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鈴信博堂の似顔絵日記

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2008年 01月 26日

チリ戦、初采配の結果はドロー。【岡田武史】

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岡田武史、1956年8月25日生まれ。大阪府大阪市出身。身長175cm。血液型A型。岡ちゃんの愛称で知られる。メガネにジャージがトレードマーク。マスコミ業界への就職を志望していたが叶わず、1980年、早稲田大学卒業と同時に古河電工に入社。社員として働く傍ら、古河電気工業サッカー部(ジェフユナイッド千葉の前身)に入団。大学時代と変わらず頭脳派のディフェンダーとして日本リーグで活躍し、1986年のアジアクラブ選手権優勝にも貢献した。その後も日本代表に選出され続け、ロサンゼルス五輪予選、メキシコワールドカップ予選などに出場。最終的に国際Aマッチのキャップは21を数えた。

古河電工のコーチに就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせた彼は、1992年にドイツへとコーチ留学する。1993年に帰国後はJリーグ発足に沸く日本サッカー界に戻り、ジェフ市原でコーチを務めた。1995年にはサッカー日本代表コーチに抜擢される。彼の一大転機は1997年10月、フランスW杯最終予選にて代表チームがアジア予選で敗退濃厚の窮地に陥り、加茂周監督が更迭された事から代理監督として指名される。最初の1試合を乗り切った彼は監督へと昇格を果たしたものの、当初は急場凌ぎとの見方が大勢を占めていた。今回も日本サッカー協会の特任理事として活動中、次期日本代表の日本人監督として名も挙がっていた中、2007年11月に日本代表のオシム監督が急性脳梗塞で緊急入院し、2008年2月のW杯予選で指揮を執ることが困難になり、サッカー協会から後継監督として打診を受け、12月7日、日本代表監督に正式に決定した。親善試合だが今日監督就任後初采配を迎えた。

名プレーヤーは名監督にあらず。スポーツの世界では良く言われる言葉だ。岡田監督自身、選手としてエリートだった訳ではない。もちろん、表記のように素晴らしい実績は残しておられるが…。人並みな苦労も解らなければ良い指導はできないよ、と言ってるのだろう。指導のあり方も時代とともに変わってきたように感じる。今はどちらかと言えば距離が近い感じ。昔のようなピリピリした雰囲気の指導者は少なくなった。受け入れられないのかもしれない。「1億総優しさの時代」とでも言ったところか。だからと言って迎合は良くない。言うべきことは言う。岡ちゃんも大変だろうが、持ち前の強運の上で良い結果を残してほしい。

by suzunobu-nigaoe | 2008-01-26 22:30 | 1955-1959(50~54才)


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