2008年 06月 30日
植田辰哉、1964年7月25日生まれ。香川県東かがわ市出身。大阪商業大学卒業。身長196cm。新日鐵では、センタープレイヤーとして日本リーグ・ベスト6賞に5年連続選出された。全日本男子では1992年バルセロナオリンピックにキャプテンとして出場するなど活躍。指導者としては、新日鐵/堺ブレイザーズ監督、全日本ジュニア男子チーム監督などを歴任。2004年、バレーボール全日本男子暫定監督に就任、その年のワールドリーグ予選ラウンドの指揮を執った。その翌年の2005年に代表監督を要請され、正式に就任した。2007年、Vリーグ40回大会記念特別表彰においてVリーグ栄誉賞を受賞。2008年6月7日、監督として采配を振るった北京オリンピックバレーボール世界最終予選に於いて、自身が選手として出場した1992年のバルセロナ五輪以来16年ぶりの五輪出場権を獲得した。 バルセロナ五輪の開会式の日が自分の誕生日だった。ちなみに自身の夫人とも生年月日が同じである。 全日本男子を再びオリンピックに出場させるという重要な役目にいるゆえ、試合中でも練習中でも非常に厳しい表情で戦況を見つめ、時には怒鳴り、選手を鼓舞する。修行で滝に打たれる映像は有名。しかし練習オフのインタビューで「徳島ラーメンって美味しいよね」と普段は見せないような表情で答えたこともある。2008年6月7日、北京オリンピック最終予選にて出場権を獲得した瞬間に、コートで(前のめりに)大の字に倒れこみ、そのままの状態で男泣きした。 期待されなかったチームを今や女子以上にメダルを狙える位置まで引き上げた。昨夜の逆転勝ちは圧巻だった。前日敗れた相手に8年ぶりの勝利。いやでもモチベーションは上がる。選手の表情も皆生き生きしていた。「1番大切なことは頑張ることだよ。2番目は諦めないこと。」これ、うちの5歳になった孫娘が言った言葉だが、最後まで諦めなければ軌跡だって起こりうる。ちなみに「それじゃあ3番目に大切なことは?」と尋ねると、「帽子をかぶることだよ。」と訳の分からないことを言っていた^_^;とにかく北京オリンピックに向けて雰囲気も盛り上がっている。勢いに乗って突っ走って欲しい。
by suzunobu-nigaoe
| 2008-06-30 23:59
| 1960-1964(45~49才)
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