鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 08月 03日

木内マジック、見られるか?【木内幸男】

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木内幸男、1931年7月12日生まれ。茨城県土浦市出身。県内有数の進学校である土浦一高に進学する。野球部では主将でセンターをつとめ3年生の夏は県予選で左中間の打球をあと少しでとれずに逆転負けを喫し、甲子園に行くことは出来なかった。このことの心残りと当時の監督がほとんど練習を見ていなかったこともあって、そのまま土浦一高でコーチを続ける。取手二高に就任してから20年後の1977年に大野久を擁して甲子園初出場を果たし甲子園でも1勝する。それから選抜・選手権合わせて6回甲子園に出場する。特に1984年の選手権大会では石田文樹、吉田剛などを擁し決勝でとても勝てないと思われた桑田真澄、清原和博のPL学園を延長10回の末、中島彰一(現・住友金属鹿島野球部監督)の3ランなどで8-4で破って全国優勝を果たす。まるでガキ大将たちが元気に飛び跳ねるようにプレーする様はPLの緻密な組織野球との対比で「のびのび野球」と呼ばれ、出っ歯をむき出しにして激しく怒っては豪快に笑う木内自身の強いキャラクターもあって一躍全国的に有名な監督となった。なおこの年は国体でも決勝でPL学園と対戦し、5-4で破って優勝している。

常総学院就任3年目の1987年の春の選抜大会で甲子園に出場し、夏の選手権ではエースの島田直也や当時1年生の仁志敏久などを擁して準優勝を果たす。伊良部秀輝の尽誠学園(香川)、後藤孝志の中京(愛知)、大会屈指の豪腕だった川島堅の東亜学園(西東京)などの注目の好投手や名門校をいとも簡単に退けていく戦いぶりが「木内マジック」と呼ばれ、以降木内の代名詞として流通していくようになる。その後も1993年の選手権で4強、翌1994年の選抜で準優勝、1998年の選手権で8強、2001年の選抜では強豪相手に次々と接戦をものにし、決勝で7-6で仙台育英を破って常総学院で初の優勝を果たす。2003年には決勝で東北(宮城)のダルビッシュ有(現・北海道日本ハムファイターズ)を4-2で破って有終の美を飾る。そして勇退後の今年、4年ぶりの監督復帰と共に甲子園出場を決めた。

明日の第一試合で木内監督が甲子園に戻ってくる。どんな采配を見せるか楽しみだ。私が茨城県出身と言うこともあり、贔屓的な見方も少なからずあるが彼の魅力はもはや全国区だ。80近い老人(失礼)が、現役で現場の指揮を執ると言うこと自体通常考えられないことだ。それにも拘わらず、今も尚全国の頂点を狙うその姿には敬服の念を禁じえない。いくつまで生きられるか誰も分からない。与えられた命の中で精一杯全力を尽くすことは素晴らしいことだ。県大会でも接戦を制して勝ち上がってきた。関東同士の戦いにはなるが、少しでも長く彼の采配を見たいものだ。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-08-03 22:44 | 1930-1934(75~79才)


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