鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 04月 08日

絶賛!12年ぶりの現役復帰。【伊達公子】

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伊達公子、京都府京都市出身。1970年9月28日生まれ。身長163cm、体重53kg。日本人の女子テニス選手として、史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした名選手である。シングルス自己最高ランキングは4位(1995年11月)。WTAツアーでシングルス7勝、ダブルス1勝を挙げ、4大大会の女子シングルス準決勝に3度進出した。本来は左利きであるが、子供の頃に右利きに直された。そのため、テニスの試合でも相手選手がバックサイド(左側)に打ってきたボールを左打ちする場面がしばしば見られた。伊達は「ライジング・ショット」の名手として、世界的にも有名な選手であった。これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。世界トップ選手へと躍進し始めた頃の伊達は、当時のテニス界で“ライジング・サン”(Rising Sun)と呼ばれたという。

2000年2月6日-8日にかけて、シュテフィ・グラフの「引退世界ツアー」で日本の対戦相手に指名され、東京体育館、名古屋レインボーホール、大阪城ホールの3会場でエキシビション・マッチを行った。2001年12月1日、ドイツ人レーサーのミハエル・クルムと結婚したため、一部の新聞などでは「本名:クルム伊達公子」との注釈がつく。伊達の世界的な活躍は、日本の女子テニス界にも計り知れない刺激を与えた。1995年の全米オープンでは実に8人の日本人選手が本戦に直接出場するなど、伊達が活躍した時代は日本勢全体の活躍が目立った時期であった。しかし、伊達の引退後、日本の他のトップ選手たちの相次ぐ引退もあり、日本女子テニスは衰退の一途をたどっていった。2008年に37歳にしてプロ登録をし復帰したのも世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるためであると記者会見で語った。

現役復帰。並大抵の努力では叶うものではない。一度休めた身体を元に戻すと言うことは、一から始めるよりもエネルギーを要する作業だ。かなりの精神力がなければ為しえないし、またよくそこまで身体を維持できたものだと感心する。私もこうして毎日似顔絵を描かせて頂けてるお陰か、日常即興で描く機会でも以前よりも似せて描くことができているように感じる。現役とは常に臨戦態勢に対応できることを意味する。よく生涯現役と言った言葉を耳にするが、行うは難しで一定レベルを維持することは簡単ではない。しかし、身の回りで何かやらせていただくチャンスがあったなら、積極的にトライしたい。何もしないのとでは大きな差が生まれる。できる機会に感謝する選択肢を選びたい。
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by suzunobu-nigaoe | 2008-04-08 23:59 | 1970-1974(35~39才)


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