鈴信博堂の似顔絵日記

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カテゴリ:1920-1924(85~90才)( 5 )


2009年 03月 27日

ネスカフェのCMが懐かしい。【遠藤周作】

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この題字は三菱鉛筆ボールペン「ジェットストリーム」で直筆したものです。

遠藤周作、1923年3月27日生まれ。(今日が誕生日)1996年9月29日逝去。(満73歳没)
満洲から帰国後、12歳の時に伯母の影響でカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学入学、在学中同人雑誌「上智」第1号に評論「形而上的神、宗教的神」を発表した。 慶應義塾大学文学部仏文科を卒業後、1950年にフランスへ留学。帰国後は批評家として活動するが、1955年半ばに発表した小説「白い人」が芥川賞を受賞し、小説家として脚光を得た。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作に『沈黙』『海と毒薬』『侍』『深い河』などがある。キリスト教と言う世界的宗教をベースに、多くの人たちに影響を与えた狐狸庵先生。宗教だけは取り上げ方が難しい。なぜならその話題だけで戦争にもなったりする。私の周りにも様々な宗教を信心している人々がいる。私自身は無心人者であるが、理解できなくもない。環境としては、創価学会、キリスト教、真光など体感したこともある。そのわすかな経験から感じることは、人は弱い存在で常に何かに頼りたい―と言うこと。私も今、何かにすがりたいかも(;一_一)
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by suzunobu-nigaoe | 2009-03-27 23:59 | 1920-1924(85~90才)
2008年 12月 07日

独特の歌唱スタイル(左耳に左手を沿えて歌う)が懐かしい。【鶴田浩二】

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鶴田浩二、1924年12月6日生まれ。1987年6月16日逝去(62歳)
亡くなられて既に20年以上になるのか。若い方は知らないだろうが、一意時代仁侠映画が流行った時があった。俗に言うヤクザ映画だ。その中心的スターだった鶴田浩二。無口でシャイで一徹な男が良い男の代名詞だった。今の良い男とは180度も違う。どんなイケメンよりも優しく面白くマメな男がモテる時代。故人には嘆かわしい世の中になってしまったかもしれないが、時代は刻々と変わっていくもの。変化できない人や会社は取り残されてしまう。チェンジとはいつの世も大切なキーワードだ。公私共に変化のニーズを見極めたい。CHANGE⇒CHANCE
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by suzunobu-nigaoe | 2008-12-07 23:59 | 1920-1924(85~90才)
2008年 06月 17日

永遠の処女は今何処…。【原節子】

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原節子、本名 会田昌江、1920年6月17日生まれ。(今日が誕生日)神奈川県横浜市出身。 私立横浜学園中退。1935年、『ためらふ勿れ若人よ』で日活から映画デビュー。芸名は同作の役名”お節ちゃん”に由来する。1937年、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役にアーノルド・ファンク監督が選んで注目される。ファンクは当初、田中絹代をキャスティングしたが契約上の問題で果たせず、原節子を代役に立てることになった。伊丹万作監督が協力したこの作品は、ファンクが編集した作品と伊丹が編集した作品が日本では公開されファンク版がヒッとなった。ドイツでもヒットし、当時のドイツ要人も鑑賞するなど話題を呼んだ。原は義兄の熊谷久虎や他の映画監督と共にドイツに渡り、和服姿でこれら要人を表敬訪問している。この後世界一周旅行をへて帰国、東宝に移籍。

戦争中は、1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』をはじめとする国策映画のヒロイン役に多数出演した。1949年の『青い山脈』では女性教師役を演じ、服部良一作曲の主題歌とともに大ヒット。同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ 6作品は、日本映画を代表するものとして、国際的にも著名となった。1962年の『忠臣蔵』を最後に「衰えた容姿を見せたくない」として、映画界を引退。1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を見せていない。 人前に姿を現さないように隠棲、現在は神奈川県鎌倉市で親戚と暮らしているという。なお2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・日本編」では原が女優部門の第1位に選ばれている。

