鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 06月 17日

永遠の処女は今何処…。【原節子】

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原節子、本名 会田昌江、1920年6月17日生まれ。(今日が誕生日)神奈川県横浜市出身。 私立横浜学園中退。1935年、『ためらふ勿れ若人よ』で日活から映画デビュー。芸名は同作の役名”お節ちゃん”に由来する。1937年、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役にアーノルド・ファンク監督が選んで注目される。ファンクは当初、田中絹代をキャスティングしたが契約上の問題で果たせず、原節子を代役に立てることになった。伊丹万作監督が協力したこの作品は、ファンクが編集した作品と伊丹が編集した作品が日本では公開されファンク版がヒッとなった。ドイツでもヒットし、当時のドイツ要人も鑑賞するなど話題を呼んだ。原は義兄の熊谷久虎や他の映画監督と共にドイツに渡り、和服姿でこれら要人を表敬訪問している。この後世界一周旅行をへて帰国、東宝に移籍。

戦争中は、1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』をはじめとする国策映画のヒロイン役に多数出演した。1949年の『青い山脈』では女性教師役を演じ、服部良一作曲の主題歌とともに大ヒット。同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ 6作品は、日本映画を代表するものとして、国際的にも著名となった。1962年の『忠臣蔵』を最後に「衰えた容姿を見せたくない」として、映画界を引退。1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を見せていない。 人前に姿を現さないように隠棲、現在は神奈川県鎌倉市で親戚と暮らしているという。なお2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・日本編」では原が女優部門の第1位に選ばれている。

往年の大スター。リアルタイムに見たことはないが、語り継がれるその容姿は未だに根強いファンを持つ。時代時代で流行は変わるもので、眉毛が結構太い。今どんな雰囲気でいるのか、見たい気持ちと見せたくない気持ち、どちらも分らなくはない。美男美女は減点方、それならいっそ最初悪い印象で後から加点される方が気が楽かもしれない。人間見た目が9割かもしれないが、あとの1割意外と無視できない。それなら見た目もソコソコの方が良かったりして…。ひねくれた考え方かな(;一_一)
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by suzunobu-nigaoe | 2008-06-17 23:09 | 1920-1924(85~90才)


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