鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 05月 11日

37才の若さでこの世を去った伝説の歌手。【大塚博堂】

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大塚博堂(はくどう)、本名:おおつか ひろたか(漢字同じ)。1944年3月22日生まれ、1981年5月18日逝去。血液型A型。大分県別府市出身。東洋音楽大学中退。大分県別府市出身。東洋音楽大学(現:東京音楽大学)声楽科中退。1972年に「大塚たけし」名義で歌手デビューするも、不発。その後クラブでの弾き語りの活動などが評判になり、1976年6月26日、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』で32歳の再デビュー。これが評価され、遅咲きながらも『めぐり逢い紡いで』、『過ぎ去りし想い出は』や『季節の中に埋もれて』などの曲で活発な音楽活動を行ったが、1981年5月18日に脳内出血のため37歳で急逝した。5年間の活動に凝縮された彼の曲は、レコード化されたものが約80曲、没後に発表されたものを含めて約90曲である。その他、小野寺昭、岩城滉一やペギー葉山など他歌手に提供した歌が40曲ほどある。

ステージ活動を中心にして全国を回り、"愛を唄う吟遊詩人"として徐々に人気を高めていった。ファン層は20代を中心とした女性が多く、コンサートでは涙を流しながら博堂の歌を聴く女性ファンが多かったと伝えられている。トレードマークのヒゲとサングラスで、低音から高音まで幅広い音域と、抜群の歌唱力で唄いあげる博堂のコンサートは、年間100ヶ所以上を数えた。初期の作品は、デビュー『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』を作詞した藤公之介と組んだものが多かったが、3枚目のアルバム『もう少しの居眠りを』から作詞家るい(本名:小坂洋二)が登場する。るいは博堂が所属する渡辺プロダクションの社員で、博堂担当のマネージャーだった。また、後期は山川啓介と数曲組んでいる。そして最後のアルバム『感傷』では、全作品の作詞を阿久悠が行っている。

1週間後に27回目の命日を迎える。亡くなった方を描くのは二人目だけど、私の鈴信「博堂」の名前を勝手に頂いた尊敬する歌手だ。今もって彼の歌を歌い続けるシンガーも多数いるし、ファン倶楽部まで存在する。改めて彼の存在の大きさに心動かされる。私も少しばかり人前で歌を歌うが、彼の歌が大好きでその殆どが持ち歌だ。わずか10年足らずの歌手活動の中で多くの人たちの心に思い出を残した。私など遠く及ばないが、少しでも彼の生き方を理解できるよう彼の歌を今日も口ずさみたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-05-11 23:13 | 1940-1944(65~69才)


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