往年の大スター。リアルタイムに見たことはないが、語り継がれるその容姿は未だに根強いファンを持つ。時代時代で流行は変わるもので、眉毛が結構太い。今どんな雰囲気でいるのか、見たい気持ちと見せたくない気持ち、どちらも分らなくはない。美男美女は減点方、それならいっそ最初悪い印象で後から加点される方が気が楽かもしれない。人間見た目が9割かもしれないが、あとの1割意外と無視できない。それなら見た目もソコソコの方が良かったりして…。ひねくれた考え方かな(;一_一)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-06-17 23:09 | 1920-1924(85~90才)
2007年 08月 24日

多分、登場頂く似顔絵最高齢。【森光子】

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森光子、1920年5月9日生まれ。京都府京都市出身。血液型B型。日本俳優連合名誉副会長、フジテレビジョン番組審議委員。紫綬褒章、文化勲章受章。称号は東京都名誉都民。戦前から戦後間もなくにかけては大阪を拠点に芸能活動を行っていたが、1950年前後の約3年間は、肺結核の闘病生活のため芸能活動を休止。1956年には朝日放送と専属契約を結び、ラジオでは「東西お笑い他流試合」の大阪方の司会、テレビでは中田ダイマル・ラケットと組んだコメディ「びっくり捕物帳」などで人気を博するが、1958年に菊田一夫に誘われ芸術座の舞台を踏んだのがきっかけで、翌1959年には東京に活動拠点を移す。同年ラジオ東京のプロデューサーで演出家の岡本愛彦(故人)と結婚(のちに離婚。ちなみに結婚当時、相手が5歳下だったこともあり、森本人は3歳サバを読んで36歳ということにしていた)。作家の水上勉とも噂があった。

何と言っても時間ですよシリーズ(TBS) が記憶に強い。他、舞台「放浪記」は出演回数1800回、主役を演じた年数45年は日本記録、と日本の芸能史の中でCMを始め、多くの分野で存在感を示してきた。 既に87歳。少しでも長く、活躍頂きたい。

似顔絵を描く時、この手の真っ白く塗りたくられた顔は描き手を困らせる。しかし、生命力のある目の輝きは、若さとは単に年齢ではないなぁと感じさせられる。まだこんなに元気であることが奇跡に近い。自分たちの周りを見てもこんなに若々しい「老人」はいない。見られることがそうさせるのか?はたまた独自の秘密があるのか?長生きが幸せとはイコールではないものの、健康で天寿をまっとうできたら素晴らしい。
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by suzunobu-nigaoe | 2007-08-24 23:59 | 1920-1924(85~90才)
2007年 06月 19日

歳を重ねるごとに美しくなるもの…【瀬戸内寂聴】

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瀬戸内 寂聴、1922年5月15日生まれ85歳。小説家、天台宗の尼僧。僧位は大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。学歴は徳島県立高等女学校、東京女子大学国語専攻部卒業。学位は文学士(東京女子大学)。称号は徳島県徳島市名誉市民。元天台寺住職。元敦賀短期大学学長。

代表作には『夏の終り』や『場所』『現代語訳 源氏物語』など多数。近年では『源氏物語』に関連する著作が多い。これまでの著作により多くの文学賞を受賞した。本名及び旧ペンネームは瀬戸内 晴美。東京女子大学在学中に結婚し、夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、夫の教え子と恋に落ち、夫と長女を残し家を出る。正式に離婚をしたのち、東京へ行き本格的に小説家を目指すようになった。長女とは後年和解する。

何というか、壮絶な人生を生きてこられた人である。主受けする以前の自分を公然と「男癖が悪かった。」と笑い飛ばしているし、人間としての重みがある。顔のシワひとつ取ってみても、そのひとつひとつに意味があるようにさえ見えてくる。若いとき美しいのは当たり前だが、年齢を重ねた時に見え隠れする核(コア)みたいなものがどう映るのか、寂聴さんの姿が教えてくれているようでならない。寛容ささえ感じる。誰しもが達観できるとは限らない。しかし、彼女の表情を察すると、まるで仏像でも見ているかのように柔和な笑みを漂わせる。南無阿弥陀仏…
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by suzunobu-nigaoe | 2007-06-19 22:38 | 1920-1924(85~90才)