は無い。私の親友は25才の時に交通事故でこの世を去った。新聞社に勤めたばかりで前途ある未来が一瞬にして幕を閉じた。今でも彼が自分の近くにいるような気はするが、生きていてくれたらどんなにいいだろうか…と言う思いは未だに変わらない。だからと言うわけではないが、後悔だけはしないよう、目の前に訪れたチャンスはチャレンジしてみたい。変化を英語で書くとCHANGE。GをCに置き換えるだけで意味合いが変わる。チャンスとはほんの僅かな機微を捕らえられた者だけに訪れる褒美のような気がする。既に没後46年経つが、世界中に多くのファンを持つマリリンに追悼の意を表したい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-06-01 13:43 | 1925-1929(80~84才)
2008年 05月 04日

祝ブログ連続365日達成!【オードリー・ヘプバーン】

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オードリー・ヘプバーン、1929年5月4日生まれ、1993年1月20日(満63歳没)逝去。アメリカで活躍した映画女優。出生地ベルギーブリュッセル。国籍イギリス。AFI(米国映画協会)の「最も偉大な女優50選」では第3位。同協会の2002年選出で「最も愛すべき米国ラブストーリー・映画ベスト100本」にも、第4位『ローマの休日』、第12位『マイ・フェア・レディ』、第54位『麗しのサブリナ』、第57位『いつも二人で』、第61位『ティファニーで朝食を』。

アンネ・フランクと同い年で、戦後、オードリーはアンネの事を知りひどく心を痛めたという。ロン
ドンでバレエを習う等、ヨーロッパを中心とする各国で生活した経験を持つ。そのためか英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、イタリア語に抜群に堪能であった。『ローマの休日』のアン王女役、『麗しのサブリナ』のサブリナ役等で一躍有名に。華奢で日本人に親しみやすい風貌と言われ、そのファッションも憧れの的となった。現在でもその人気は根強く、写真展等のイベントが開催されるほどである。1989年の『オールウェイズ』を最後に映画界を引退。晩年はユニセフ親善大使に就任し、インドやソマリア等世界各地でマザー・テレサのように貧しい人のための活動も行う。その一方で『世界の庭園』という番組のホスト役として、7ヶ国・16の庭園を訪れる。1993年1月20日、結腸ガンで亡くなる。死後10年以上経つ現在でも「スクリーンの妖精」として世界中のファンに親しまれている。

これまでは現在活躍している人を中心に描いてきた。しかし、365日目の記念すべき日を誰にするか迷ったが、亡くなった方でも現代に強い影響を残している人たちが多いことに気付き、そう言った人達も描いてみたいと思い彼女を選んだ。連続1年続くとは自分自身思っていなかったし、またこのブログを楽しみにして下さる方がこんなに多くなるなんて夢にも思わなかった。心より感謝いたします。最近では似顔絵のクオリティよりも、3段目のエッセイのほうが目的になっている感もなくはないが私の大切なライフワークだ。今文章に30分、イラストに1時間の時間を使っている。適当な写真探しも時間の掛かる部分ではあるが、時間は作り出せば何とかなるものである。ただ、最近は昼間の仕事が終わってから、新橋の「さんろすLIVE」でもお手伝いしてる関係でブログアップが朝方になってしまうことがしばしば。それでもできる範囲で頑張りたいと思うので、これからも可能な限りお付き合いくださいますよう切にお願い申し上げます。本当に、連続365日うれしいです。(*^_^*)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-05-04 13:11 | 1925-1929(80~84才)
2008年 01月 17日

地元熱海が現場に使われることが多い?【橋田壽賀子】

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橋田壽賀子、1925年5月10日生まれ。京城(現ソウル)生まれ、大阪府堺市出身。日本女子大学文学部国文学科卒業、早稲田大学第一文学部芸術学科中退。 大学を2つも通ったのは、当時の時代背景として女性の就職率はとても低く、そのうえ学校を卒業したら結婚させられてしまう、というのがあり、どうしても脚本家になりたかった橋田は松竹に入社が決まるまでの間、大学に通わざるを得なかったという理由がある。1949年、松竹に入社し脚本部所属。1959年、独立作家となる。1966年、岩崎嘉一(当時TBSプロデューサー)と結婚。1989年9月、死別。1992年、橋田文化財団を設立し理事に就任。橋田賞を創設。現在は熱海在住。

女性脚本家らしく、ドラマの中の女性の視点から物語が展開されている。『渡る世間は鬼ばかり』等の現代劇では、10代~20代の男性出演者は黒髪が多い事、恋人同士でさえお互いにいつまでも敬語を使って会話する事、恋人関係から結婚に至る過程が堅過ぎる事等、現代に即さない面も指摘されるが、揺るがない人気と実績を誇る。橋田脚本のドラマには、泉ピン子などいわゆる「橋田ファミリー」と呼ばれる役者が決まって出演している。ベテランの役者が多く、橋田ドラマで鍛えられているため台詞や演技力は高いが、一方で橋田ドラマ以外では余り目にする事が無い役者も多い。代表作はあまりにも多いためここでは割愛させて頂く。

今年83歳を迎える彼女だが、矍鑠とした言動は年齢の個人差を窺い知らされる。個人差と言うのは何も年輩になってから出てくるものではなく、幼児期から見られる現象だ。人より劣るからと言って焦る必要はないが、努力によって補うこともできなくはない。特に彼女のように頭を使う仕事に従事されている方は、衰えを感じさせない場合が多い。考えると言う作業と体を動かす行為は、生涯続けた方がいいようだ。私も1日1万歩歩くようにしてから1年以上経つが、足腰から老齢化が始まると言われる昨今、どこかで体を使ってあげた方がいい。体力の減退は思うより早く、気づいたときでは取り返しがつかない。またしてもまた風邪をぶり返してしまい、今日医者に行ってきた。健康管理は注意したいものだ。橋田先生も長生きして、良い作品をこれからも残して頂きたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-01-17 23:59 | 1925-1929(80~84才)